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仏陀の教えと蓮のことなど
                       1.不忍池:蓮-39D 1408q
                       写真1
             2.不忍池:蓮-42D 1408q
             写真2
                                    3.不忍池:蓮-34D 1408q
                                    写真3
                       4.田-09P 92(茨城県 85~98P)
                       写真4

インド古来の宗教はバラモン教で、お釈迦様もバラモン教徒でしたが、そのカースト制度に疑問を抱き、王位を捨てて出家し厳しい修行の道に入り、悟りを開いて仏教の開祖になりました。

お釈迦様は、現世では誰もが遭遇する病気、老い、死の苦しみから逃れる道を求め、現世での執念を捨てることが悟りの境地に入る道だと悟るのです。執念を捨てることを解脱と言い、悟りの境地を涅槃(ねはん)と云います。涅槃では煩悩が統御され、心は寂静に浸れます。

蓮の葉で覆われた池は暗くて泥沼の底は見えません。その泥沼から一本の蓮の茎が伸びて水面の顔を出し、一輪の花を咲かせます。しかし蓮の花は、密集して咲くことはなく、散在して一輪ずつ咲きます。その様は、鬱蒼と繁る蓮の波間に、一灯づつ明かりを点しているようです。(写真1)

泥沼の池の底を現世に喩えれば、そこは欲望や苦しみと言う人間の煩悩が渦巻くところです。欲望を捨て去り、苦しみを乗り越えた人だけが泥沼から這い出して、悟りの境地に達することが出来るのです。蓮の池に咲く一輪の花は、解脱した一人の人間であり、涅槃での喜びに浸る姿です。(写真2)

蓮の花は、仏教徒の日本人には特別の感情を抱かせる花です。それは、お釈迦様を連想させ、高貴で神聖な花だと感じるからです。
(写真3)

その仏教徒の多い日本では蓮の根、即ち蓮根を食べます。世界でも蓮根を食べる民族は少なく、日本人の外は中国人くらいだと言います。何故多くの国では蓮根を食べないのかと言うと、蓮は高貴な花だから食料の対象にはならないと言うのです。

蓮を高貴な花だと見るのは、仏教国に限りません。インド以西の国々、即ちギリシャ、エジプトでも蓮の花は古来、尊敬の対象でした。それは西欧の古代建築の建物や柱に蓮の花の装飾が施されているのを見ても分かります。蓮の花を尊敬する伝統は、ギリシャ文明を受け継いだヨーロッパ世界にもあるのです。

明治初期に来日し、東北地方を旅行した英国人女性紀行家イザベラ・バードは、その旅行記のなかで「あの壮麗な花の蓮が、食用!というけしからぬ目的のために栽培されている。」と痛烈に批判していますが、これはヨーロッパ人の蓮に対する共通の観念でした。

蓮という植物が日本で食物として栽培されたのは稲作と関係があります。今でもそうですが、茨城県や千葉県では田圃にするには深過ぎる沼地を蓮田にしています。弥生時代のあるとき、蓮の根を太く改良して沼地で食用に栽培し始めたのだそうです。(写真4)

外来の宗教を在来の宗教と両立させることが出来た日本人には、花の崇高性と根の実用性を両立させることなどは簡単なことでした。
(以上)
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【2014/09/29 09:20】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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