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下町に未だラウ屋さんが居た頃
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湯島天神-02N

これも旧い話ですが、江戸時代から続く珍しい商売が昭和30年代の東京に未だ残っていた話です。

江戸時代に喫煙の習慣が始まると、下町に煙管(キセル)を修理する行商人のラウ屋が出現しましたが、そのラウ屋が戦後の昭和にも修理器具を備えた屋台車を曳いて営業していました。

煙管で煙草を吸っていると管の中に脂(やに)が溜まり吸いにくくなります。ラウ屋はその脂を取り除くのが仕事です。煙管の吸口と雁首との間にある竹の管を新しいのに取り替え、吸口と雁首の内側の脂を蒸気で溶かし掃除します。取り替える竹の管はラオスから輸入していましたので、修理屋の名前がラオ屋になった次第です。

今では煙草は殆ど両切りの紙たばこですが、昔は煙草の葉を刻んだキザミという煙草が売られていて、これを指で小さく丸めて煙管の口に詰め込み吸いました。今でも歌舞伎や時代劇で、旦那や女将さんが長火鉢の脇で煙管をふかす様を舞台で見ることがありますが、両切りの紙たばこを口にくわえるより、ずっと粋な姿です。

ところで汽車や電車の不正乗車する方法に嘗て「キセル」と称する方法がありました。改札を入るときの一区間と出るときの一区間だけカネ(煙管の金属部分)を払い、中間を無賃乗車する方法でしたが、今はスイカやパスモの時代なので「キセル」は出来ず「キセル」という言葉も消えました。

もう60年以上も前、梅が咲く頃、湯島天神で営業しているラウ屋さんを見かけました。時々、煙管の掃除用の蒸気で汽笛を鳴らして存在を周囲に知らせていたので気付きました。甘酒で一服しているラウ屋さんの屋台の箱には沢山の煙管が並んでいました。その当時でも既に珍しい姿でしたので写真に収めておきました。
(以上)
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【2020/04/14 12:42】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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