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デザインを見る目 機関車の例
鉄道博物館-04D 06q


                    鉄道博物館-02D 06q



ロンドンに留学した夏目漱石は、随想や手紙の中でしばしば怖れの感情をもって機関車のことを書いています。漱石にとって最も印象的であったものは轟音立てて走る機関車だったようです。当時の機関車は、産業革命の旗手であり、西洋の機械文明の象徴的存在でした。

煙突から黒々とした煙を吐き、線路には白い蒸気を浴びせて、長い釜の胴体の下に連結した複数の巨大な車輪を回転させて驀進してくる機関車は、確かに自然の中では際だって異色の存在です。漱石は、ロンドン留学で西欧社会の個人主義に違和感を感じたのと同じく、機関車で代表される物質文明にも拒否反応を示したのです。

漱石のイギリス留学から一世紀余り経て、その後、蒸気機関車はディーゼル機関車や電気機関車にとって代わられ、蒸気機関車は先進国では珍しい存在となりました。今では、その蒸気機関車は、人々を運ぶのではなく見物するためにローカル線を走らせ、マニア達の愛玩物になりました。

何故、人々は実用に供せられなくなった蒸気機関車に、これ程の興味を持ち続けるのでしょうか? 自動車でヴィンテジ・カーを愛するように、古い蒸気機関車に人々が愛着を感じるのは理解できます。しかし、機関車はヴィンテジ・カーのように姿形が多様ではなく、また個性的でもありません。

蒸気機関車は愛玩物と言うには巨大であり頑丈過ぎます。所謂、可愛らしさに欠けます。しかし、蒸気機関車が走る時の様子は、ディーゼル機関車や電気機関車のように無表情ではありません。表情が人間的なのです。外見は無骨ですが、動力の伝達に蒸気を使っているため、恰も人間が息をしているかのようです。

ロボットが実用に供されたとき、西洋人はロボットをライバルとして受け取り、ある種の敵意を抱いたそうですが、日本人は仲間意識で受け入れました。そのことは工場のロボットにアイドルの名前を付けて使ったことからも分かります。機械に人格を認めるような日本人の感覚は、蒸気機関車への愛着にも働いているでしょう。

時が経ちデザインに馴染んでくると、動く工場のような蒸気機関車に対しても違和感は無くなるのでしょうか? 
或いは、より巨大な建造物の出現で、機関車は相対的に小さく感じられて違和感が薄れるのでしょうか?
もののデザインは、それが誕生したときの印象と、時代を経てからの印象とは違ってくるのかも知れません。

デザインは時代と共に変わります。無骨な蒸気機関車からロケットのような流線型の新幹線まで激しく変わります。しかし、デザインを見る人々の感覚の方も変わります。嫌いだったものが好きなり、モデルチェンジすると旧式のデザインが良く見えると言った経験を、皆さんもしたことがあるでしょう。

最近まで、秋葉原電気街の近くの万世橋の袂に交通博物館がありました。その入口の脇に蒸気機関車D51(愛称デゴイチ)と初期の新幹線の先頭部分が飾られていました。それは機関車のデザインの変遷を示す面白い展示物でしたが、どちらに愛着を感じるか考えるのに良い展示物でもありました。
(以上)
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【2007/08/20 13:22】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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