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永井荷風と木村伊兵衛
          2.アリゾナ-01D 0811qrc
          写真1 レストラン「アリゾナ」
                                   1.浄閑寺-08D 0811qr
                                   写真2 浄閑寺

                                   
木村伊兵衛は永井荷風の写真を何枚も撮っています。木村伊兵衛は、晩年の永井荷風と親しかったようで、よく連れだって歩いていたと云います。山高帽を被った荷風が、浅草仲見世通りにぬうっと姿を現したところを撮った木村伊兵衛の写真は荷風の風貌をよく捉えています。

永井荷風が好んで食事した「アリゾナ」という西洋レストランが今でも浅草仲見世の裏通りにあります。その「アリゾナ」の店内に永井荷風の大きな写真が飾ってあります。店主に聞きますと、これは木村伊兵衛が撮ったものだと云いました。
(写真1)

荷風の詩碑と筆塚を見るため浄閑寺を尋ねたとき、寺の住職から「浄閑寺と荷風先生」と題する小冊子を頂戴しました。その冒頭に永井荷風がこの寺を訪ねたときの写真が4枚載っていました。

浄閑寺で過去帳を読む荷風、墓地入口から出てくる荷風、浄閑寺の玄関で靴を履く荷風、浄閑寺の境内を歩く荷風です。どれも荷風先生の風貌を余すところなく捉えた素晴らしいスナップ写真なので、多分これらも木村伊兵衛の手になるものと推測しています。

永井荷風は若い頃、ニューヨークとパリで過ごしました。「あめりか物語」「ふらんす物語」はその時の経験をもとにして書いたものですが、西欧社会を観察しながら、早くも男女の関係の儚さを描いています。

向島の遊女との交渉を描いた小説「濹東綺譚」は本人の体験記と云われています。老いて浅草のストリップ劇場の楽屋に入り浸った姿は写真に残っています。死んだら三ノ輪の浄閑寺に葬ってくれと願い、遺族に拒まれた話も有名です。浄閑寺は吉原の遊女達の投げ込み寺でした。
(写真2)

荷風は男女間の機微を描いて官能的、耽美的な作家と云われていますが、同時に実生活では意外に自己規制的な性格を持っていました。

荷風は少年時代に自分の庭先で蛇が蛙を飲むのを見て神の摂理を疑ったと云います。一つの命が長らえるには、もう一つの命の犠牲が必要という現実に不条理を感じたのです。小説では自由奔放の生活を描いていますが、実生活では私小説作家のような破滅型ではなく、極めて用心深く、合理主義者でした。

永井荷風は、このように西欧的な批判精神の持ち主でありながら、他方では屈託に満ちた日常生活を送る陰翳のある人物でした。木村伊兵衛の写真は、このような荷風の陰翳に満ちた風貌、姿態を巧みに捉えています。
(以上)
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【2008/12/16 14:46】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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