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夏に小笠原諸島を訪ねて
1.三日月山中腹より:二見港-01D 1409q
写真1  父島の二見港

2.おがさわら丸-01D 1409q
写真2 父島の二見港に停泊する連絡船おがさわら丸

3.三日月山展望台-04D 1409q
写真3 父島の三日月山展望台

4.三日月山展望台より-02D 1409q
写真4 父島の三日月山展望台から見た島々

5.小港海岸-14D 1409qr
写真5 父島の小港海岸

6.父島大通り-05D 1409qr
写真6 父島の大通り

7.父島裏通り-09D 1409q
写真7 裏通りのみやげもの屋に掲げられた日章旗と旭日旗

8.父島:花-04D 1409q
写真8 ブーゲンビリアは南国の花

9.花飾り-01D 1409q
写真9 芝生にも花のアート

10.父島二見港:漁船-03D 1409q
写真10 父島を背景に出帆を待つ漁船たち

11.扇浦海岸:飛鳥Ⅱ-01D 1409qr
写真11 豪華客船 飛鳥

12.青灯台岸壁-14D 1409qt
写真12 民族衣装で観光客歓迎のダンス

13.父島二見港出航-02D 1409q
写真13 離島する飛鳥に漁船は送別のパレード

14.父島二見港出航-25D 1409q
写真14 船で追走しながら送別の挨拶を送る島民達

15.父島二見港:沿岸風景-10D 1409q
写真15 夕焼け空に父島の島影が浮かぶ。

16.小笠原父島:落日-10D 1409q
写真16 雲の隙間から輝きを放つ落日

小笠原諸島は東京都の島です。
1000キロメートル離れた南太平洋に浮かぶ30余りの島です。

人が住んでいるのは父島と母島の2島だけです。
飛行場が無いので島の玄関は父島の二見港です。
東京港から連絡船で一昼夜の航海になります。
(写真1、2)

父島の高台から見る近くの島影は父島の自画像でしょう。
海面からそそり立つ緑濃い島々です。
広大な太平洋の水色の背景に、くっきりと浮かび上がります。
(写真3、4)

小笠原の自然は独自の生態系なので、植物、昆虫など珍しい発見があります。
世界遺産に登録(2011年)されてから訪問者は増えています。
(写真5)

父島の大通りは整然とした街並みで、バスも走ります。
みやげもの屋に日章旗と旭日旗がはためいていました。
小笠原諸島は最南端の日本の領土です。
(写真6、7)

小笠原の家並みには南国の花、ブーゲンビリアが似合います。
足許の芝生にも可愛い花飾りがありました。
(写真8、9)

小笠原諸島は観光が主要産業ですが、漁業も盛んです。
小型の漁船で南太平洋の彼方にまで出かけます。
(写真10)

偶々、豪華客船の飛鳥が小笠原島に寄港していました。
島民は民族衣装で大歓迎です。
(写真11、12)

去りゆく豪華客船に漁船は全力疾走のパレードで見送ります。
島民達は海上まで出かけて見送りの挨拶を送ります。
飛鳥の船縁からも有り難うと挨拶を交わします。
(写真13、14)

やがて、水平線に沈む太陽は小笠原の空を橙色に染め上げます。
父島の島影を浮かび上がらせて、落日と雲のドラマは尚続いていました。
(写真15、16)
(以上)
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【2019/08/31 16:01】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
菊の紋章
                  1.三笠公園-16D 1303qt
                  写真1
                     2.靖国神社-02D 0705q
                     写真2
外国旅行をする日本人は平成30年(2018年)千九百万人に増えましたが、彼らが所持するパスポートの表紙には菊の紋章が付いています。

パスポートは日本人であることを証明するものですから、菊は日本国の国花だと思いましたら、菊か櫻かは公式には決めていないのです。菊の紋章は皇室の紋章ですが、天皇陛下は日本国民の象徴ですから、菊が日本国を表す紋章になったのです。

菊は唐の時代に薬草として日本に持込まれたので、菊の花は梅や桜のように古くは注目されませんでした。鎌倉時代になって、当時の天皇が菊の花を深く愛したことにより、菊が天皇家の紋章に取り上げられたと言われます。

水戸黄門のドラマで格さんが悪人どもに「この紋所が目に入らぬか!」と掲げる印籠には葵(あおい)の紋が付いています。葵は徳川家の紋章ですから、幕府は自由に使うことを禁じました。その代わり、菊の紋章は天皇家のものでしたから、徳川時代その使用は自由でした。

そのため、江戸時代には和菓子や仏具にも菊花紋が使われたそうです。しかし、明治維新で徳川幕府が崩壊し、天皇が政治の実権を握ると、菊は国家の威信を示すシンボルとして復活します。

そして明治時代に入ると、皇族以外の者が菊花紋を勝手に使うことは禁止されました。そして菊の紋章は国家権力に関係する書類、器物、施設などに表示されることになりました。

その代表的な例が軍艦の船首に取り付けられた菊の紋章です。横須賀港に係留されている日露戦争時の旗艦三笠の船首にも、第二次世界大戦の戦艦大和にも菊の紋章が付けられました。また、外国にある日本大使館の玄関にも菊の紋章が付いています。
(写真1)

しかし、戦後は菊の紋章の使用制限はなくなりましたので、国務を預かる国会議員も菊のバッジを付けています。国家のシンボルとして重みがある菊の紋章に魅力を感じるからでしょう。

国家・国民を守るために命を落とした兵士達を祀る靖国神社の扉にも大きな菊の紋章が付いています。一際大きく、鮮やかな金色の菊の紋章でした。
(写真2)
(以上)
【2019/08/14 16:42】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本一小さな漁港の今は
1.鰹水揚げ-03P 99
写真1 朝靄に包まれる漁船

2.鰹水揚げ-04P 99qt
写真2 ベルトコンベアーでカツオが荷揚げgされる。

3.塩屋灯台-03P 99q
写真3 塩屋埼灯台

4.久ノ浜-01P 01t
写真4 荒れる浜辺

 5.小良ヶ浜-01P 98
写真5 小良ヶ浜漁港

6.小良ヶ浜-02P 98q
写真6 小良ヶ浜漁港

福島県のいわき市の沿岸は、北から南下する親潮と、南から北上する黒潮がぶつかり合うところですから、魚種も豊富で漁獲量も多く、昔から漁業が盛んなところです。いわき市の小名浜漁港は、漁場に近く、初カツオや秋サンマの水揚げで全国的に有名です。
(写真1、2)


いわき市の平薄磯の岬には、美空ひばりの演歌で有名になった塩屋埼の灯台があります。荒々しい太平洋に突き出た塩屋埼には、「髪の乱れに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う・・」という演歌の文句のように、冬は絶えず強い海風が吹きつけます。航海の難所でもありますから、常に海と風は荒々しいのです。
(写真3、4)

塩屋崎から程近いところに、滅多に人も訪れない小良ヶ浜漁港があります。小さな釣り舟が二三艘で港が一杯になる「日本一小さな漁港」です。切り立った断崖に囲まれて、その奥に隠れるように、ひっそりとしています。訪れたときには、辺りに人影はなく、一艘の漁舟が砂浜に引き上げられていました。
(写真5、6)

平成5年に開港したとのことですが、平成23年(2011)3月の東日本大震災の大津波に襲われたと聞きます。震災後に撮られた写真で見ると、湾口にあった柱状の小島は尖塔のように細く削られて、岸辺の岩盤は割れ、太い流木が二本横たわっていたのが印象的でした。
(以上)
【2019/08/01 17:20】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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