FC2ブログ
占領下の昭和写真史

いま東京都写真美術館では写真展「昭和-写真の1945~1989-」が開催されています(07.5.12~6.24)。
展示されている125点の写真は、すべて占領下の日本を写した写真です。敗戦後の占領下に生きた者にとって、これらの写真は映像で見る同時代史です。

第一に、日本にとって敗戦の年、昭和20年(1945)は、非戦闘員が多数焼死し、国土が焦土と化した年です。昭和20年に撮影された「東京大空襲(石川光陽)」「焼死体の脇に茫然と立ちつくす若い女性(山端庸介)」「防空壕に避難して助かった女性(山端庸介)」の3枚の写真は、東京と長崎の街が、焼夷弾と原子爆弾で焼き尽くされた様子を、焼死した人と焼け出された人の姿を写し込んで強烈に物語っています。

第二に、国土が焦土と化した写真としては、「東京大空襲後の銀座4丁目交差点(師岡宏次)」「大空襲後の虎ノ門付近(師岡宏次)」「上野広小路付近の焼け跡(師岡宏次)」の3枚が印象的です。敗戦直後の銀座、虎ノ門、上野の街にあるのは、僅かなコンクリート造りの焼けたビルだけです。その中で、見覚えのあるビルは銀座では服部時計店、虎ノ門では旧文部省くらいです。

第三に、戦後間もなく、大陸から大勢の日本人が帰国しました。「復員(林忠彦)」の復員兵には笑顔がありましたが、「引き上げ(林忠彦)」の、父の遺骨と共に帰国した母と子の表情は暗いものでした。

第四に、戦後直ぐ、街路も鉄道も駅も、標識は全て横文字になりました。「四谷見附(木村伊兵衛)」「戸越公園駅(中村立行)」「英語標識のある有楽町駅(林忠彦)」の3枚の写真では、日本語の表示は一字もなく、英語だけで表示されています。占領下にあることを人々に突きつけます。

第五に、戦後の数年間、人々は厳しい経済状態に置かれます。衣食住の全てが何もかも不足でした。その中で、育ち盛りの子供達が最大の犠牲者でしたが、彼らはけなげでした。「敗戦、饑餓の島より(福島菊次郎)」「浮浪記(田村茂)」「敗戦の素顔(田村茂)」「山の兄弟(白井薫)」「橋の上(土門拳)」「子守の少女、浅草(田沼武能)」の6枚の写真は逞しく生きる子供達の姿と表情を捉えています。

第六に、戦後6~7年経って敗戦の混乱が収まり始めた頃の写真に、面白いものを見つけました。写真「新宿聚楽前、新宿区(薗部澄)」には、高級洋装店”東京スタイル”という商店の前の広場に、100個以上の肥桶(こいおけ)が二段に積まれて写っています。当時は人糞が大切な肥料でした。街でくみ取られた人糞は肥桶に詰められて近郊の農家に売られていきました。

第七に興味を持ったのは、焦土と化した東京の街が整備されていく過程を示す写真「土橋付近、有楽町~新橋間の車窓より(薗部澄)」です。この写真では、山手線に沿っ続くお濠が、焦土の瓦礫で幅半分ほど埋められていました。東京は江戸時代から水路の発達した街でしたが、関東大震災と東京大空襲で発生した大量の瓦礫を水路に投げ込んだため、水の都が台無しになったと言われます。この写真はその証拠写真です。

以上の写真の外にも、写真的に優れたものが数多く展示されていました。しかし、今回は時代史としての写真に焦点を合わせて感想を述べた次第です。
(以上)
スポンサーサイト



【2007/06/01 22:01】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<記念写真について | ホーム | 写真家と歴史家>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://wakowphoto.blog61.fc2.com/tb.php/89-35906618
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |