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写真の表現 それは現実の解釈

写真家は、しばしば大きなものを小さく撮ったり、狭い空間を広く撮ったりします。その方法として、写真家はカメラアングルを変えたり、広角レンズや望遠レンズやマクロレンズを用いたりします。

現実の姿をありのまま撮るのではなく、画面構成に強調を加えることで、現実について他人と違った見方を示します。写真家は、単なる事実を記録するのではなく、事実に「解釈」を与えます。

絵画では画家の解釈で現実をいかようにも変形して表現できますが、写真は絵画と違って、対象となる現実を自由に描き変えることは出来ません。カメラという機械は絵筆のように自由には使えないからです。

しかし、カメラという機械の不自由さは、写真機で写された現実のディテールが個人の創作ではなく厳然たる事実である、ということで十分に償われます。この客観性が写真家の「解釈」に力を与えるからです。

それでは「解釈」はどこで行われるのか?
大きくは、森羅万象の何処を如何に取り上げるかですが、詳しくは、画面の構成、強弱と大小の割合、色彩の組合わせなどです。これらを十分考えて、あるいは瞬時に、撮影行為のなかで行うのが写真家の「解釈」です。

俳句の世界では写生句を重視する伝統があります。短歌の世界でも景観だけを客観的に述べただけの歌が沢山あります。その句や歌に、一言も感情を歌った言葉がなくても、詠み人は描いた事実に万感を込めているのです。それを読み取るのが詩歌の世界です。

詩歌を鑑賞するとき、想像力を働かして詠み人の心の世界を遊弋します。それは異次元の世界にワープするような心境です。詠み人と違った世界にワープしてしまうかも知れません。写真を鑑賞するときも、同じことが起きます。見ている映像が現実とは全く違ったものに見えるのです。超現実の世界と云って良いでしょう。

次の写真は「解釈」の作例です。狭く短い水路脇の通路は遙か彼方まで続いているようです。樹木の皮がワニの背中のように見えてくるのです。そう見えませんか?
(以上)


隅田川:テラス-14P 02q

                      樹皮-01Pqc


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【2006/09/13 08:36】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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