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日本のファストフードは江戸時代に遡る
1.並木やぶそば-01D 1102qt
写真1 池波正太郎が通った並木やぶそば
2.浅草風景-20D 1103qr
写真2 伝法院通りにある大黒家天麩羅本店
3.前川うなぎ屋-01D 1103qt
写真3 駒形のうなぎ料理専門店「前川」
4.どぜう:駒形-01D 1102q
写真4 駒形どぜう屋

料理は値段が高ければ旨いのは当たり前で、安くて旨いのが自慢なのです。それに忙しい時代ですから注文していち早く提供される料理が喜ばれます。ファストフードとは本来そういうものなのです。

と言うことで、ファースト・フッド・サービス(fast food service)は今や大いに流行っています。店内ではセルフサービス化が進み、テイクアウトできるのが普通です。日本生まれでは丼物、うどん等、西洋ものではハンバーガー、ピッツア、フライドチキンなど、業態もフランチャイズやコンビニと多様です。

ファストフードというと西洋ものと思いがちですが、日本で即席の外食が盛んになったのは大変古く、江戸時代の下町でした。

関東に封ぜられた家康は、江戸城を築き、城下町を作りましたが、新しい城、新しい町をつくるには、飲み水の確保や、道や橋のインフラ整備が急務でした。そのために大勢の職人や仕事師などを江戸の町に集めました。

地方から出稼ぎ労働者が集まって出来たのが江戸の町ですから、女手の少ない男社会でした。当然、家庭料理とはいかず、外食が盛んになり、男達は旨いものを町に求め出歩きました。需要が多ければ供給が増え、舌が肥えた人が多ければ旨いものが生まれます。

江戸社会に詳しい食通の作家、池波正太郎氏によると、江戸の代表的な料理は、鮨、蕎麦、天ぷら、鰻、泥鰌だそうですが、これらの料理は現在でも旨いものの代表になっています。これらの料理は、江戸の町民が創り出したものだ自慢してよいのです。

なんだ、旨いかも知れないが値段は高くて江戸町民の手に届かなかったのではないかと思わないで下さい。当時の江戸では食材は豊富にあり安く手に入り、調理は屋台で手軽に提供されるものが多く、ファストフードとして町民に親しまれていたのです。

江戸前の海では美味の魚が豊富に獲れ、下町の湿地帯の堀では鰻と泥鰌は湧くように育ちました。池波正太郎氏によると、隅田川や多摩川が注ぎ込む江戸湾は、海水と淡水が適当に混ざり合っていて、同じ種類の魚でも太平洋で獲れたものより江戸前の海で獲れたものが味がよかったのだそうです。

江戸の本所で発明された握り鮨は握りたてを手早く食べるものだし、天ぷらも屋台で揚げて即座に食べるスタイルですから、正にファストフードです。蕎麦や鰻は丼(どんぶり)で安直に食べ、泥鰌は鍋をつついて皆で食べました。

江戸のファストフードが最初に生まれたのが下町の淺草であり、その伝統は今に引き継がれています。下町生まれの作家、池波正太郎や、淺草を愛した小説家、永井荷風が足繁く通った蕎麦屋やどぜう屋や鰻屋が淺草に残っています。その他にも江戸時代、明治時代の創業の老舗の店が沢山あります。(写真1、2、3、4)

江戸時代の職人や仕事師は、現代ではサラリーマンですが、彼等が昼どき牛丼屋、ラーメン屋に列を作って食べるもの、ハンバーガーや弁当屋で買うもの、これらは現代のファストフードです。江戸時代のファストフードとは種類は変わっても、安くて旨ければ、鮨、蕎麦、天ぷら、鰻のように今後も愛され続けるでしょう。
(以上)
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【2015/08/14 11:30】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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