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江戸城 天守台の美 その一
1.大阪城本丸-02D 07010qr
写真1 大坂城
2.名古屋城-06D 1404q
写真2 名古屋城
3.石垣-39P 96t
写真3 江戸城天守台 現在は正面中段右の木はありません。
4.石垣-40P 96t
写真4 江戸城天守台の左半分
5.天守台頂上-01D 1510qt
写真5 天守台頂上
6.天守台-09D 1508qc
写真6 北東側から見た江戸城天守台
7.天守台:部分-21D 1510qc
写真7 江戸城天守台の部分
8.天守台-10D 1508qc
写真8 江戸城天守台の東側
9.天守台:部分-12D 1510qc
写真9 江戸城天守台の東側の石垣が焼け爛れた部分

天守台は天守閣を載せる石塁のことです。江戸城の天守閣は、本丸内に三度築かれましたが、三度目に築かれた天守閣(1638年)は明暦の大火(1657年)で消失し、僅か20年弱の寿命でした。

天守閣焼失後、幕府は再建を企てて天守台の石塁まで築造しましたが、天守閣の建造はしませんでした。その理由には、江戸市街の復興を天守閣再建より優先したとか、戦国の世の象徴である天守閣は必要なくなったとか、更には幕府財政が逼迫していたとか言われていますが、その決断は、時の大老、保科正之の判断でなされたと言われます。

明暦の大火の後、江戸市街は火災に備えた大規模な都市計画で見事な復興を遂げましたし、戦国時代が終わって徳川300年の平和な時代が続いたこと等を思うと、再建しなかったことは適切な判断でした。

平成の時代になって江戸400年祭に合わせて江戸城の天守閣を再建する話が出ましたが、沙汰止みになりました。もし平成の天守閣の再建が実現したら、保科正之に笑われたでしょう。時代を経た今となっては、江戸城の遺産は天守台であって天守閣ではないのですから。

大坂城や名古屋城の天守閣は再建されて、熊本城と共に、日本の三大名城と言われています。見事な威容を誇っていますが、それを見て、東京の江戸城に天守閣がないのは寂しいと言う気持ちは分かります。でも、喩え再建されても、江戸時代の人々にも、東京の人々にも記憶されない歴史遺産を再建しても、それは遺跡ではなく模造品に過ぎません。
(写真1、2)

江戸城の遺跡として残された天守台は、こじんまりとして端正な造りながら重厚です。天守台は南側から見ると三層から成る雛壇状の石塁です。この南側の小天守台は幕末に改造されたものです。

下段は低く、中段、上段へと次第に段差が高くなっていますが、上に行くほど段差を大きくしたのは、天守閣への攻め手に圧迫感を与える構造にしたのです。

本丸御殿から天守台に上る坂道は天守台の正面中央にありますが、途中で屈曲して護りを固めています。天守台の上段に上りますと、上段の石垣の裏側は窪地となっていて、天守閣のあった地盤と隔てています。いずれも天守閣の護りを固める工夫ですが、これらの構造上の工夫が、外見上、天守台の重厚さを増しています。
(写真3、4、5)

天守台の石塁には大坂城のような巨石は組み込まれていませんが、花崗岩切石を隙間なく積み上げており、積み石の表面は綺麗に磨かれています。この石塁は明暦の大火の翌年に前田綱紀に築き直させたと言われます。簡素ですが全体として美しく見えます。(写真6、7)

ところが、天守台の東側の石積みの一部は、表面にひび割れが生じていて、美感を損ねています。このひび割れは、明暦の大火の際に炎に焼かれた跡と言われます。石垣の強度に関係ないこととして、石塁再構築の際には、従来の石材をそのまま使用したのです。
(写真8)

敢えて美観にこだわらず、火災の跡を天守台の石積みに残したことは、逆に歴史的遺産としての天守台の価値を高めています。過去の記憶を形に残すことが遺跡の価値ですから。
(写真9)
(以上)
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【2016/01/29 13:46】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
江戸城 櫓の美
1.巽櫓:桔梗濠-01D 1001q
写真1 桔梗濠の畔の櫻田巽櫓 左端に見えるのは内桜田門(桔梗門)
2.巽櫓:桔梗濠-05D 1211qt
写真2 櫻田巽櫓の正面
3.富士見櫓-04D 1507qr
写真3 富士見櫓 天守台跡の石塁より高い石塁の上に建つ。
4.富士見櫓-09D 1507qt
写真4 富士見櫓 石塁の角に立って四方八方をにらむ。
5.二重橋-09P 96t
写真5 皇居前広場から見た伏見櫓 手前の橋は正門鉄橋の二重橋
6.伏見櫓-01D 1507qt
写真6 正門鉄橋の上から見た伏見櫓 二重橋濠は深く、伏見櫓は高い。

江戸城は徳川幕府300年の居城でしたから、広大な敷地の中に膨大な建造物が建てられました。江戸城明け渡しの時には、木造建築物は殆ど焼失してしまいましたが、石造りの構築物の大半が残りました。

最大の天守閣は、造成後間もなく明暦の大火で消失し、その後再建されませんでしたが、高層の建造物として今も残っているものには、櫻田巽櫓、富士見櫓、伏見櫓の三つの櫓があります。その他には江戸城を囲む長大な濠と、内濠、外濠に設けられた数多くの城門があります。

その江戸城跡の半分以上は、現在、皇居東御苑、北の丸公園、皇居外苑として一般に公開されていて、誰でも外濠、内濠や城門などを眺めることが出来ます。

江戸城は軍事的に建造されたものですから、城壁、城門などを建造するとき、美的な配慮は必要なかった筈ですが、残された遺跡には随所に美しさを表現する工夫が施されています。

この写真随想では、これから江戸城の遺跡について、櫓の美、天守台の美、濠の美、城門の美、石垣の美、花と樹の美という順序で、何回かに分けて江戸城の美の観賞を行います。

(なお江戸城の歴史物語については、別のブログ「東京今昔物語」
http://plaza.rakuten.co.jp/wakow/diary/201504250000/
以下で書きましたので、ご興味ある方は、そちらも訪問して下さい。)

先ず、江戸城の三つの櫓の美を眺めましょう。
櫓(やぐら)とは、呼び名の通り、矢の蔵のことです。矢は鉄砲では弾(たま)のことですから、今様に言うなら櫓は弾薬庫に当たります。勿論、江戸時代には鉄砲も普及していましたから、鉄砲も弾薬も、この櫓に貯蔵されていたのでしょう。

江戸城の櫓(弾薬庫)は、どれも誠に優美です。残された三つの櫓は、小粒ながら城の要所要所の護りの拠点でしたから、寄せ手の敵を監視し、反撃する矢狭間(やざま)や石落しの造作を備えていました。

櫻田巽櫓(たつみやぐら)は三の丸の東南の隅に建っているので、辰巳=巽と名付けられ、昔は辰見櫓と書かれていました。造りは二重櫓でして、場所は桔梗濠に面しており、東京駅から行幸通りを抜けると直ぐに目に付きます。
(写真1,2)

富士見櫓は、本丸の南端の隅にあり蛤濠に面しています。本丸の北端には天守閣がありましたから、富士見櫓は本丸の南を見張る櫓でした。

富士見櫓は、高い石塁の上に聳えているところから「八方正面の櫓」と言われ、天守閣が焼失した後は、天守閣の代わりの役目を果たしました。富士見櫓は、その防衛上の機能から重要でしたが、同時に、その三重櫓の姿の美しさで江戸城のシンボル的な存在でした。
(写真3,4)

伏見櫓は西の丸の中にあり、西の丸は現在は皇居の敷地となっていますから一般人は近づくことが出来ませんが、伏見櫓が建っている場所が二重橋濠の濠端の高台の上ですので、皇居前広場の二重橋付近から、その全貌を眺めることが出来ます。

伏見櫓は二層からなる櫓ですが、その両袖に長屋造りの多聞櫓が左右に長く延びていて、櫻田巽櫓や富士見櫓よりも大きく見えて、その容姿は重厚です。伏見櫓は、その前にある二重橋と共に、今では皇居を代表する最も美しい建物となっています。

なお伏見櫓と言う名称には、第三代将軍家光の頃に京都の伏見城の櫓を江戸城に移築したからという、言い伝えがあります。それだけ伏見櫓は伝統的な由緒ある櫓なのでしょう。
(写真5,6)
(以上)
【2016/01/20 21:13】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
日本には初詣という宗教がある
1.明治神宮:初詣-07D 0901q
写真1 明治神宮 初詣 西参道
2.明治神宮:初詣-09D 0901q
写真2 明治神宮 初詣 本殿へ
3.明治神宮:初詣-24D 1501q
写真3 明治神宮 初詣 本殿前の賽銭場
4.成田山参道-33D 1601q
写真4 成田山新勝寺 初詣 混み合う参道
5.成田山:仁王門-01D 1601qr
写真5 成田山新勝寺 仁王門
6.成田山:大本堂-04D 1601q
写真6 成田山新勝寺 本堂

毎年、年が明けた元旦には多くの日本人は初詣と言って神社や寺院へお参りし、新しい年を祝います。その前日の大晦日には、寺院で撞く除夜の鐘を聴いて、その年に抱いた数多(百八の)煩悩から解放されて、清らかな気持ちになります。

日本人が馴染んだこの習慣は、長い間、繰り返されているので至極当たり前のように感じていましたが、ふと外国では新年をどのように迎えているかと見てみますと、日本とは大分事情が違うようです。

欧米では前年の大晦日に夜遅くまで酒を飲んで馬鹿騒ぎをして、年を越した元旦は休日ですが、次の二日から平常通りの生活に戻ります。中国では春節と言いまして旧暦の正月に数日間の祝日があり、家族と長寿を祝い、爆竹をならして近隣の人々と喜びを分かち合います。いずれの新年行事も宗教行事とは無関係です。

しかし、日本では年を越す行事には、仏教で煩悩を払い、神道で神を迎えると言う、宗教行事を中心に据えています。キリスト教やイスラム教を信じる人々に比べて、日本人は宗教心が乏しいと言われますが、大晦日から元旦にかけて国民全員が寺院と神社で行われる宗教行事に参加する行為こそ、日本人の宗教心の現れです。

誰でも新年には氏神様への初詣をしますが、今年は珍しく、初詣参拝者の多さでは関東で一、二を競う、明治神宮と成田山新勝寺に参拝に出かけました。

明治神宮は明治天皇を祀った神社であり、成田山新勝寺は真言宗の寺院ですが、日本では神社も寺院も、いにしえから互いに排斥批判することなく、両方の信者を分け隔て無く受け容れています。これも一神教の宗教から見れば奇妙なことですが、日本では当たり前のことです。

日本では神仏まで和を以て貴しとなすを実践しています。その際に見た、神社と寺院への参拝情景を写真でお見せします。
(以上)
【2016/01/12 15:26】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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