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江戸城と大阪城の石垣
皇居の濠-01P 06qc
写真1 江戸城の石垣

                   大阪城:石垣-02D 0710qc
                   写真2 大阪城の石垣

                                  大阪城:石垣-09D 0710qc
                                  写真3 大阪城の石垣

石垣部分-07P 92q
写真4 江戸城の緻密な石積

                   大阪城周辺-02D 07010qt
                    写真5 大阪城の大手門の巨石

                                  石垣-37P 96qtc
                                  写真6 江戸城の天守閣の基石

西欧や中国では領土や街を外敵の攻撃から守るため城は築かれました。しかし、日本の城は戦う武装集団の根拠地を守るために築かれました。

天下を制した豊臣秀吉の大阪城と徳川家康の江戸城は、ともに日本全国を支配する軍事的拠点として築かれたものです。大阪城は戦火で、江戸城は火事で、いずれも天守閣を焼失しました。大阪城の天守閣は市民の力で復興しましたが、江戸城の方は天守閣の土台だけです。

しかし、両方の城の城壁は往時のまま残っています。日本全国にある城は、この二つの城に限らず基本的には殆ど同じ形です。戦法と武器が同じで、築城の技術と石工(いしく)を共有しており、築城の材料が似ていれば、同じような城壁が生まれるのは自然です。

ここでは、軍事的観点よりも美的観点から江戸城と大阪城の城壁を眺めてみたいと思います。

基本的には江戸城も大阪城も、その城壁は殆ど同じに見えます。それは無理からぬことで、豊臣が築いた大阪城は、後の支配者である徳川によって、徳川の威光を高めようと豊臣の記憶を消す改築が施されたからです。

濠を囲む石垣は、江戸城も大阪城も共にやや乱雑な造りです。個々の石の大きさは区々であり、石垣にも隙間があります。また、武者返しの反りも熊本城のように強くありません。濠を越えてくる敵兵は、これで十分に防御できたのでしょう。

これらは近づいてみると余り美しいものではありませんが、遠くから全貌を見て、塀や櫓や門と組み合わせた景色は優雅に見えます。大砲という火器を持たなかった日本では、西欧や中国のような、大きくて頑丈で無骨な城は要らなかったのでしょう。(写真1.2.3)

しかし、城の外側でなく、城内の石垣になりますと、かなり装飾的石垣を見ることが出来ます。平時に出入りする門の石積や、常時利用する城内の建造物などの基礎の石積は、緻密に積み上げられているものが残っています。(写真4)

南米インカ帝国の、巨大にして精密な石の加工技術には及びませんが、隙間のない石垣の擁壁や建築基礎は、江戸城の方に多く残っています。このような装飾的石垣は、戦火で破壊される前には、多分、大阪城にもあったと思われます。大阪城の大手門は巨大で緻密な石垣です。(写真5)

また、石垣の色彩にも工夫がこらされています。江戸城の天守閣の土台は、石の色違いを巧みに組み合わせて、一松模様をみるかのようです。それは天守閣が存在しないだけ目立つのかも知れません。(写真6)
(以上)
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【2008/01/01 11:16】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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