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世間を歌った演歌は世間の喪失と共に消える
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多くの歌謡曲を作詞した阿久悠は、その著書「歌謡曲の時代」で次のように書いています。
「歌謡曲という言葉が使われなくなってから久しい・・・・俗説では、昭和の終わりとともに、平成の始まりと同時に消えたということになっている。」

そして続けて書いています。
「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを「私の時代」と言うのかもしれないが、ぼくは、「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。」

歌謡曲の内容が「世間」から「私」に変わったと言う阿久悠の指摘は、歌謡曲の変化を述べながら、社会の変化を語っているのです。人と人との関係を「世間」と言いますが、世間の人情が変わったのです。

日本人は昔から演歌が大好きでした。演歌と言えば、誰でも古賀メロディを思い出し、歌姫は美空ひばりを挙げます。その演歌には大衆の日常生活での人と人との間に流れる感情が表現されていて、聴いても唱っても、感動を呼び起こし、感傷にふけることができます。

演歌に唱われる日常生活は、「私」という個人だけの世界ではなく、「世間」という場で営まれるものです。演歌は個人の感情表現であっても、必ず世間が前提であり、世間の中で生まれる「人情」の表現が演歌のテーマなのです。

「世間」の人情を描いて評判の映画に「男はつらいよ」という寅さん映画がありました。寅さんが愛されるのは、渡世家業のなかで世間との付き合いの中で奮闘する寅さんが発揮する人間性を多くの日本人が愛したからです。

そう言えば、「男はつらいよ」の主題歌は、演歌作詞の星野哲郎の作品です。星野哲郎は戦後の歌謡界で数多くの歌謡曲を作詞していますが、「演歌」を「縁歌」と称していたそうです。星野哲郎は、人との出会いから詩藻を思いつき、やがて詩想に育て挙げ、「演歌」を完成したのです。

平成の時代も終わりを迎えようとしています。平成の始まりとともに消えていった「歌謡曲」や「演歌」は、平成の終わりとともに、更に遠い存在になっていくのでしょうか。
(以上)
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【2017/11/27 19:17】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
高層ビルに描く高層ビルの影絵
1.永代通り:大手町~呉服橋:大手町タワーみずほ-13D 1709q
            2.永代通り:大手町~呉服橋:大手町タワーみずほ-09D 1709q
                        3.永代通り:大手町~呉服橋:大手センタービルと大手町ファーストスケア-02D 1709qt
                                      4.永代通り:大手町~呉服橋:大手町ファーストスケア-11D 1709q

いま東京の都心部では広範囲にビル街の再開発(スクラップ・アンド・ビルド)が行われています。
新規に建設されるものもありますが、多くは中層階のビルが高層階のビルに建て替えられています。
東京オリンピック開催前までに改築しようとして時期が集中しているのです。

しかし、高層階のビルが林立すると、高いビルに日差しを遮られて街並は暗くなります。
高層ビルの影は長く延びて、隣の高層ビルに影を落とします。
それが却って平板な街並を立体的に見せて、街並は深みを増します。

一つの高層ビルが隣の高層ビルに落とす影は、双方の高層ビルの形で変形します。
日向(ひなた)のビルの姿形と日陰のビルの姿形の組み合わせで、高層ビルに描かれる影の形は変化します。

四角形のビルが四角形の影を落とすとは限りません。
あるものは三角形の影となり、あるものは台形の影を作ります。
高層ビルの街並を見通すと、相似形のビルの影絵が連らなって、街並の奥行きにアクセントを加えます。

また、描かれるビルの影は、朝から昼へ、昼から夕方へと、徐々に変化します。
日長一日見ていれば、超スローもション映画をみることになります。
ですから、高層ビルの影絵を楽しむには、雨天より晴天の日がよろしいようです。
(以上)
【2017/11/11 20:57】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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