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フォトジャーナリズム・シンポジウムに出席して

朝日新聞社のシンポジウム「事件や戦争をどう伝えるかー現場の目撃者として」(07.6.22)に出席してフォトジャーナリズムが抱える問題を改めて学ぶことが出来ました。

シンポジウムは、「人権と報道」および「国益と報道」と言う二つのテーマについて、写真報道のあり方を問うものでした。参加者は、ジャーナリズム界から社長、エディター、フォトジャーナリストが参加し、それに現代美術作家と政治家が加わりました。

先ず、「人権と報道」について、米ロッキーマウンテン・ニューズ社のジョン・テンプル社長は、コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件の写真報道を取り上げて、如何に被害者の人権問題に取り組んだかを語りました。事件が発生したとき、被害者の救済と保護を優先すべきか、事実を皆に知らしめる報道を優先すべきかは、繰り返し議論されてきましたが、未だに社会的合意が得られていない問題です。彼は取材対象である被害者の人格と立場を尊重し、被害者から信頼されるよう努力し、最後には感謝された経験を披露しました。

次に、「国益と報道」について、米ニューヨーク・タイムズ紙のフォトジャーナリスト、トッド・ヘイスラー氏は、イラク戦争で戦死した米海兵隊員の遺族の世話をして回る海軍少佐を1年近く取材した写真集「最後の敬礼」(ピュリツァー賞受賞)を題材にして、戦場の外で起こる人間的悲しみと苦悩を、写真という形で捉えた話をしました。戦争報道は国益と強く結びつくものですが、戦死をテーマにしながら、反戦を煽るのでもなく、さりとて美化するのでもなく、戦争を繰り返す人間の「業」の姿を映像化するのに成功していました。

二人の基調講演のあと、それぞれのテーマでパネルディスカッションが行われました。

事件の報道には常に人権問題が絡みます。報道写真家は目撃者として事実をありのまま伝えることが任務だとしても、報道される被害者の人間的感情に配慮しなくては、報道そのものの目的も達成出来なくなると言う指摘は重要だと思いました。

戦争の報道は深く国益に関わりますから、自国の軍事的機密を敵国に知らすような報道は制限されることには皆が同意しましたが、政府発表と異なる事実がある時は、たとえ自国に不利益でも自国民に対してしっかりと報道すべきであるとの意見が大勢を占めました。それこそが自国民の国益に叶う報道であるとの意見でした。

その関連で、上記のジョン・テンプル社長は面白い逸話を紹介しました。
これは戦争報道一般の話であって写真報道だけに限ったことではありませんが、アメリカのニュースキャスター達の討論で、敵軍に従軍記者として随行しているとき、味方軍への攻撃計画を知ったら、それを味方軍に通報するかと問うたところ、報道関係者の答えは二つに分かれたと言います。

愛国的な記者は当然味方軍に知らせると言いましたが、他の報道関係者は事実の報道に徹し、身の危険を冒してまで自国軍への通報はしないという意見でした。その理屈は、報道関係者自身が戦争をしているのではなく、報道するために戦場にいるのだからと言うのでしょう。これを「人権と報道」に当てはめれば、報道関係者は、報道するため現場に来たのだから、目前の人命救助を差し置いても先ず報道を優先するとの意見に通じます。

しかし、ここで人権と国益は次元が異なるという主張が出てきます。人権は普遍的だが、国益は相対的だと言うわけです。人権に関しては報道は用心深く振る舞うべきだが、国益に関しては国籍を離れて遠慮無く報道しても構わないという主張です。

私は、そこまでスパット割り切れる報道記者は、ある意味で幸せだと思います。しかし、報道記者に徹することの出来る人は、人間的な暖かみに欠ける人かもしれません。自らの報道が、究極の国益に叶うか否か判断できないことに悩むのが普通のジャーナリストだと思います。

こう考えてくると、フォトジャーナリストの仕事は、誠に難しくも厳しいものだと思いました。
(以上)
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【2007/06/23 20:40】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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