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街角で托鉢する僧侶を見かけて感じたこと
                    人-15P 96t
                    写真1 皇居のお濠端で
                    大阪城城内-01D 07010qt
                    写真2 大坂城の石垣の前で

時々街中で僧侶が道行く人に寄進を求める姿を見かけます。直立不動の姿勢で立ち、時折、小鐘を鳴らすだけで終始無言の行です。托鉢僧は、寄進する人が現れると、合掌して頭を下げるだけです。

古来、インドでは、宗教に身を投じる者は、財産を一切持たず、実生活で必要な最低限の食料、衣料などを信徒の寄付によってまかない、一切の経済行為を行わないことを戒律としていました。

インドで生まれた仏教もまた、このインド宗教の伝統に従い、托鉢で実生活を支える戒律を取り入れています。托鉢とは、僧侶の実生活の糧を得る行為を通じて、信徒に教えを広める修行でした。寄進を通じて信者に功徳を積ませる宗教活動でした。

托鉢は修行と布教を二つながらに実行する方法ですが、これがインドから中国に伝わり日本に渡ってくると、時代を経て変貌を遂げていきます。中国にも、日本にも既存の宗教があり、国民の価値観が異なり、気候風土も違います。そのような外的要因で、仏教の信仰内容も信仰方法も変貌を遂げるのです。

お釈迦様が教えた本来の仏教は、上座部仏教と言われ(嘗て小乗仏教ともいわれました)、スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジャへと伝わりましたが、中国や日本に伝わったのは、それとは違った大乗仏教でした。両者の大きな違いは、上座部仏教では出家者として修行するのですが、大乗仏教では在家信者のままでも修行して釈迦の精神に生きれば救済されるとした点です。

上座部仏教では、出家者の戒律が厳格に守られ、托鉢は必須の修行でしたが、大乗仏教では、宗派や寺院が信者の寄進で維持されされましたから、必ずしも托鉢を行わなくても生活に支障が生じなかったので、インドのように托鉢は広く行われませんでした。

財力を信じ政治を優先させる伝統の強い中国では、裕福でない寺院には信者が集まりませんでしたし、また裕福な寺院の僧侶たちは托鉢をしませんでした。日本では、外来の仏教は支配階級など社会上層部の人達の間で普及しましたから、修行の手段としての托鉢が重きをなしたとは思えません。

日本の托鉢の歴史は、僧侶の生活を支えると言うよりも、布教活動の手段として行われて来たと言えます。僧侶が托鉢に出かけるのは、地方の民衆に説教をするためでした。また、地方での寺院の創建や、農漁村の社会施設の整備などのために、托鉢が行われました。

ですから、今は希にしか見かけない街頭での托鉢僧の行は、仏教の教えを僧侶が追体験しながら、仏教の存在を大衆に知らしめるという、仏教の普及活動だと思います。

花見客で賑わう皇居のお濠端で一人の托鉢僧の姿、観光客で賑わう大坂城の石垣の前で二人の托鉢僧の姿を見かけました。(写真1、2)

ところで、戦前の日本人は、必ず家に神棚と仏壇を設けて毎朝、毎夕、家族全員が掌を合わせて感謝と願い事を唱えました。しかし戦後は核家族となり、その習慣が薄れたと言われます。

神社や寺院に参拝することも大切ですが、日常生活の中で宗教心を日夜涵養することも忘れてはいけません。街角で托鉢僧を見て、日常生活での己の宗教心の薄さに恥じた次第です。
(以上)
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【2015/04/26 18:55】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
お濠端の桜の枝は濠に伸びて美しく
   1.牛ヶ渕の桜-09D 1503q
   写真1
                  2.皇居の花見:千鳥ヶ淵-59D 1503qt
                  写真2
                                 3.皇居の花見:千鳥ヶ淵-07D 1104q
                                 写真3
                  4.皇居の花見:千鳥ヶ淵-25D 1204q
                  写真4
   5.皇居の花見:千鳥ヶ淵-30D 1204q
   写真5

皇居の千鳥ヶ淵は、東京でも桜の花見客が最も多く集まるところです。お濠を背景に桜を観賞出来るのが魅力だからです。

お濠端の桜並木は、申し合わせたようにお濠の水面に向けて枝を伸ばしています。桜の花はお濠端に立つ人々の目線より低い位置に咲きますから、千鳥ヶ淵の花見は見上げるのではなく、見下ろすことになります。満開の桜の花は、上からは太陽の光を、下からは水面の反映を受けて、明るく輝きます。(写真1、2、3)

やがて、お濠に向けて伸びた枝から花びらが水面に散ります。お濠は花筏で埋まります。普段は薄暗い水面は、散った桜の花びらの絨毯で明るくなります。青空に咲く桜と、お濠に浮く桜に囲まれて、ボートを漕ぐ人々は嬉しそうです。
(写真4、5)

一般に木の枝は太陽の光を求めて上空に伸びるのが普通です。しかし、お濠の桜は何故か枝を下方に伸ばします。

お濠端の桜は土手の上に植えられているので、根を横に伸ばせず斜め下に伸ばすから、枝も根に倣って斜め下に伸ばすのだという説が有力です。そう言えば、桜ではありませんが、土手の上の松も枝を下に向けて伸ばしています。

他方、川沿いに植えられる桜並木は殆んどが染井吉野であり、その特性からして枝は傘状に横に伸ばすのだと言う説もあります。でも、空に向けて枝を伸ばしている平地の染井吉野は沢山ありますから、樹種の特性ではないでしょう。

木の枝は、陽光を求めて空に向かうとか、重たいので地面に向かうとか、根が斜め下に伸びるから枝も同じ方向に伸びるとか、木の心を人間の感情で読むことはやめにして、千鳥ヶ淵の桜の美しさを楽しみましょう。
(以上)
【2015/04/19 14:14】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
橋の上のトポロジー
1.夢の大橋の路面模様-19D 1503qtc
2.夢の大橋の路面模様-06D 1503qtc
3.夢の大橋の路面模様-20D 1503qc
4.夢の大橋の路面模様-09D 1503q
5.夢の大橋の路面模様-18D 1503qc
6.夢の大橋の路面模様-11D 1503qc
7.夢の大橋の路面模様-04D 1503qtc

お台場の中央部に帯状に伸びる広くて長いプロムナードと称する散歩道があります。先端は青海地区の船の科学館から、根元は有明地区の国際展示場まで真っ直ぐに続いています。

そのプロムナードが途中で有明西運河を渡りますが、そこに架かる橋を夢の大橋と言います。お台場は横文字が好きですから、散歩道をフランス語のプロムナードと言い、夢の橋は英語でドリームブリッジと言います。

このドリームブリッジの上にはカラータイルで大柄の曲線模様が描かれています。橋そのものは中央部が少し盛り上がる太鼓橋の状態ですが、広い橋なので見た目には平坦に見えます。それだから、橋の上にカーブを描いて太鼓橋の気分を出すつもりなのかも知れません。

しかし、左から右へ、右から左へと交互に描かれた大きな曲線は、恰も大波が打ち寄せるかのようです。歩いていると思わず波乗りをして左右に揺られて歩く気分になります。大きな橋の上で波乗り遊戯をしているようです。と言うことは、二次元の平面の上を歩きながら、三次元の世界をさまよっている気分になります。

縦、横、高さという三次元を自由に動き回れる世界をトポロジカルな世界と言います。物事の相対的な位置関係を自由に変化しても変わらないものを研究する学問にトポロジー(位相幾何学)があります。トポロジーとは、空間内の幾何図形を曲げたり捻ったり引き伸ばしたりしても不変なものは何かを研究する学問です。

私はドリームブリッジの大波模様の上を左右に曲がったり、回転してみたりしましたが、爽快な気分には変わりはありませんでした。これぞトポロジカルな世界です。ドリームブリッジはその名に違わない夢を見ることが出来る大橋です。

モノレールのゆりかもめに乗って、お台場のあちこちを巡るのもよいですが、時にはプロムナードを散歩して、夢の大橋の上で夢見るのも良いものです。
(以上)
【2015/04/06 20:45】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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