FC2ブログ
写真展「スピリチュアル・ワールド」を観て
写真展「スピリチュアル・ワールド」の入場券qt

いま東京都写真美術館でコレクション展「スピリチュアル・ワールド」(2014.5.13~7.13)が開催されています。具象を題材にする写真がスピリチュアルな世界をどのように表現できるのかと興味をもって観に行きました。

テーマ別に「神域」「見えないものへ」「不死」「神仏」「婆バクハツ」「王国・沈黙の国+ジャパネスク・禅」「全東洋写真・インド」「デクナメーション」「湯船」の9つに分かれていて、30数人の写真家の作品が展示されています。

社寺の建造物の造形美から精神性に迫る写真、仏像などの信仰対物を直視して信仰そのものに迫る写真、信仰に生きる人々姿や所作から精神生活を写した写真など、多岐にわたる作品183点の大きな写真展です。

冒頭に述べた私の興味の観点からすると、最初のテーマ「神域」の説明文にあった西行の和歌「なにごとの おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という日本人の宗教観を顕す作品に最も強く惹かれました。

この和歌は、僧侶である西行が伊勢神宮を参拝して感じた神聖を素直に詠んだものですが、神を詮索することなく恐れ多いと畏敬の念に浸る心境は、信仰を持つ持たぬにかかわりなく、多くの日本人には容易に理解できるものです。

古来、日本人の感じるスピリチュアル・ワールドは、既成宗教が教える世界とはかなり違うものです。日本人の宗教感覚の性格を最もよく顕しているのは神道と言われていますが、それは具象的でありながら具象にこだわらない抽象性にあります。八百万の神々を信仰することは神の形式にこだわらないと言うことですから。

この宗教の抽象性を、もっぱら具象を取り扱う写真機で如何にとらえるか、その観点から一番先に感心したのは東松照明の「太陽の鉛筆 西表島」(作品31)でした。二艘の沖の小舟に向けて老婆とおぼしき二人の女性が拝むように両手をさしのべている情景です。

古来、日本では人は死ぬとその魂は海の底深くに行くと伝えられていました。ご先祖様は海底に住んでいるとの信仰は、社寺を海辺に、岬に建立する習慣として残っています。二艘の小舟には二人の女たちの漁師の夫たちが乗っているのでしょうが、この写真から小舟にはあの世のご先祖さまが乗っていると理解すると、この写真の精神性を感じるのです。

リアリズム写真家として有名な土門拳は、室生寺の仏像を観て霊性に触れ、古寺巡礼の写真撮影を始めたと言われますが、今回の写真展には仏像の顔を正面から撮った大画面の写真が四枚展示されています。

法隆寺東院夢殿観音菩薩(作品59)は迸る情熱を、中尊寺大日如来(作品60)は慈しむ愛情を、室生寺金堂十一面観音立像(作品61)は深淵なる知恵を、神護寺金堂薬師如来(作品62)は静かな中の強い意志を顕しています。被写体に肉薄する土門拳のカメラで見事に仏像の霊性をとらえています。

二人の高名な写真家、渡辺義雄と石元康博が、伊勢神宮について夫々の角度から全景と部分をとらえた写真を展示しています。伊勢神宮は皇室の氏神であり、同時に日本国全体の鎮守の神社です。西暦6世紀に建立され、爾後20年ごとに建て替えられて今日に至りますが、建造物として造形の美しさはモダンでさえあります。

この写真展では伊勢神宮の外形だけが写されていますが、氏神様を参拝した人は皆ご存じのように、多分、神殿の中には鏡と榊と短冊があるだけで、仏教の寺、キリスト教の教会にあるような飾り立てるものは全くありません。そのシンプルさは外観にも及び、装飾的な造作は出来るだけ削り落としたのが伊勢神宮なのです。神道の抽象性を建造物でも顕しているのです。

まだまだ語りたい作品は数多くありますが、特に印象に残った三点について感想を述べました。
(以上)
スポンサーサイト



【2014/05/15 14:03】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<桜の花を訪ねて 3 奈良の桜 吉野の山 | ホーム | 早川克己展「盆栽都市と蜃気楼」を観賞して>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://wakowphoto.blog61.fc2.com/tb.php/632-f79bccc2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |