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廃屋の魅力
     廃屋-04P 98r

                              錆びたトタン-05P 98r

     廃屋-03P 00r

                              廃工場-01P 00r


廃墟の撮影で有名な写真家宮本隆司氏は、廃墟は死体であるが、そこには生と死の両方が現存している、立派な建物は所詮作り物であり、虚飾に満ちていると考えていたようです。

川端康成が死者と相まみえるとき、暫し凝視してその場をなかなか立ち去らなかったのは、死者の中に動かし難い実存を見出していたからだと聞いたことがありますが、宮本隆司の考え方には、この川端康成に通じるものがあります。

私はそんなに立派で深い考えはありませんが、街中で廃屋に出会うと写真を撮らずにはおれない気持ちになります。

廃屋は通常の意味で決して美しいものではありません。むしろ街の美観を損なうものです。しかし、傍を通って見過ごすことのできない何か魅力を感じる被写体です。

それは宮本隆司氏の言うように生と死の両方が存在するという堅苦しい感覚ではなく、朽ち果てていくものへの哀れさ、「可哀想」という感情です。

確か坪内逍遙はシェイクスピアのある戯曲の中で「可哀想とは可愛いってことよ」と翻訳したように、また夏目漱石はある小説の中で「可哀想とは惚れたってことよ」と語らせたように、「可哀想」とは情緒的愛着を示すものです。

しかし、私の可哀想という感情は「かわいい」と言うのとも違いますし、とても「ほれた」という程には参りません。「ごくろうさん」でしたという程度です。去りゆくものへの哀惜と感謝の気持ちです。

「ごくろうさん」と感じたショットを掲げました。
(以上)
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【2010/03/13 09:51】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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