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初めて訪れるところ
                    中尊寺-01P 99q
                    写真1 中尊寺の高台からみた農村風景
                  牛込門石垣-01D 0806q
                  写真2 中央線飯田橋駅近くにある牛込門の石垣

写真撮影に興味を持つ人なら誰でも初めて訪ねる場所に心躍るものです。そこには何か新しい被写体が見つかるかも知れないとの期待があるからです。

その気持ちはカメラを持たない人も同じです。
ゲーテは長編戯曲「ファウスト」で次のように語っています。
「初めて立つ岸辺で、初めて浴びる陽光は、初めて味わう温かさだ。人はきっと、その新鮮な光に魅了される。初めての場所を訪れると、そこで初めてではない何かに接しても、きっと初めての何かを発見する。」(金森、長尾編集「超訳 ゲーテの言葉」より)

ゲーテは37歳のとき3年弱に及ぶ長いイタリア旅行に出かけてイタリア文化から多くを学びますが、南国イタリアの陽光は、太陽の少ないドイツに育ったゲーテにとって、ひときわ強烈な印象を与えたと想像するのです。

旅の印象を語る人を挙げるとすれば、漂白の詩人、芭蕉をおいて外にありません。有名な「奥の細道」はその旅の記録ですが、芭蕉は尊敬する歌人、西行法師の足跡を訪ねて東北地方を旅しました。

大阪で育ち江戸で暮らしていた芭蕉が、3月下旬から8月下旬までの5ヶ月もの間、東北各地をめぐる旅をするのは、当時の状況を考えると45歳になっていた芭蕉には命がけのことだったと思います。それ程までに芭蕉を旅に駆り立てたものは何だったのでしょうか。それは、西行に霊感を与えた自然の風光を、自らも感じ取って俳句に表現しようとする旅でした。(写真1)

「あらたうと 青葉若葉の日の光」という日光詣のときの句は、徳川将軍を賛美したものと解釈する人が多いですが、実は芭蕉の心は男体山をご神体とする二荒山神社への感謝を表現したと言われています。山の何処にでもある平凡な青葉若葉の日の光に、神を見たといったら良いでしょう。

ゲーテの言葉に「初めてではない何かに接しても、きっと初めての何かを発見する」と言っていますが、二度、三度訪れても新しい発見をすることは間々あります。

明治の文人、永井荷風は随筆「日和下駄」で次のように書いています。
「今日東京市中の散歩は私の身に取つては生れてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。之に加ふるに昔ながらの名所古蹟を日毎年毎に破却して行く時勢の変遷は、更に市中の散歩をして悲哀無情の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現はれた荒廃の詩情を味はうと欲すれば伊太利に赴かずとも手近の東京を歩むほど、無惨にも痛ましい思をさせる処はあるまい。」

このように、荷風は東京の山手を散策しながら消えゆく江戸の名残を惜しんでいるのです。

関東大震災と東京大空襲の二度の大火で江戸の遺跡は殆ど消えましたが、それでも石造の構築物は所々に残っています。その多くは、江戸城だった皇居近くにあります。例えば江戸城の牛込門だった大きな石垣を見て、往時の武士たちが出入りする姿を想像するのも又新しい発見です。(写真2)
(以上)
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【2013/01/01 10:19】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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