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羽子板 遊具から工芸品に
             1.淺草羽子板市-03D 0612qt
             写真1 浅草寺境内の羽子板市
             2.淺草羽子板市-16D 0612q
             写真2 浅草寺境内の羽子板市
             3.淺草羽子板市-11D 0612q
             写真3 江戸押絵羽子板
                              4.羽子板資料館-02D 0908q
                              写真4 羽子板資料館「鴻月」
                              5.羽子板資料館-01D 0908qc
                              写真5 羽子板資料館「鴻月」
今ははやらない正月の遊びに羽根突きがありました。ムクロジの種子に羽を付けたものを羽子板で打ちあって、その羽を打ち損じて負けると顔に墨を塗られました。さすがに女性が勝負に負けても塗られませんでしたが、書き初めの筆で顔を汚され男たちが、なお羽根つきに興じていた路地裏の風景は戦前の昭和にはありました。

この羽根つき遊びは既に室町時代には存在していて、負けた方が酒を振舞ったそうですから、優雅な遊びとしての歴史が長いのですが、その後、羽子板は縁起物と見なされるようになり、江戸時代になると遊戯としての羽根突きよりも、道具の羽子板に人々の関心が移ります。

羽子板が縁起物になれば、重視されるのは羽子板の装飾であり、浮世絵の美人や人気のある歌舞伎役者を貼り付けた高級な羽子板が販売されるようになりました。いわゆる江戸押絵羽子板という羽子板で立体感があります。三次元の人形には及びませんがが、さしずめ膨らみのある二次元のレリーフと云ったところです。

遊戯としての羽根突きは廃れても、装飾品としての羽子板は、現在でも大いにもてはやされています。浅草寺の境内では、毎年12月中旬に羽子板市が開かれて大勢の愛好家が訪れます。(写真1、2、3)

この江戸の伝統工芸である江戸押絵羽子板を製作しているところが墨田区向島にあります。「鴻月」という羽子板資料館です。東京都文化功労賞受賞者である西山鴻月氏が今でも押絵羽子板を製作しているとのことです。
(写真4、5)

柳宗悦らと共に民藝運動を推進した陶芸家の河井寛次郎は、暮らしの中の「用」の美に魅せられたと云って、実用品の中に工芸美を見出した芸術家です。

日本の伝統工芸は、最初は実用品として製造され、やがて製品を美的に観賞する人々が多くなり、その要求に応えて美術品として制作されるようになったものが多くあります。その最たるものは日本刀ですが、遊具から工芸品に発展したこの江戸押絵羽子板もその一つです。
(以上)
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【2015/01/01 16:19】 | 文化 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
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