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東松照明の写真 TOKYO 曼荼羅から
東京都写真美術館で東松照明の写真展「TOKYO 曼荼羅」が開催されています。東松は、今までにマンダラと称する写真展を「長崎マンダラ」「沖縄マンダラ」「京まんだら」「愛知曼荼羅」と4回開催しており、今回は第5回目に当たり、東松はこれを最後にしたいと言っています。

東松は名古屋生まれで、撮影のため長崎、沖縄、千葉などに移住して作品を制作していますが、今回は、東京を拠点として撮影していた時代、即ち20~60歳代の40年間に撮影した1183点から選んで、「TOKYO 曼荼羅」と題したと言います。

曼荼羅とは仏教で宗教的世界観を視覚的に象徴したものですが、東松が「曼荼羅」と言うとき何を意味するのかは作品を通して理解する外なく、「TOKYO」の意味も活動拠点が東京だったと言うことだけですから東京に特に意味があるわけでもなく、要は東松が青年期から壮年期に写真撮影で何を求め、何を訴えたかを作品で示そうとした展覧会だと言って良いでしょう。

そう考えると、戦後の日本を写真で切り取ってきた東松の主張が明瞭に現れた写真展であると思います。

敗戦後の日本で、占領軍の姿は日本人に強烈な違和感を与え続けました。東松の写真集「チューインガムとチョコレート」は、その違和感を克明に映像化した作品です。好き嫌いを越えて、異質な物への強烈な興味が、東松をして米兵とそれに関わる日本人を撮り続けさせたのでしょう。今回の会場で、間欠的に展示された「チューインガムとチョコレート」の多数の写真は、東松の撮影態度の基調を示すものとなりました。

次に興味を持ったのは、東松の写真には、部分を示して全体を理解させる類の作品が数多くあることです。そのような作品として原爆のヒロシマ・シリーズは既に有名ですが、アスファルト・シリーズや砂浜の廃棄プラスティックを題材にした作品も、写っているモノの背後にあるものを暗示して、見る人に深い思考を求めます。

第三に、「インターフェイス」28点は、海底の岩に棲息する貝、海草、虫などが描く生命の軌跡を撮影したものです。ここには人工的なものは一切ありません。しかし、自然は不思議なリズムを以て、人間が想像できない複雑で美しい形態を造形するものだと示しています。

第四に、作品「ニューワールド」は、部分を以て全体を想起させる東松の従来の手法とは違い、象徴を掲げて具象を想像させると言う不思議な写真です。俳句の世界では、詠む人と観賞する人との間に経験や価値観の相違があると、描かれた実像が虚像になり、心の虚像が実像になるという逆転が生ずると言います。東松のこれらの作品を見ていると、虚実の逆転を強いられる心境になります。

第五に、作品「キャラクター」は電子部品が主役になります。「ニューワールド」では有機物と無機物との混成(例えば電子部品と海草の組み合わせ)で虚実の役割を分担させていたのが、個々では無機物だけの世界になります。投げ出された電子部品が、生命のある動物や昆虫に見えてくる映像です。虚実を併せ持つ世界を、電子部品に発見したのかも知れません。

そう言えば、我々が住む現代の社会は、電子部品で動かされている世界です。個々の電子部品は隠されていて私達の目には触れず、それらが動かしている世界を私達は毎日見ているわけです。毎日見ている世界は虚像であり、実像は電子部品にあるのだと、東松は主張しているようです。

曼荼羅は、サンスクリット語で「本質をもつもの」と言う意味だそうです。「キャラクター」は現代社会のエッセンスはここにあり、と主張しているようです。

東松照明は、嘗てテレビで次のように述べていました。
「あらゆる事が閉塞情況にある今、写真が見直される。人々は見えにくい世の成行きを見定めようとして、写真を見る。だから、今改めて写真なのだ」と。

東松が曼荼羅シリーズを「TOKYO 曼荼羅」で最後にしたいと述べた意味が分かりました。
(以上)
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【2007/12/02 10:00】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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