FC2ブログ
クールビズは個性的で格好良く
地球温暖化の所為で世界中で気候の変調が目立っています。気象予報では今夏は平年並の暑さだとの予報を聞いて安心していましたら、今夏も去年並の気温だと云われて、何故かと問いましたら、平年気温が上昇したのだから平年並みというのだと説明されました。

とすれば、地球温暖化の影響で日本は亜熱帯の気候になったと言うことです。そう云えば、この頃の雨期は、しとしと降るタイプの梅雨は姿を消し、しばしば局所的な集中豪雨が襲い、雷は多くなり、強風が襲い、積もるほどの雹が降りました。

日本の夏の気候が亜熱帯になる前から、省エネルギーのため夏の洋服にクールビズと言うスタイルが奨励されています。ネクタイを外し、シャツの一番上のボタンも外し、時には上着も脱いで、はだけたワイシャツ・スタイルで執務するスタイルです。

むかし見た時代物の大河ドラマで、若き織田信長が美濃の国主、斉藤道三の娘を嫁に貰うべく、彼の館を訪ねていく場面でした。暑い頃なのでしょう、裸に近い衣装で馬に跨り、傍若無人な振る舞いで館に近づく信長を物陰から密かに見た道三は、信長はこの程度の男かと軽蔑し、会うなり無礼だと一喝しよう待ちかまえます。

ところが、道三の前に現れた信長は、武士の礼装を身にまとい、礼儀正しく挨拶します。道三は虚を突かれ、信長を改めて見直すという話です。

この逸話は、時と場所に相応しい身なりをすることの重要性を語っています。そこには礼儀もありますが、それ以上に人に接するときの身なりは、当事者の心を顕し、覚悟を表明し、相手もそのように受け取るものだと教えています。

ですから、はだけたワイシャツ・スタイルで執務するスタイルは良くないのです。ワイシャツは西洋人の間では背広の下着ですから、下着姿で人前に出るのは礼儀を失します。ならば、ワイシャツの要らない上着を考案すべきでしょう。日本の夏の和装には、作務衣(さむえ)、甚平(じんべえ)、浴衣(ゆかた)など涼しい着物が色々あります。

これらは湿度の高い日本の気候に合わせて考案された衣類です。これらの衣装は現代では合わないと云うなら、上下のアンサンブルに一工夫加えれば、意外に洒落た和風夏服が誕生するかも知れません。

蒸し暑い夏の気候が一年中続く東南アジアでは、フォーマルの夏服から普段着の夏服まで涼しげな洋服を用意しています。その中には、西洋式の洋服をベースにしながら、伝統的な民族衣装のデザインを施した夏服もあります。嘗てバンコクで国際会議に出席したとき見た、タイ、フィリッピン、インドネシアなどの代表は、夫々の国の伝統衣装を生かした個性ある服装をしていました。

40年ほど前、日本で最初にクールビズが叫ばれて、普及のため当時の通産大臣が着て見せた洋服は、通常の背広の袖を半分切り落としただけの不格好のものでした。その後、改善が進んだとは聞いていません。日本の和装クールビズは未だ現れていないとすると、デザイナーの怠慢です。

和装クールビズに名案がなければ、いっそのこと、熱帯、亜熱帯の国々で使われている夏服を採用してはいかがでしょうか? タイのオフィスでは、写真のような夏服が正装でした。
(以上)


                    チャンタブリ出張-15N 80t
スポンサーサイト



【2014/07/19 11:38】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
入谷鬼子母神の朝顔市
1.仙台七夕-06P 99t
写真1 仙台の七夕
                  2.入谷朝顔市-02D 06
                  写真2 入谷鬼子母神の朝顔市
                  3.入谷朝顔市-34D 1407qr
                  写真3 入谷鬼子母神の朝顔市
                  4.入谷朝顔市-38D 1407qt
                  写真4 言問通りに溢れる朝顔市の参加者
                                   5.朝顔-01P 96c
                        写真5 田舎で見た、昔風の釣瓶に巻き付いた朝顔

七月七日、一年に一度しか逢う瀬のない牽牛と織女の話は中国で生まれたものですが、日本にも伝わってきて、江戸時代中期には天空の星の物語として七夕祭りとなりましたし、今では牽牛と織女の願いにこと寄せて、人々が願い事を書いた短冊を笹にくくりつけて商店街に飾る七夕祭りになっています。(写真1)

同じく中国から薬として伝わった朝顔の種を漢語では牽牛子(けんごし)と言い、朝顔を牽牛(けんご)と言いますが、毎年七夕の日の前後に、東京では入谷の鬼子母神の境内で朝顔市が開かれるのも何かの縁かも知れません。

入谷鬼子母神の朝顔市は、江戸後期、入谷付近の農村で盛んだった朝顔栽培を寺院の境内で披露したのが始まりと言われ、それが明治には全国的に朝顔市として知れ渡ることになります。

朝顔は、江戸時代に大変愛好された園芸植物の一つで、品種改良が盛んに行われ、大輪の朝顔、花弁の変形した朝顔、豊かな色彩の朝顔などが誕生しました。それらの朝顔は世界的に見ても珍しいものが多かったようです。

植物学者の中尾佐助氏は、その著書「花と木の文化史」の中で、朝顔に限らず、花卉文化に関しては日本はヨーロッパより100~200年は進んでいたと書いています。ヨーロッパが日本に追いつくのは、19世紀になって植民地でのプラント・ハンターの捜索の結果を導入してからだそうです。

それにしても、戦前一時廃れた入谷鬼子母神の朝顔市は戦後に復活して、ここ数年凄まじい賑わいを見せています。鬼子母神の前の歩道は朝顔の鉢を買う人で動きがとれない程混んでいて、一般の車両通行を禁止した車道の言問通りにまで人が溢れていました。とても朝顔市は夏の風物詩などという長閑なものではありません。(写真2、3、4)

しかし、朝顔市の雑踏の中で買われた一鉢の朝顔は、持ち帰られて縁側やベランダにホットするでしょう。その朝顔は朝に咲いて午前中には萎れてしまいます。一本の茎に幾つかの花をつけますが、咲き続けるのは夏の一時期です。

朝顔は華やかでありながら儚い花です。華やかで儚いから尚一層愛着が涌くのです。その気持ちを表現した俳句に、元禄の俳人、加賀千代女が詠んだ「朝顔に つるべ取られて もらい水 」という句がありますが、その場面を絵に描いたような小景を田舎で見付けました。朝顔は鉢植えより自然のままが良いようです。
(写真5)
(以上)
【2014/07/08 13:17】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
猫と犬の飼育は実用に始まり愛玩に終わる
                    犬-02D 05

                    犬-05P 96t

                    猫-02P 94t

                      猫-03P 91t

現在は猫と犬はペットとして飼われていますが、昔は愛玩動物ではなく人間のために有用な仕事をしてくれる動物として飼われていました。

古代エジプトでは倉庫の穀物を鼠から守るため飼われた記録があります。古代エジプトでは猫は豊饒の神様として崇められ、崇拝の対象としての猫の彫像も発掘されています。これもその元を質せば穀類を守る神様だったからです。

また地中海の貿易船では鼠から食料の穀類を守るため必ず猫を乗せていました。日本は猫を中国から持ち込みましたが、その目的は同じく鼠駆除のためでした。最近(戦前)でも生糸を作る養蚕農家では必ず数匹の猫を飼っていました。蚕(かいこ)が鼠に食われないためです。

犬も人間のために有用な仕事をさせる為に飼いました。狩人が獲物を発見し追い出し、射る手伝いをさせました。牧羊では牧場で羊を管理する仕事や、羊を狼から守る役目を与えました。

犬は人になついて飼い主を主人だと認めますが、猫は己が欲するままに振る舞う利己的な性質です。そこで、犬は人に馴染み、猫は家に馴染むと言います。

犬は群れをなす性格なので、人間を仲間と認めて人なつこいのだと言います。猫は単独で行動する動物だから自己中心的に振る舞うのだと言います。その所為で猫が実用的に使える分野は限られていますが、犬はいろいろな分野で広く使えます。現代社会では、狩猟や牧畜だけに限らず、人命救助犬、麻薬捜査犬、盲導犬として人間以上の働きをします。

愛玩用動物として猫が飼われたのは日本が一番早いようです。平安時代には猫がペットとして飼われた記録があるそうです。日本人が動物を人間の友達とみる感覚は、欧米人や中国人よりも早くから発達していたようです。

現代人の家族生活は集団から戸別に向かい、孤立化が進んでいます。そして高齢化は孤独化に繋がります。そのため、心の癒やしを求めてペットを飼う人が増えています。愛玩動物として飼われる猫や犬は、心を癒やすのに欠かせない存在になっています。

心を癒やす働きは、従来の実用の働きと違う、高度な働きです。それは物質的な関係から精神的な関係に変わってきたのです。更に云えば、使う立場と使われる立場であった関係が、対等になったということです。心を通わせて和むことは、人間にも動物にも同じ効用があります。

そうだとすると、犬と猫が実用から愛玩用になったというのは間違いで、犬と猫は人間の友となったと言うべきでしょう。
(以上)
【2014/07/01 16:06】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |