FC2ブログ
報道写真の読み方

文字よりも映像の方が情報量が多くて訴える力が強いのは、報道の場合でも同じです。文字で勝負する新聞、雑誌の人達はよく「絵が欲しい」と言いますが、それは映像の力を熟知しているからです。

戦争や災害などでは、殊更、映像が重視されます。それは文章では脚色ができますが、映像は手を加えることがないから、「絵」を示してこれが真実だと言えるのです。

しかし、映像による真実には、映像の撮り方によって、また映像の見せ方によって、幾通りもあり得ます。更に、その映像を見る人々の見方によっても、真実は分かれます。

勿論、写真の真実は一つである必要はありません。人によって違っても構いません。真実は他人に押しつけるものではなく、何が真実かは映像を見る人の判断に依存します。

そのことを、去るフォトジャーナリズム・シンポジウムでの討論で感じました。

討論で取り上げられた写真は、イラク戦争で戦死した米海兵隊員の遺骸が、帰国のため中東の空港で民間航空機に乗せられる場面の写真です。この写真は、米ニューヨーク・タイムズ紙のフォトジャーナリスト、トッド・ヘイスラー氏の写真集「最後の敬礼」(ピュリツァー賞受賞)の冒頭の写真です。

民間機ですから、既に多くの民間人が搭乗して小窓から外を見ていますが、遺骸は機体の下方口から運び込まれるので、乗客にはそれは見えません。

シンポジウムのパネラーの一人が、この写真は米国民とイラク戦争との関係を象徴するものだと説明しました。何故なら、戦争の悲劇が起きているところをアメリカ国民には見えない(或いは見せない)と語っているからだと言いました。

その発言者は報道関係の人でしたから、写真を見て直ぐにそう読み取ったのですが、別の解釈もあり得ます。写真の遺骸は、国家のために命をかけて戦場で死んだ英雄です。英雄と言えども、いずれは人々から忘れ去られて行くと言うことを語っていると解釈することも出来ます。

何故そのような解釈をするかというと、写真集「最後の敬礼」は、戦場の外で起こる人間的悲しみと苦悩を、政治的な含意を越えて、戦死をテーマにしながら、反戦を煽るのでもなく、さりとて美化するのでもなく、戦争を繰り返す人間の「業」の姿を映像化した写真集だからです。

20世紀初めにアメリカ・ドキュメンタリー写真が社会報道の手段として大いに活躍したことは既に述べました(「アメリカ・ドキュメンタリー写真の創始者たち」06.05.16)。当時は社会の悲惨な事態を議会に伝え、社会政策の法律を作成するのに写真が大きな働きをしたことは事実です。

ですから、報道関係のパネラーの解釈を否定するわけではありませんが、この写真からイラク戦争の悲惨さを国民に知らせない証拠と読み取るだけならば、わざわざ映像で回りくどく語るまでもなく、文章で述べても事足ります。

写真は言葉では伝えられない感動を伝えるものです。それは音楽や絵画が言葉では伝えられない感動を伝えるのと同じです。取り上げられた写真は、人間の避けがたい「業」を表現する序曲であり、単なる政治的プロパガンダではないのです。
(以上)
スポンサーサイト



【2007/07/24 08:48】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<花火を撮る | ホーム | 網膜では見えない写真のブレ>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://wakowphoto.blog61.fc2.com/tb.php/97-c34f9979
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |