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冬の奥多摩に入る
奥多摩は、多摩川が深い渓谷を幾重にも刻んだ急峻な山地ですが、江戸と甲斐の国を繋ぐ甲州街道の裏道として密かに使われていたので、昔から山深い谷あいにも人々が住んでいました。今は東京の奥座敷としてハイキングや山登りの人々で賑わっています。

同じ東京の奥座敷である高尾山は山岳信仰の山として開けていたのに対して、奥多摩は裏街道の里らしく、今でも閉ざされた静かな空気を漂わせています。その感じは、夫々の人造湖、多摩湖と相模湖の周辺を歩いてみれば分かります。

奥多摩には、秋の紅葉や春の山桜を見るとき、そして夏の渓流に遊ぶとき、多くの人々が訪れます。しかし、奥秩父から寒風が吹き下ろす冬になると訪れる人は少なく、ひっそりと静まります。雪が降る時期になると奥多摩を訪れる人は殆どなくなります。

嘗て紅葉や山桜を目当てに訪れた奥多摩の谷あいに、久しぶりに冬の景色を求めて尋ねてみました。

最初に目にしたのは暗い渓谷です。その谷底を覗くと日の光が差し込み、水面が輝き、水面から水蒸気が立ち上っていました。朝の空気は凛として身が締まる思いでした。(写真1)
1.渓谷-01P 84t
写真1

しばらく歩くと、残雪を山頭に頂く峯が現れました。雪は山肌の切り株で模様を描き、山の向こうに現れた白い雲の反射が、冬の奥多摩山塊の稜線を浮かび上がらせていました。(写真2)
2.山姿-01P 88t
写真2

日陰になる山塊の北側では、木々の梢は雪を載せて、山の壁面は凍りついたままです。暗い谷あいに点々と積もる雪は、まるで点描画を描いたようです。これも奥多摩の山容が美しく見える冬景色の一つです。(写真3)
3.山姿-09P 89t
写真3

小道の坂を下っていくと、地面に薄く積もった雪が、植林された山林の密集ぶりを浮かび上がらせていました。目を細めて眺めていると、縞模様の山林が山を守る垣根のように見えてきました。(写真4)
4.樹木-54P 89t
写真4

落葉針葉樹は左右対称の相似形です。その落葉針葉樹の林が葉を落としたとき、整然とした相似形の行列が出来ます。新緑の頃も美しいですが、葉を落とした落葉針葉樹が冬の山の斜面に整列したときの姿が一番美しいです。(写真5)
5.樹木-19P 89qt
写真5

そうです。木は葉を落として幹と枝と細枝だけになったときが一番美しく見えるのです。太陽の光を求めて自由に伸びた木の体と腕と手と指の全容が明らかになるのは冬です。冬の太陽の光に白く輝く木のヌードを眺めていると、それは樹木が創ったアートだと分かります。(写真6)
6.樹木-24P 89t
写真6

帰途につき山を下りてくると細い街道がありました。その街道沿いに屋根に残雪を載せた民家が並んでいました。屋根の雪は、ここに奥多摩の街並みがあると知らせているようでした。
(写真7)
7.雪と屋根-03P 91t
写真7

谷あいの村は日の暮れるのが早いです。振り返れば、通り過ぎてきた集落が一望できました。そこから一筋の煙がたち登っていました。これが長閑な奥多摩の村の夕景です。(写真8)
8.山村-01P 88t
写真8
(以上)
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【2015/02/25 14:15】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
収穫後に繪になる田圃
1.伊豆天城-02Dqt
写真1
2.長野~上越-20D 1409q
写真2
3.長野~上越-33D 1409qtc
写真3
4.長野~上越-41D 1409qt
写真4
5.長野~上越-38D 1409qrc
写真5

瑞穂の国日本では農村に行けば何処にでも田圃(たんぼ)はありますが、その田圃が美しく見えるのは田植の後の早苗が並んだ時期です。次に美し見えるのは黄金色の穂を垂れて行儀良く並んだ景色です。(写真1)

しかし、稲刈りが済んだ後の田圃も見方によっては捨てたものではありません。周囲の風景から色彩が失われて、薄曇りのモノトーンの景色の中で見る晩秋の田圃に、ふと美を見付けました。

走るバスの窓から、刈り取りの終わった田園風景を眺めていましたら、稲の刈り跡が幾何学模様になった田圃を見付けました。稲の切り株だけが平板に並ぶ晩秋の田圃は、造形的に美しいものがあります。(写真2)

次に現れた田圃には水が溜まっていました。ここには秋雨が降って雨水が田圃に溜まったのでしょう。その表面には濃淡のある縞模様が浮き出ていました。放置された藁屑と稲の切り株は、空からの反映を受けて白く明るく、暗い湛水の溝とコントラストを見せていました。(写真3)

続いてバスの窓から見えたのは、複雑な模様の田圃でした。雪の来る前の農作業で農耕機を走らせたのでしょうか、田圃の畝には縦縞に横縞が加わり、更に斜め縞がよぎり、田圃の表面はモダン・アートのように描かれていました。
(写真4、5)

農耕機で田圃を不規則に掻き均して巧まざるアートを描いた農夫は、そのことに少しも気づかず家路についたことでしょう。
(以上)
【2015/02/15 14:57】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大波が波止場の上屋まで打ち寄せて
1.クルーザー:出航-08D 0504qtc
写真1 横浜港大桟橋埠頭を出航する大型クルーザー 
2.横浜大桟橋-14D 1201qrc
写真2 横浜港大桟橋埠頭の全景
3.横浜大桟橋-18D 1201qrc
写真3 大波小波が波打つ横浜港大桟橋埠頭の建屋の屋根
4.横浜大桟橋-20D 1201qc
写真4 横浜港大桟橋埠頭の建屋の屋根の一部
5.青海客船ターミナル:斜面模様-03D 1501q
写真5 青海客船ターミナルの土手
6.青海客船ターミナル:斜面模様-06D 1501q
写真6 青海客船ターミナルの土手

埠頭と言うと大型客船と大型貨物船が接岸するところです。埠頭は船客が乗り降りするところであり、船荷を積み降ろしするところです。

小さな船着き場を波止場と言いますが、波止場の元々の意味は海から押し寄せる波浪を食い止める堤防という程の意味でした。

しかし、波止場は船の発着する港となり、懐かしい人との邂逅の場所となり、つらい別れの場所となりました。演歌の「港町ブルース」で歌われるように、波止場は喜び、待望、悲しみ、哀愁の場所になりました。(写真1)

波止場のことを桟橋とも言いますが、桟橋はその名の通り岸辺から海に突き出した組立橋です。小さな波止場は大抵は木造の桟橋ですが、初めは仮設のような鉄製の桟橋であったものが、後には巨大な鉄筋造りの岸壁になったものがあります。横浜港岸壁がそれで、ですから埠頭と言ってもおかしくないのに、今も大桟橋と名前が付いています。(写真2)

「くじらのせなか」と言う愛称で呼ばれている横浜港大桟橋埠頭は、その屋根の部分は大波が波打つデザインになっています。(写真3、4)

横浜大桟橋は上屋が大波を描いていますが、波止場の広場に大波を描いてあるケースもありました。お台場の青海客船ターミナルの土手がそうです。まるで波止場に白い大波が打ち上げられているかのようです。白線の大波に沿って波止場の土手を歩いていると船酔いしそうになりました。(写真5、6)
(以上)
【2015/02/01 20:49】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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