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土田ヒロミの写真展
東京都写真美術館で写真展「土田ヒロミのニッポン」が開催されています(07.12.15~08.2.20)。

写真展の名前が「ニッポン」となっているのは、写真家土田ヒロミ氏が写真で追求したのは正にニッポンだからです。そのニッポンも、表面的な現象としてのニッポンでなく、日本社会の底流に流れる根源的なニッポンとは何かを明らかにしようとした写真展です。そして、その方法もメジャーを避けてマイナーな現象から根源に迫りました。

写真展は、「俗神」「砂を数える」「パーティー」「新・砂を数える」「ヒロシマの三部作」「続・俗神」の6部に分かれています。以下に各部の感想を述べてみます。

「俗神」は土田ヒロミ氏が写真家としての出発点となった作品群でして、日本の高度成長期にその光に当たらない農村地帯の風俗を撮影したものです。土俗的な神事を撮るよりも、消えゆく生活風俗を撮影したものが良いと思いました。その中で「秋田・黒湯」の老婆たちの入浴風景、「青森・岩木」の湯治場風景が印象に残りました。背後に土俗信仰を感じさせます。

「砂を数える」は、群衆のエネルギーを直截に、余すところなく捉えた傑作の作品群です。この大衆のエネルギーが戦後日本の復興を成し遂げたのです。大衆はこれらの写真を見て、ここに自画像があると思ったでしょう。

中でも、「初詣 鎌倉」の2点は圧巻だと思います。参道を埋尽くす新年の参拝者を、背後から前面から捉えたものです。特に、背後から撮影した写真は、黒髪の頭、頭、頭と、画面が真っ黒です。現在のように白髪も茶髪も混じっていません。日本人が集団になると黒山の人だかりになるとは、このことかと納得しました。黒山の群衆は当時のエネルギーを示しています。

「パーティー」は一連の作品群の中では異色の写真です。ハレの場の有名人?をアップで捉えています。作者はバブル経済で踊る日本の一面を捉えたと言いますが、人物の豊かな表情や仕草は、性格までスナップしていて、見ていて飽きません。バブルに浮かれた軽薄さというよりは、明るく陽気な人々で好感を持てるショットです。

「新・砂を数える」は、前作の「砂を数える」が凝縮する群衆であったのに対し、拡散する群衆です。広いスペースに散在する人物が、拡散しながらも相互の関係を維持して、夫々の動きを示しています。凝縮する群衆にあったエネルギッシュな動きはありませんが、その代わりに、調和の姿があります。高度成長から安定成長への世相を形で示したものです。

その中で、自然を背景にした「横浜」「鳥取」「三国」「秩父」「三春」は、広がる群衆が心地よい調和を表していましたが、人工的な施設を背景とした「東京(流れるプール)」「東京(お台場)」「十日町」「養老」は施設のどぎつい色彩が目立ち、調和というより攪乱を感じます。安定した社会で人々は色彩感覚を失い、原色の氾濫に鈍感になったことを示しているのでしょうか?

「ヒロシマの三部作」は、原爆の遺品、原爆体験者のその後の集めた写真です。物言わぬ遺品や体験者が、無言の表現で迫ります。「パーティー」の諸作品からは想像できない写真家土田ヒロミの一面をみます。

「続・俗神」は日本の祭りを記号化したものだと作者は言います。しかし、最初の「俗神」が当時の風俗を撮影して伝統的な土俗信仰まで連想させるのに対し、この「続・俗神」で風俗の衣裳を纏った人間は、形の面白さに終わっています。記号化するのであれば、縄文時代までを連想させる何かが欲しかったと思います。
(以上)
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【2008/02/12 15:35】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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