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エレベーターとエスカレーターはホモ・サピエンスの良き友
                    1.エスカレーター-01D 0709q
                     2.シオサイト:フォンテーヌ汐留-02D 1304q

太古の昔から人間は地面を歩いて生きてきました。湿気や害虫から逃れるため高床式の住居に住むことはあっても、生活の大半は地面の上を歩いて過ごしました。人間は他の哺乳動物と同じく平面を水平に移動することが普通でした。

しかし、建築技術が発達して背の高い建造物を造れるようになると、人間はその建物の中で上下に移動する必要に迫られました。上下の移動は重力に逆らう動きですから歩くときの運動負担が大きくなります。そこで階段は不便というのでエレベーターが造られ使われるようになりました。

階段は横に動きながら少しずつ上下するので水平移動も伴いますが、エレベーターは垂直に、しかも急速に上下するので、人間にとって初めての空間移動体験でした。例えば、デパートのエレベーターに乗って降りた階の風景は、乗った階とは全く違います。初めてエレベータに乗った人がエレベーターが止まって扉を開いたとき、少しオーバーに言えば、恰も玉手箱を開いて見る感じがしたでしょう。

エレベーターに続いて開発され普及したエスカレーターは動く階段です。眼前の風景は連続的に変化しますからエレベーターを降りたとき感じる意外性を人々には与えません。急ぐ時でなければフロアーを次々と眺めながら移動する楽しみがあります。

エスカレーターは、ゆくりと時間を掛けて大勢の人を運びます。エレベーターとエスカレーターの関係は、飛行機と船舶の違いに似ています。飛行機は少数を迅速に運び、船舶は大勢をゆくりと運びます。それぞれ一長一短がありますから、デパートなどでは両方を設置しています。

高層ビルでは高速のエレベーターが威力を発揮しています。低層のビルと低層のビルとの間を横に移動するよりも、同じ高層ビルに入居して、上下に移動した方が、ずっと早いので時間の節約になります。分散していた会社が一ヶ所の高層ビルに集まるのは当然です。一つの高層ビルに街の機能が同居すれば、そのビルは一つの街になります。

しかし人々は、高層ビルで便利に仕事をし、高層マンションに快適に住んでみて、地上から高く離れた空間にいることに、時々落ち着かない気持ちになります。それは中空に吊り下げられているという不安であり、何か大切なものから隔離されたという感じです。それは、人類が地球に誕生して以来、ずっと大地に足を着けて生活してきた遺伝子の囁きかもしれません。

他方、人間は地下にも潜っていきます。私たちの地下生活は地下鉄に乗るとき位でしたが、新しく建設される地下鉄は、かなり地下深いところを走るようになり、地下生活の深さは増しています。深い地下を走る地下鉄には長いエスカレーターが利用されています。それは移動の早さよりも移動の量が求められているからです。

現在の地下鉄では移動するのに長いエスカレーターが主役ですが、今より深い地下を利用するとなれば、エスカレーターではなくて、エレベーターが用いられるようになるでしょう。折角地下鉄で早く目的地に到着したのに、地上に出るのに時間が掛かっては不便だからです。

地下鉄だけでなく地下深く伸びるビルを建設する構想もあります。地価の高い場所では地中ビルの建設費が高くなっても採算がとれるからです。地下100メートルを越える大深度にビルが建築されたとき、そこで働いたり住んだりする人々は、今度は空が恋しくなります。ここでも高速のエレベーターが使用されるでしょう。

人間の活動範囲が空中と地中に伸びていくとエレベーターとエスカレーターは必要不可欠の手段となります。しかし、そんなに高く登らなくても、そんなに深く潜らなくても、エレベーターとエスカレーターは社会生活で益々必要になっています。

今では殆どの駅でエレベーターとエスカレーターが設置されていますが、これは高齢化社会になって、それが必要になったからです。さもなくば足腰の弱った老人達は都会で公共交通機関を利用出来ないからです。

ホモ・サピエンスは知恵のある人と言う意味ですが、老人は多くの知恵をもつホモ・サピエンスです。同時にホモ・サピエンスは二本足で動き回る動物ですが、老人は不自由な二本足をもつホモ・サピエンスです。

こうしてエレベーターとエスカレーターはホモ・サピエンスの良き友となりました。
(以上)
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【2014/06/21 16:36】 | 文明 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅雨空に明るい花菖蒲
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写真1 潮来の花菖蒲園
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写真2 潮来の菖蒲園 小舟で水路を巡る。
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写真3 潮来の菖蒲園 花の手入れをしている。
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写真4 酒井抱一の「八ツ橋図屏風」
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写真5 小石川植物園の菖蒲園
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写真6 皇居東御苑 花菖蒲と屋根の組み合わせ
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写真7 皇居東御苑 菖蒲と天守閣石積みとの組み合わせ

緩やかに変化する日本の気候は、次から次へと多くの花々を途切れなく咲かせます。それでも年の前半の花は梅で始まり梅雨で終わり、年の後半は菊で始まり雪で終わります。真夏と真冬は花の端境期になります。

その日本では日照時間が最も長くなる6月に長い梅雨を迎えます。長雨は急激な気温の上昇を抑えてくれますが、その所為で毎日薄暗く蒸し暑い日が続きます。

その鬱陶しい梅雨の季節を明るくしてくれる花があります。それは花菖蒲と紫陽花です。二つの花は色彩がブルーを基調としている点では似ていますが、姿形は大分違います。何よりも生える場所が違います。紫陽花は土地を選びませんが、花菖蒲は湿地帯に限ります。

梅雨の季節を迎えて稲田に水が引かれ早苗が風にそよぐ頃、各地の水郷で花菖蒲が咲き始めます。湛水した田んぼの水面の反映で梅雨空でも田園は明るさを取り戻しますが、同じように水郷の菖蒲園には花菖蒲が咲いて、うす暗い梅雨の風景を明るくしてくれます。

関東の菖蒲園では、茨城県の水郷潮来と、千葉県の水郷佐原が有名です。花菖蒲はアヤメ科に属するので通常「あやめ」と呼ばれ、潮来でも佐原でも「あやめ祭り」が盛大に行われます。

潮来も佐原も共に利根川の下流に位置して、豊富な水と豊かな土壌に恵まていて、花菖蒲園の規模は大きく、花の種類も豊富です。女船頭さんの竿で進む小舟に乗って、張り巡らされた水路から花菖蒲を観賞するのは優雅な遊びです。(写真1、2、3)

花菖蒲が今日のように愛好されたのは江戸時代後半からで、それ以前は燕子花(かきつばた)が古典園芸植物として人気がありました。尾形光琳の作品「燕子花図屏風」では、群生する燕子花だけをパターン化して描いています。

また、尾形光琳に私淑した酒井抱一は「八ツ橋図屏風」という作品で、燕子花と八ツ橋を組合わせて図案化した絵を描いています。湿地帯に咲く燕子花に近づいて観賞するための橋が八ッ橋ですから、酒井抱一が燕子花に八ッ橋を加えたのは自然です。(写真4)

郊外まで足を伸ばさず都内の庭園でも花菖蒲は楽しめます。規模は小さくなりますが、水路で造形的に仕切られた花菖蒲園や、周囲の建造物と重ね合わせて見る花菖蒲の美しさも良いものです。酒井抱一に倣って花菖蒲と人工物との組み合わせを楽しむのも良いのです。(写真5、6、7)
(以上)
【2014/06/13 16:50】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鮎は食してよし釣ってよし
                  狩野川の釣り-01P 94t

四方海に囲まれた日本では、人々は魚をよく食べます。海から離れた内陸でも淡水魚をよく食べます。食べる淡水魚では鮒、鮎、鯉、鯰、鱒などが古くから知られていますが、中でも鮎は容姿と香りと味で最も珍重される魚です。

鮎は、その流麗な紡錘形の姿と、細かい鱗で覆われて光る滑らかな肌で、若い娘の形容詞ともなった「若鮎」と称されます。成る程、川の瀬で身を躍らせて泳ぐ銀色の姿は、みずみずしい若い娘に似ています。

また、鮎は香魚とも言われます。鮎は、川底の石に付着繁殖する水苔を主食とするので、独特の香気を発します。それが淡泊な味の魚肉と相まって鮎を食するのを好む人が多いのです。

食通の北大路魯山人は「若鮎について」というエッセーで「大きさはまだやっと一寸ぐらいのものだが、ちょっとあぶって食うと、実に調子の高いうまさが舌になじむ。」と書いています。

鮎は年魚とも言われ、一年で一生を終えます。河口付近で孵化した稚魚は、成長するにつれて川を遡り、秋に産卵のため川を下ると言う一生です。

春になって水温が上がると卵は孵化して、稚魚となり、しばらくの間、餌となるプランクトンの豊富な河口流域にとどまります。更に水温が高くなると、餌の苔を求めて川を遡上し始めます。

若鮎が川の中流域にたどり着く頃には、10センチ前後の鮎に成長し、水中の昆虫なども食べますが、好物の川底の石に生える苔を食べます。鮎が生息する川底の砂利をよく観察すると、石の苔に筋が着いているのを見ます。注意深い釣り人は、石に着いた苔の筋を見て、この付近は鮎の魚影が濃いなどと言います。

釣りは釣り師と魚の知恵比べです。その意味で川釣りの双璧は、岩魚釣りと鮎釣りと言われますが、特に鮎釣りにはいろいろな釣り方があって、夫々に遊びとしての楽しみ方があります。

清流を好む鮎は環境変化に弱いので、資源の保全のため、戦前から鮎の禁漁はかなり厳しく行われていました。関東地方の河川では、鮎漁は五月下旬頃まで禁止されています。鮎釣りの太公望たちは解禁の前日の真夜中に河原に詰めかけて、夜が明けるやいなや釣り糸を垂らします。

遡上する鮎を釣る方法は、囮鮎を使う「とも釣り」、毛針を使う「どぶ釣り」、長い糸に多数の針をつけて川の瀬で回転させる「転がし釣り」(ゴロタとも言います)などがあります。秋になって産卵のため川を下る鮎は、落ち鮎と言って、梁(やな)を設けて採る「梁漁」があります。

鮎は成魚となると、川底の一定の区域を自分の縄張りとして、他の鮎が侵入するのを排除しようとします。この縄張り争いの習性を利用したのが「とも釣り」でして、鮎釣りの中では一番おもしろいと言います。

先に陣取っている地主鮎の縄張りの中に囮の鮎を投げ入れると、地主鮎は囮の鮎を追い出そうと体当たりします。その瞬間に囮鮎の尾ひれ付近に流してある針に地主鮎は引っかかります。鮎の闘争心を利用した、やや手の込んだ釣り方です。

「どぶ釣り」は毛針を虫に見せる騙し釣りです。用心深い鮎は、周囲に人影があると用心して騙しに乗りません。「どぶ釣り」では釣り人の影を見せないことが肝要なので長い釣り竿を使います。毛針をつけた糸を垂らして、ゆっくりと竿を上下させて鮎を誘います。

「どぶ釣り」のポイントは毛針の選択にあります。川底の形状や水温の変化に合わせて毛針を選びますが、鮎の当たりが無ければ次々と毛針の種類を変えていきます。「どぶ釣り」の釣り師は数十本もの毛針をケースに入れて持っていて、毛針がその流域の鮎の好みに合うまで取り替えます。自分の針にばかり鮎が掛かり、近くの他人の針には全く掛からないと言うことがよく起こります。これが又楽しいと言います。

「転がし釣り」は上記の二つ釣り方とは違って、鮎の習性とは関係なく、釣り人が強引に鮎を引っかける釣り方です。川の瀬を遡上する鮎を、沢山の針をつけた長い釣り糸を川の流れに沿って上から下に回転させながら流すのです。

これまで述べた鮎釣りを盗人に喩えれば、「とも釣り」や「どぶ釣り」が詐欺師のような知能犯だとすれば「転がし釣り」は強盗犯みたいな荒っぽい釣り方です。

写真は伊豆の狩野川で「とも釣り」をしている釣り師たちです。大勢の釣り師が川に入って釣っていますが、用心深い鮎も縄張り争いに夢中になると、釣り人の存在を忘れるのでしょう。見ている間に次から次と釣り上げられていました。
(以上)
【2014/06/07 17:14】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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