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街角で托鉢する僧侶を見かけて感じたこと
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                    写真1 皇居のお濠端で
                    大阪城城内-01D 07010qt
                    写真2 大坂城の石垣の前で

時々街中で僧侶が道行く人に寄進を求める姿を見かけます。直立不動の姿勢で立ち、時折、小鐘を鳴らすだけで終始無言の行です。托鉢僧は、寄進する人が現れると、合掌して頭を下げるだけです。

古来、インドでは、宗教に身を投じる者は、財産を一切持たず、実生活で必要な最低限の食料、衣料などを信徒の寄付によってまかない、一切の経済行為を行わないことを戒律としていました。

インドで生まれた仏教もまた、このインド宗教の伝統に従い、托鉢で実生活を支える戒律を取り入れています。托鉢とは、僧侶の実生活の糧を得る行為を通じて、信徒に教えを広める修行でした。寄進を通じて信者に功徳を積ませる宗教活動でした。

托鉢は修行と布教を二つながらに実行する方法ですが、これがインドから中国に伝わり日本に渡ってくると、時代を経て変貌を遂げていきます。中国にも、日本にも既存の宗教があり、国民の価値観が異なり、気候風土も違います。そのような外的要因で、仏教の信仰内容も信仰方法も変貌を遂げるのです。

お釈迦様が教えた本来の仏教は、上座部仏教と言われ(嘗て小乗仏教ともいわれました)、スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジャへと伝わりましたが、中国や日本に伝わったのは、それとは違った大乗仏教でした。両者の大きな違いは、上座部仏教では出家者として修行するのですが、大乗仏教では在家信者のままでも修行して釈迦の精神に生きれば救済されるとした点です。

上座部仏教では、出家者の戒律が厳格に守られ、托鉢は必須の修行でしたが、大乗仏教では、宗派や寺院が信者の寄進で維持されされましたから、必ずしも托鉢を行わなくても生活に支障が生じなかったので、インドのように托鉢は広く行われませんでした。

財力を信じ政治を優先させる伝統の強い中国では、裕福でない寺院には信者が集まりませんでしたし、また裕福な寺院の僧侶たちは托鉢をしませんでした。日本では、外来の仏教は支配階級など社会上層部の人達の間で普及しましたから、修行の手段としての托鉢が重きをなしたとは思えません。

日本の托鉢の歴史は、僧侶の生活を支えると言うよりも、布教活動の手段として行われて来たと言えます。僧侶が托鉢に出かけるのは、地方の民衆に説教をするためでした。また、地方での寺院の創建や、農漁村の社会施設の整備などのために、托鉢が行われました。

ですから、今は希にしか見かけない街頭での托鉢僧の行は、仏教の教えを僧侶が追体験しながら、仏教の存在を大衆に知らしめるという、仏教の普及活動だと思います。

花見客で賑わう皇居のお濠端で一人の托鉢僧の姿、観光客で賑わう大坂城の石垣の前で二人の托鉢僧の姿を見かけました。(写真1、2)

ところで、戦前の日本人は、必ず家に神棚と仏壇を設けて毎朝、毎夕、家族全員が掌を合わせて感謝と願い事を唱えました。しかし戦後は核家族となり、その習慣が薄れたと言われます。

神社や寺院に参拝することも大切ですが、日常生活の中で宗教心を日夜涵養することも忘れてはいけません。街角で托鉢僧を見て、日常生活での己の宗教心の薄さに恥じた次第です。
(以上)
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【2015/04/26 18:55】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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