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決定的瞬間の意味

先日、東京都写真美術館で上映された「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」というドキュメンタリー映画を鑑賞しました。

カルティエ=ブレッソンは初め画家を志し、一時、ジャン・ルノアール監督の下で助監督をしたこともある、多才な写真家ですが、この映画は、彼の死の少し前、彼自身が主演し、彼の作品を回顧する形式で進められるドキュメンタリー映画です。

写真に関心がある人達には一度は見たことのある彼の作品が、次から次へと画面に登場し、彼自身の意見や感想が述べられたり、彼と親交のあった写真家(エリオット・アーウィット、ジョセフ・クーデルカ)、作家(アーサー・ミラー)、女優(イザベル・ユペール)、その他大勢の関係者達がカルティエ=ブレッソンの人と作品を批評してます。

被写体はメキシコ、インド、中国、ソ連、日本など世界各地で撮られたものですが、なんと言っても母国のパリでの作品は多く、更に画家、文学者、詩人、実業家などの有名人のポートレートは、カルティエ=ブレッソンならではの絶妙なチャンスを捉えた写真で満ちています。

世間ではカルティエ=ブレッソンと言うと「決定的瞬間」を撮った写真家というように云われますが、映画の中で彼自身と批評家達は、その意味を次のように云います。

カルティエ=ブレッソンは、眼前の光景がバランス取れた瞬間が決定的瞬間なのだと、簡明に説明します。一枚一枚の自作の写真を彼は「これは事物や人物の配置が良い」という言い方でバランスの意味を解説します。

続けて、ジョセフ・クーデルカは云います。一枚の写真でも彼の写真には多くの物語が含まれると。バランスの取れた写真とは、見る人によって異なる物語がある写真になると云うのです。

目に見える光景は絶えず変化しますし彼自身の目も移動しますが、その中で背景も対象も、全てが一つの均衡ある関係になった時が決定的瞬間だと云うのです。

ですから、カルティエ=ブレッソンの云う「決定的瞬間」とは「事件」などの決定的瞬間を意味しているのではなく、変動して止まない日常の出来事に「情況」のバランスを発見したときなのだと理解しました。

そう考えれば、決定的瞬間は身の回りに幾らでもあるのです。ですから、カルティエ=ブレッソンは写真集の序文で「決定的瞬間を持たないものなど、この世に存在しない」と云っています。

彼の名前を「決定的瞬間」と結びつけた1952年出版の写真集「The Decisive Moment(決定的瞬間)」の原著は「Image a la sauvette(逃げ去るイメージ)」というタイトルであることも、決定的瞬間の意味を物語っています。

決定的瞬間は常に身の回りに生起しているから、これを一瞬のうちにフィルムに固定しなければ逃げ去ってしまうのです。カルティエ=ブレッソンは、そのような瞬間を認識する才能と、それを瞬時に固定する技術を兼ね備えた希なる写真家でした。

マン・レイは何処かで述べています。「写真とは、現在を過去に結ぶものであり、絵画は現在から未来への過程を示すものである」と。
しかし、現在を確実に、そして十分に理解するためには、逃げ去る過去を固定して良く知ることが大事なことだと、カルティエ=ブレッソンは考えていたのでしょう。
(以上)
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【2006/08/22 10:09】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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