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サツマイモと人口と焼き芋屋
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芋(いも)と言えばサツマイモとジャガイモです。やせた土地でも生育して、大量生産が可能であり、栄養価も高いので古来、世界の国々で主食として栽培されてきました。

人口は幾何級数的に増加するのに対し、食糧は算術級数的にしか増加しないとの説を唱えたイギリスの経済学者マルサスは、食料の供給量で人口の増減が決まると主張しました。

南太平洋の人々はタロイモを主食とします。タロイモには毒があってそのまま食べられませんでしたが、ある時、イモを砕いて水にさらすと毒を抜けると分かりました。すると南太平洋の人口が増大したと言います。

イモではありませんが、バナナでも同じ現象が起きました。バナナを輪切りにすると果肉の断面に花びらのような斑紋が沢山見えます。この斑紋は昔々バナナに種(たね)があった印(しるし)なのです。

断面の模様から想像するに、種の容積は大きく、果肉は小さかったと思います。ある時、突然変異で種が消えてバナナは果肉だけとなったと言われます。その頃から熱帯地方の人口は急に増大し始めたと、ある研究論文は伝えています。

今ではマルサスの人口論をそのまま信じる人はいませんが、食料の存在が人口の数を規制するという考え方は否定できない原則です。

19世紀にアイルランドで病虫害のためジャガイモ栽培が壊滅的打撃を受け、主食の大半をジャガイモに依存していたアイルランドでは大きな飢饉が起こりました。そのとき、大勢のアイルランド人はアメリカに移民しました。

日本では、ジャガイモは明治以降に栽培を始めましたが、サツマイモ(甘藷)は江戸時代に主食の米の代用品として栽培が奨励され、広く全国に普及しました。

と言いますのは、江戸時代は寒冷な時代であった上に、異常気象や富士山の宝永噴火、浅間山噴火などで、数回の大きな飢饉に見舞われたので、18世紀の初め、幕府は飢饉に備える食料として、青木昆陽に命じて、薩摩藩で栽培されていたサツマイモの栽培を全国に奨励しました。その後、飢饉での餓死者は少なくなりました。

第二次大戦中、サツマイモは米に代わる大切な基礎食料でした。今の若い人達には想像出来ないでしょうが、戦後のある時期まで、ご飯代わりにサツマイモを主食として食べたのです。ということは、つい最近までサツマイモは饑餓を救う食料だったのです。

因みにサツマイモの国内生産は鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県で全国生産の80%を占めており、中でも鹿児島県は全国の40%を生産するダントツの第一位です。サツマイモは、今も薩摩国(さつまのくに)のお芋なのです。

今は、サツマイモの基礎食料としての役割はなくなりましたが、それでも人々はサツマイモを愛します。石焼芋は焼いた石でじっくりと芋の芯まで熱を浸透させるので、まろやかな甘みがあります。

冬の寒い夜、焼き芋屋の呼び声に戸外に出て買い求めたり、裏町を行く焼き芋屋からホカホカの焼き芋を買い求めるのは、今でも冬の風物詩です。
(以上)
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【2015/10/25 21:03】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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