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神と仏は互いに守り合うと考える日本人の宗教心
東大寺 大仏殿
1.東大寺-14D 1404q

東大寺境内の鏡池の畔にある手向山八幡宮
2.東大寺-48D 1404q

21世紀文明を論じた高名な歴史学者、ハンチントンは、その著書「分断されるアメリカ」で世界の信仰心の度合いをグラフを用いて次のように述べています。

(信仰心の度合いは)欧米諸国は50%前後であり、アメリカは65%と比較的高く、ロシアを含む共産圏は20%台と低い。最下位は中国で5%、日本は下から三位の18%であると。

ハンチントンは、アメリカがアイルランドとポーランドと共にトップグループに属していると自慢しています。この発言がキリスト教世界での順位づけなら敢えて異論を唱えませんが、非キリスト教世界まで含めて論じるとなると、歴史学者ハンチントンの常識を疑います。

宗教心は、宗教が発生する背景や布教する過程で育つものであり、宗教が違えば信仰の行動、信仰の表現は皆違うのです。まして信仰心の深さまで外見で推し測ることなど出来ません。それをハンチントンがキリスト教の外的基準で判定しているのですから、もう滑稽です。

ハンチントンに宗教心は最低と云われた中国の宗教事情はどうでしょうか?
紀元前500年余り前、中国で孔子は儒教と説きしたが、その思想は正しい政治の在り方を説いたものでしたので、その内容が高邁な思想ではあっても宗教心に至るものではありませんでした。

その後、中国にも後漢の末期にインドから仏教が入ります。宗教心の乏しい中国人も戦乱で荒廃する時代に宗教に救いを求めたのです。それで仏教は普及して中国流に深められましたが、中国には仏教伝来以前から道教など土着の信仰があり、かつ、中国は自らが文明の中心との考えがあるので、外来の仏教は遂に中国では定着しませんでした。

ハンチントンに宗教心は下から三位と云われた日本はどうでしょうか?
日本には仏教渡来以前から、先祖伝来の神道がありました。世界の宗教は互いに排他的ですが、神道には教祖もなく、教義もなく、あるがままの自然を神として崇める宗教でしたから、新来の仏教とも融和しました。平安時代には在来の神と渡来の仏は互いに相手を認め合い神仏習合(しゅうごう)を果たしています。(その理論的根拠を天地垂迹説と云います)

そもそも仏教が渡来した6世紀に大仏殿を建立した聖武天皇は境内の鏡池のほとりに東大寺の鎮守の神として手向山(たむけやま)八幡宮を造営しましたし、宇佐の八幡宮の境内に神社を守る神宮寺として弥勒寺(みろくじ)を建立させています。八幡宮は東大寺を守り、神宮寺は八幡宮を守るという、神仏が相互に守り合うという発想は、平安朝の神仏習合の思想の先駆けとして奈良時代に始まっているのです。

昔は、天皇は神道で即位し、退位すると出家して仏門に入りました。一般家庭では神棚と仏壇があるのが普通でした。ですから、同じ境内に神社と寺院が同居していても誰も不思議に思いませんでした。

そう言えば江戸時代でも浅草寺の境内に浅草神社(三社様)が祭られています。浅草神社の祭神の一柱は浅草寺の観音様を隅田川から引き上げた漁師というのですから仏と神は誠に近い関係なのです。

しかし、明治政府はこの神仏混淆を良しとせず、廃仏毀釈を強行します。一神教の西欧文明に遭遇して、欧米化のために宗教の混在を恥ずべきことと考えたとの説がありますが、いや違う、狂信的とも思われる一神教の激しさに恐れをなした明治政府は、神道の力で西欧と対抗しようとしたとの説が有力です。

いずれにしても、明治政府はそれまでの寛容な日本の宗教のあり方に打撃を与えました。しかし、明治政府の廃仏毀釈政策にも拘わらず、一般庶民の間では神と仏は同居したままです。神仏習合は奈良、平安時代からの日本人の長い伝統であり、今も人々の宗教心の中に生き続けているのです。
(以上)
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【2018/08/06 13:49】 | 文明 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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