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相馬野馬追い祭り
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写真1 相馬中村神社

2.相馬野馬追い-03P 99t
写真2 参上いた武士たち

3.相馬野馬追い-01P 99t
写真3 迎える武士たち

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写真4 指揮する武将

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写真5 広場で神旗争奪戦が始まる。

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写真6 神旗が打ち上げられた方向に突進する騎馬

7.相馬野馬追い-08P 99t
写真7 神旗を鞭で巻き取ろうと競り合う武士たち

相馬野馬追い祭りは、毎年7月の中旬から下旬にかけて、福島県の浜通りの街、相馬市を中心とした地域で開催されます。平将門が野馬を捕らえ馬を神前に奉納したことに由来する祭りで、千年という古い歴史があります。今では、相馬野馬追いは、国の重要無形民俗文化財に指定され、一地方の祭りが全国的に知られるようになりました。

平成23年(2011)3月の東日本大震災と、それに続く福島原発事故で、相馬市は甚大な被害を受けましたが、旧い神社の多くは標高の高いところにあり、津波の被害を免れたそうで、相馬野馬追い祭りの相馬中村神社も健在だと聞きます。
(写真1)

相馬野馬追いの、祭りとしての起源は、鎌倉時代以前に遡り、土地の豪族の相馬氏が、野生の馬を放して敵兵と見立てた軍事訓練をした事に始まると云われますが、その後は、神事という名目で継続され、現在の形で祭りが復活したのは、明治になってからだそうです。

それにしても、相馬野馬追い祭りでは、相馬中村神社の氏子たちは、現在の身分を離れて相馬時代の身分に戻り、先祖伝来の鎧甲を身にまとい、武士の作法に従い、その時代の身分に応じた役割を演じ、町を挙げて往時の武家社会に変身します。
(写真2、3、4)

例えば、現在は市役所の平(ひら)の職員でも、先祖が相馬藩の重臣であったらそのように、そして市役所の部長の先祖が足軽であったならそのように振る舞うのです。祭りでは現世の地位は逆転して部長は平の職員の指揮に従います。

殿様の使者が市役所を訪れたとき、市庁舎の二階から眺めていた職員は頭(ず)が高いと叱られました。殿様の使者を高いところから見下ろすことは大変失礼なことだからです。三日にわたる祭りの間は、町中では武者姿の武将達が、馬に乗って走ったり、家来を連れて歩いたり、交わす挨拶も、なにかユーモラスな光景があちこちで見られます。

行事のハイライトは二日目の神旗争奪戦だと云われます。多数の鎧甲の武者が広場に集まり、空中に打ち上げられた布の旗を馬上から鞭で巻き取る戦いで、騎馬戦のような激しさがあるからです。
(写真5、6、7)
(以上)
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【2016/07/27 12:47】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寅さん映画は日本民俗の表現
1.柴又駅前-02D 1507qr

2.柴又帝釈天参道-16D 1507qt

3.柴又帝釈天:帝釈堂-07D 1507qr

4.柴又帝釈天:二天門-03D 0701qr

寅さん映画「男はつらいよ」は、昭和44年(1969)の第一作から平成7年(1995)の最終作までの27年間に全48作品が製作されて、世界最長の映画シリーズでした。

どの作品も場面(シーン)は違いますが、ストーリーの構成は同じです。神社の縁日で露天商を営む的屋(てきや)を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が主役で、地方での営業の合間に生まれ故郷の東京葛飾柴又に戻ってきて、叔父の経営する団子屋で一息入れる時に、親戚の人や近所の人々と騒動を起こすという喜劇です。

的屋(てきや)の寅次郎は、寺社の祭日を求めて日本全国を股にかけて歩き回りますから、毎回舞台となる地方の街や農村は違いますし、そこで繰り広げられる話題も変わります。毎回違った日本の風景が紹介され、地方の人々と寅次郎との間で繰り広げられる人情話が、滑稽であると同時に、ほのぼのした暖かいものですから、似たようなストーリーの繰り返しにも拘わらず人気は衰えませんでした。

このように単純なストーリーの繰り返しなのに、何故映画「男はつらいよ」の人気が高く続いたのかと云うと、そこには戦前まであったが、今は失われつつある、日本人の人間性の生地(きじ)とでもいう気質が描かれているからだと思います。明治の近代化で次第に薄れていき、特に戦後の経済優先主義の風潮で急速に消えていった、日本人の良き気質を、観客は寅さんの中に見出して懐かしみ、取り戻したいと願ったのでしょう。

日本人の良き気質と言いましても、一言で説明するのは難しいですが、それは国民或いは民族が長年共同生活の中で培ってきた対人関係で示す人間感情の全てです。それは「社会」ではなく「世間」という世界で生まれた生活感情です。それは具体的な形として見えるものは、習俗、習慣、しきたりなどとして継承され、これらは総称して「民俗」と呼ばれます。

戦前は民族学と言い、戦後はアメリカ流に文化人類学とい云う学問がありますが、その学問では「民俗」を捉えることは出来ません。外観から民族を研究しても「民俗」という内容までは立ち入れないからです。ところが、寅さん映画は、その「民俗」をいとも簡単に、映像として取り出してみせています。

司馬遼太郎は、日本人に「公共性」はあるかと問うて、それは「実直さ」であると答えています。「実直さ」は日本人の文化的遺伝子であるとまで云っています。実直は正直(honesty)でもなく、誠実(sincerity)でもない、ですから「実直」は外国語に翻訳できない日本固有の価値観であるというのです。

日本人には「社会」の公共性が乏しいと批評されますが、「世間」の実直さがあります。そう言えば、映画の中で寅さんは屡々「地道(じみち)が大事だよ」と云っていました。

写真は柴又駅前の寅さんの銅像と、寅さんの実家の団子屋と、寅さんが産湯を浸かった帝釈天の本堂と境内です。
(以上)
【2016/07/17 11:55】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雨傘は梅雨に咲く花である
1.明治神宮-05P 86Y10

2.明治神宮-04P 86t

3.傘-01D 1606q

4.雨降り-02P 96

日本では雨期は年に二度あります。6月の梅雨(つゆ)と10月の秋雨(あきさめ)です。

昔の梅雨は最初はしとしと降り、夏に入る直前に強く降りましたが、この頃は最初から特定の場所に集中して大雨を降らすようになりました。それでも、梅雨の季節が蒸し蒸しして薄暗く憂鬱です。

秋雨は、最初の頃はかなり強く降りますが、後半に入ると秋の長雨と言われるようにダラダラと降るので、なかなか終わらず寒々として憂鬱な日が続きます。

日本では春夏秋冬の四季の長さがほぼ等間隔にあるので、それぞれの季節に咲く花の種類が多いのですが、二回もある雨期には、それらの自然の花に加えて、人工の花も咲きます。それは雨傘の花です。

昔の雨傘は黒いものと決まっていましたが、最近では日傘のように色彩豊かで艶やかな絵柄の雨傘が多くなっています。そのお陰で街には明るい雨傘の花が咲いています。

梅雨どきは雨雲で街は薄暗いのですが、そして秋雨のしとしと降るとき寒々するのですが、雨傘の明るい花が街路に咲き乱れると、暗さや寒さを和らげます。

梅雨でも秋雨でも、家に引き籠もらず、明るく綺麗な雨傘をさして、街に出てみましょう。雨の街に咲く花々を愛でながら、自分も一輪の花を咲かせるのです。
(以上)
【2016/07/08 10:02】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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