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写真とは一体何者か
写真の本質がドキュメンタリーにあるとしても、ドキュメンタリー写真にも色々な分野があります。

一般的にはドキュメンタリー写真と言えば報道写真のことであり、報道写真とは事件や事故を一般大衆に知らせる写真です。事件や事故ではありませんが、世間に知られていない事柄を発見して世人に知らせる写真も報道写真と言います。

事件や事故を伝える写真は「異常」な状態を伝える写真ですし、未知の世界を紹介する写真も日常的には見られないと言う意味で同じく「異常」な写真です。

「日常的」な情景を撮影した木村伊兵衛やアッジェやアボットは、記念碑的な建造物や祝祭の行事はハレの舞台ということで撮影しませんでした。日常的な情景は絶えず変化して何時かは消え去るものですが、ハレの舞台は容易に変わらないので、記録する価値はないと見たのでしょう。

時間の経過とともに消え去るものを記録に留めることが、写真が写真たる本質だとすると、それだけで写真は芸術たり得るのかとの疑問が湧きます。写真の本質がドキュメンタリーにあるとの主張は、写真の芸術性を弱めるのではないかとの疑問です。

嘗て、写真は絵画や文学や音楽のように芸術ではないと批判され、写真は芸術形式を持っていないと断じられた時代がありました。やはりそうだったのかとの疑問が湧くのです。

しかし、他方では、写真はその他の芸術のような芸術形式は持たないが、彼らが追求する主題を芸術作品に変える特別の機能を持っていると、反論する人もいます。

この写真が持つ特別な機能は、他の全ての芸術を表現し、解説し、統合することが出来ると言う、他の芸術に対して超越した機能なのだと言うのです。と言うことは、写真芸術は、芸術のメタ(超)芸術の地位を占めていると言うのです。

これはある意味で、写真はメディアに変身したと言うことと同じです。メディア論で有名なマーシャル・マクルーハンによれば、メディアは本質的に無内容だそうで、だから今やあらゆる芸術は写真の条件に憧れるのだそうです。

何か狐につままれたような結論になってしまいましたが、これが写真の正体なのです。
(以上) 
 
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【2012/11/06 13:30】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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