FC2ブログ
形態と連想について

評論家スーザン・ソンタグは「写真は説明しない。写真は認識するだけである」と云います。写真は一つの断片で以て、森羅万象にひとつの解釈を示します。写真は、解釈した被写体の形態で、観る人々に働きかけます。何を連想しますかと。

私は、それに答えず逆に問いかけます。
撮影者は、森羅万象の中から何に興味を以てこの写真を撮ったのですかと。
更に問いかけます。
撮影者は、被写体を見てシャッターを切ろうとするとき、何を連想したのですかと。

造園の世界では、「写し」と「見立て」ということが言われます。
「写し」の例としては、ヨーロッパ諸国の間で庭園様式が他国へ伝播したことが指摘されています。その一例としてイタリア式庭園はヴェルサイユ宮殿へ写されたと云われます。

「見立て」とは、水を落として滝とし、流して川とすることです。各地にある「何々富士」「何々銀座」も「見立て」です。「見立て」とは、人工的なものから自然を、本物の世界を想像させるのです。造園には高級な連想ゲームの要素があります。

写真にも、連想が連想を生む面白さがあります。
写真撮影というのは、三次元世界を二次元世界に「写す」行為ですから、造園のような「写し」は問題ではなく、写真では被写体を何に「見立て」たかが大事です。

撮影者が何を被写体に選ぶか、被写体の何処に焦点を合わすか、ここに写真の「見立て」作業の上手、下手が現れます。また、写真の「見立て」は、写真を見る人々によって、いろいろに広がります。写真鑑賞は「見立て」の連想の力のあるなしで、深くもなれば浅くもなりなす。

さて、「見立て」は、撮影された断片から別の世界を想像させるのですが、下に掲げた二枚の写真で、皆様は何を連想されますか?

私なら、屋根の写真は、「左前に着る着物を右前に着るなんてだらしがない」と感じます。配電線の写真は、「人の会話を立ち聞きしている行儀の悪い人がいる」と読みます。
(以上)


抽象-04P 99h

                    壁に電線-03Phrqc

スポンサーサイト



【2006/07/28 10:11】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
<<シルエットの表現 | ホーム | 木目の造形 >>
コメント
スケールの感覚をつかめない写真
CareeGirlさん、素晴らしいコメントをされます。「スケールの感覚をつかめない写真」とは至言です。スケールは既存の常識の尺度ですが、それから外れると別の世界に翔びたてるのです。微細なものが巨大なものに、巨大な物が微細なものに、瞬時に変化します。
【2006/07/31 07:10】 URL | wakowphoto #-[ 編集] | page top↑
頭の切り替え
何を連想させるか。そう考えたとき、自分が仕事から頭が切り替わっていないんだってことを痛感して少々衝撃が走りました。だって、インスピレーションが来ずに、雑念が入るんですもの!!イカンイカン!でもそれを認識できて良かったです。ワタシも木のアップを取ったり、石のアップを撮るのが好きです。スケールの感覚がつかめない写真をみるのが楽しかったりするんです。そうすると、ロールシャッハテストのように、色んなものが見えてきて、それだけで時間が経ってしまいます!
【2006/07/28 11:14】 URL | CareerGirl #-[ 編集] | page top↑
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://wakowphoto.blog61.fc2.com/tb.php/40-29470579
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |