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プラトンは、物質界の背後にある理想的な世界をイデアと称し、イデアこそが真の実在であり、そこに真善美があると言いました。ですから、人々が真善美を求めるのは、真の実在である理想を求める行為だと言うのです。
写真で真の実在を求めると言ったら大げさなと笑われますが、写真は真善美の中でどれを一番に求めているかと問われれば笑い飛ばしては済まされません。 写真は「真」を求めません。写真が真実を写さないことは写真を撮った経験のある人なら分かります。photograph を「写真」と訳したことが間違いでした。英語の元々の意味は、光(photo)で描く(graph)という意味です。昭和の初期に、「光画」という写真雑誌が出版されていますが、これは photograph の直訳であり、正しい理解です。 写真では真実を求めないで「善」を求めるでしょうか? 写真で「善」を奨めた実績は沢山あります。善は道徳観ですから人さまざまの善があります。アメリカ・ドキュメンタリー写真は、連邦政府が社会的正義を実現するための手段として写真を使った結果生まれたものです。 大恐慌(1929)後、アメリカ社会の矛盾は至る所に露呈し、貧困が多くの社会問題を発生させます。過酷な工場労働、荒廃した農村、移民達の貧民街、痛ましい児童労働などです。連邦政府は、社会政策立案のため敢えて社会的恥部を写真に撮らせて、それを議員たちに見せて理解を求めたのです。 連邦政府の要請を受けた社会派写真家たちは、写真で社会が変えられると信じて撮影に従事しました。しかし、やがて彼らは事実の報道写真の中に美を発見していきます。彼らは記録写真に留まることにあきたらず、それを芸術的表現に高めていきます。 近代写真の始祖マン・レイは、写真機を絵筆にして「美」を求めた芸術家です。写真に社会性、ドキュメンタリーなどに求めても、結局は「美」に至ります。アメリカ・ドキュメンタリー写真家たちも最後は美を求めました。 写真家は現実の中から美しい物を探し、美しい所を探し、美しく撮ろうとするのです。人々は写真に美を求めるのです。 (以上) |
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