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築地塀は江戸の遺産
1.報土寺-04D 0805qr
写真1 本土寺の築地塀
2.報土寺:築地塀-06D 1909qt
写真2 三分坂から見た本土寺の築地塀
3.谷中寺町:観音寺:築地塀-07D 1909q
写真3 観音寺の長い築地塀
4.谷中寺町:観音寺:築地塀-14D 1909qt
写真4 築地塀にある観音寺の裏門
5.待乳山聖天-05D 0804qr
写真5 待乳山聖天の築地塀
6.待乳山聖天-06D 1102q
写真6 待乳山聖天の参道 築地塀は階段上の右手にある。

京都御所や西本願寺は長い土塀で囲われていますが、これらの土塀は築地塀(ついじべい)と呼ばれるもので、外敵の侵入を防ぐ堅牢な防護壁として築かれたものです。古都京都では、公家の屋敷や伝統のある寺院・神社が築地塀で囲われている例を良く見かけます。

嘗ての江戸でも武家屋敷や寺院には築地塀が数多くありましたが、明治以降、武家屋敷は壊され、残ったものも震災と戦災に遭って焼かれて、今の東京では築地塀を見る場所は滅多にありません。

しかし、現在の東京の町中で、築地塀が見られる場所が三ヶ所あります。それは港区赤坂にある報土寺と台東区谷中にある観音寺と浅草にある待乳山聖天です。

赤坂の報土寺の築地塀は、瓦と粘土を交互に積み重ねた形態ですが、瓦の層が幾層にも密に重なっているので、瓦と瓦を粘土で張り付けた様な仕上がりになっていて、重厚な築地塀です。しかも粘土の部分は白い漆喰で塗り固められているので、瓦屋根の黒色と漆喰の白色が縞模様になって美しい築地塀です。報土寺は三分坂という急坂の途中に建っているので、傾斜に沿って斜めに走る築地塀の縞模様の線はダイナミックであり、モダンに見えます。
(写真1、2)

谷中の観音寺の築地塀は、観音寺の南側を通る小道沿いに長く続いています。築地塀の途中に境内への出入口の扉があるので、それが長い築地塀の単調さに変化を与えるアセサリーになっています。観音寺の築地塀も、報土寺と同じく多層の瓦が積まれていますが、瓦の層には欠けた部分も目立ち、粘土の部分に彩色を施していないので、却って江戸時代からの築地塀の古さを感じさせます。小道を挟んで、観音寺の築地塀の対面には真新しいモダンなデザインの土塀が建っているので、この小道は新旧土塀のコントラストを演出した面白い光景です。
(写真3、4)

浅草の待乳山聖天の築地塀は、参道の階段を上った右側に一部残された短いものです。待乳山は堆積層の平地に独峯のように突き出た10メートる程の丘で、隅田川を眺める名所でしたから、歌川広重が描いた絵にもこの築地塀が描かれています。
(写真)5、6)

築地塀は、鉄砲の弾を通さないので、安土桃山時代以降は城郭の内部に多く使われました。そう言えば、戦国時代には寺は屡々臨時の軍事拠点として使われましたから、寺に築地塀が多いのはその所為かも知れません。築地塀が装飾的になったのは江戸時代以降だそうです。

現在の東京には、江戸時代を偲ばせる遺跡は江戸城跡の皇居の他には見附跡しか残っていませんが、築地塀は東京にある江戸時代の数少ない証拠品です。
(以上)
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【2019/11/28 18:12】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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