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写真は真実を写さない
写真が真実を写さないことは、写真を撮ったことのある人は皆気付いています。そのことが一番良く分かるのは自分を写した写真です。自分を自分で見れるのは鏡ですけれど、鏡に映った自分と写真に撮られた自分が余りに違うのに驚かない人はいないでしょう。

カラーフィルムが世に出たとき、日本では天然色と言いましたが、外国ではテクニカラーと言いました。天然色という言葉には、カラーフィルムは自然の色を写しているとの驚きがあります。しかし、テクニカラーには人工色という意味があります。テクニカラーの方が正直な表現でした。

生まれたばかりのカラーフィルムの色は不自然でしたが、その後品質の改善が進み、天然色という言葉に恥じない素晴らしいカラー写真が撮れるようになりました。それでも、白黒だけのモノクロフィルムへの需要は根強いものがあるのは何故でしょうか?

その理由として、カラーでは表現出来ない深遠な映像がモノクロ写真で表現できるからだと言われています。その主張を否定するわけではありませんが、別の観点からカラー写真は、いくら品質改善が進んでも所詮人工的な色彩であり、自然の色彩には敵わない、それ故モノクロ写真を選ぶのだとも言えます。

写真が真実を写さないのは色だけではありません。同じ被写体がカメラアングルで千変万化することは写真を撮る人は誰でも知っています。カメラアングルの数だけ真実があると言うのでは、何が真実か分からないということです。カメラアングルで物体の真実を写すのだと主張も怪しいものです。

カメラアングルとは、撮影する人が被写体の何処を見たいかで決まります。それは撮影者の主観です。主観は避けられないし、また悪いものでもなく、却って積極的に評価するものだと主張する人もいます。しかし、そうであれば異なった真実が幾つも存在することを認めることになります。

シュールレアリズムの写真は、眼に見える被写体の存在を越えるところに真実を求めたのです。画面の白黒を反転させたり、多重露光で異質のものを対比させたり、心象を比喩で構成したりして、被写体の奥に潜む真実の存在を求めたのです。

かくして写真は真実を求めて、益々迷路に入り込んで行きます。写真は真実を写さないと開き直った方が気が休まりますし、楽しくなります。
(以上)
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【2008/04/21 09:52】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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