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桜の花を訪ねて 3 奈良の桜 吉野の山
1.吉野下千本桜-17D 1404qtc
写真1 七曲り坂辺りの下千本桜
2.金峯山寺-09D 1404qtc
写真2 金峯山寺付近の中千本桜
3.吉水神社:一目千本-03D 1404qt
写真3 吉水神社境内に一目千本の看板が立ててあり、吉野千本桜が一望できます。
4.吉野中千本・上千本・奥千本桜-02D 1404qc
写真4 吉水神社境内から見る中千本・上千本・奥千本桜

日本人が最も愛していた花は、昔は梅でした。日本人にとっての「花」が梅から桜に移るのは、平安時代になってからと言われます。

吉野の山に桜木が沢山植えられるようになったのは平安時代になってからです。吉野山は、熊野三山へ続く山岳霊場の北の端にあたり、平安時代にこの地で修験道が盛んになりました。その修験道の御本尊、金剛蔵王権現の像を桜木で彫ったことから、桜木が神木となりました。爾後この地で桜木が沢山植えられるようになったというのが通説です。

しかし信仰の力だけで、このように膨大な桜で覆われた吉野の山が誕生したとは考えられません。発端は信仰であったかも知れませんが、山裾から中段の斜面へ、更に上段の斜面へと、人々が急峻な山肌に桜木を植え続けたのは、平安人が桜を愛したからと考えるのが自然です。

植えられた桜木の花の色は、白に近い淡い色ですから、春になると吉野の山は雪をかぶったように全山が真っ白に見えます。その美しさに魅せられて、紀友則は次のような和歌を詠んでいます。

   み吉野の 山べにさける 桜花 
     雪かとのみぞ あやまたれける

吉野の山桜の開化は、春の訪れと共に、山の斜面を登っていきます。世に言う桜前線は、九州から北海道に向かって日本列島を水平に北上しますが、ここ吉野の桜前線は、山の斜面を下から上へ移動します。桜前線は、白い大波がうねるように山の斜面を登っていくのです。

吉野では桜木の多さを「千本」という言葉で表します。下千本とは吉野山の七曲り坂辺りの桜を言い、中千本とは金峯山寺の総門である黒門辺りの桜を言います。上千本と奥千本は吉水神社境内から見渡すことができる桜です。吉野の山では桜前線は七曲がりから逐次金峰山へ、吉水神社へ、高城山へと登るので、夫々の千本桜の群花を同じ時期に観賞することはできません。(写真1、2)

しかし満開の桜から三分咲きの桜までを同時に観賞するのであれば、吉水神社の境内から眺めるのが良いでしょう。ここは中千本、上千本、奥千本の群花を一望できる場所です。下千本の桜は満開でしたが、中千本は五分咲き、上千本、奥千本は三分咲きというところでした。(写真3、4)

桜の全てを語るときには、吉野山の桜を見にいくと良いでしょう。
(以上)
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【2014/05/27 13:05】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展「スピリチュアル・ワールド」を観て
写真展「スピリチュアル・ワールド」の入場券qt

いま東京都写真美術館でコレクション展「スピリチュアル・ワールド」(2014.5.13~7.13)が開催されています。具象を題材にする写真がスピリチュアルな世界をどのように表現できるのかと興味をもって観に行きました。

テーマ別に「神域」「見えないものへ」「不死」「神仏」「婆バクハツ」「王国・沈黙の国+ジャパネスク・禅」「全東洋写真・インド」「デクナメーション」「湯船」の9つに分かれていて、30数人の写真家の作品が展示されています。

社寺の建造物の造形美から精神性に迫る写真、仏像などの信仰対物を直視して信仰そのものに迫る写真、信仰に生きる人々姿や所作から精神生活を写した写真など、多岐にわたる作品183点の大きな写真展です。

冒頭に述べた私の興味の観点からすると、最初のテーマ「神域」の説明文にあった西行の和歌「なにごとの おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という日本人の宗教観を顕す作品に最も強く惹かれました。

この和歌は、僧侶である西行が伊勢神宮を参拝して感じた神聖を素直に詠んだものですが、神を詮索することなく恐れ多いと畏敬の念に浸る心境は、信仰を持つ持たぬにかかわりなく、多くの日本人には容易に理解できるものです。

古来、日本人の感じるスピリチュアル・ワールドは、既成宗教が教える世界とはかなり違うものです。日本人の宗教感覚の性格を最もよく顕しているのは神道と言われていますが、それは具象的でありながら具象にこだわらない抽象性にあります。八百万の神々を信仰することは神の形式にこだわらないと言うことですから。

この宗教の抽象性を、もっぱら具象を取り扱う写真機で如何にとらえるか、その観点から一番先に感心したのは東松照明の「太陽の鉛筆 西表島」(作品31)でした。二艘の沖の小舟に向けて老婆とおぼしき二人の女性が拝むように両手をさしのべている情景です。

古来、日本では人は死ぬとその魂は海の底深くに行くと伝えられていました。ご先祖様は海底に住んでいるとの信仰は、社寺を海辺に、岬に建立する習慣として残っています。二艘の小舟には二人の女たちの漁師の夫たちが乗っているのでしょうが、この写真から小舟にはあの世のご先祖さまが乗っていると理解すると、この写真の精神性を感じるのです。

リアリズム写真家として有名な土門拳は、室生寺の仏像を観て霊性に触れ、古寺巡礼の写真撮影を始めたと言われますが、今回の写真展には仏像の顔を正面から撮った大画面の写真が四枚展示されています。

法隆寺東院夢殿観音菩薩(作品59)は迸る情熱を、中尊寺大日如来(作品60)は慈しむ愛情を、室生寺金堂十一面観音立像(作品61)は深淵なる知恵を、神護寺金堂薬師如来(作品62)は静かな中の強い意志を顕しています。被写体に肉薄する土門拳のカメラで見事に仏像の霊性をとらえています。

二人の高名な写真家、渡辺義雄と石元康博が、伊勢神宮について夫々の角度から全景と部分をとらえた写真を展示しています。伊勢神宮は皇室の氏神であり、同時に日本国全体の鎮守の神社です。西暦6世紀に建立され、爾後20年ごとに建て替えられて今日に至りますが、建造物として造形の美しさはモダンでさえあります。

この写真展では伊勢神宮の外形だけが写されていますが、氏神様を参拝した人は皆ご存じのように、多分、神殿の中には鏡と榊と短冊があるだけで、仏教の寺、キリスト教の教会にあるような飾り立てるものは全くありません。そのシンプルさは外観にも及び、装飾的な造作は出来るだけ削り落としたのが伊勢神宮なのです。神道の抽象性を建造物でも顕しているのです。

まだまだ語りたい作品は数多くありますが、特に印象に残った三点について感想を述べました。
(以上)
【2014/05/15 14:03】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
早川克己展「盆栽都市と蜃気楼」を観賞して
                    1.蜃気楼-05D 1405q
                    写真1 蜃気楼
                    2.盆栽都市-04D 1405qr
                    写真2 盆栽都市
                    3.透過・反射・反復-05D 1405qt
                    写真3 透過・反射・反復

早川克己作品展については、このブログで一昨年「現代美術の工芸的展開」2012.08.07というテーマでご紹介致しました。その際、「蜃気楼」という作品が、近代都市の高層ビル群のように頼りなく中空に漂うよう様相を連想させる不思議な表現であると申しました。

今回、GALLERY MoMo 両国で開催(平成26.4.6~5.6)された早川克己作品展では、前回の作品展「PHASE Ⅲ -構造と形態- 」を更に発展させて、より具象化させた、多面性のある作品が追加されています。

現代では、世界のどこの国でも首都への一局集中が極端に進んでいて、その集中度を高めるため超高層ビルが林立する都市風景が続出しています。近世に欧州諸国が都市を建設した時代には、都市建築の立体化にバランスが保たれていましたが、現代の諸都市では、先進国も途上国も、経済性が優先されて、都市としての全体のバランスが無視されています。(写真1)

前回の「蜃気楼」という作品には、内実が乏しく徒に増殖していく現代都市は、大地に足の付かない頼りないものだと言う批判が含まれていましたが、今回新たに追加された「盆栽都市」では、都市について具体的なイメージが湧くヒントが各所にばらまかれています。(写真2)

更に、壁に展示されている「透過・反射・反復」という作品は、立体と平面とを交差させて万華鏡のような映像効果を現す作品です。これが「盆栽都市」の中に生かされて、素通しだった巨大な蜃気楼都市が、縮小されて盆栽のように変化します。(写真3)

盆栽は、盆景として中国から渡来し、平安時代の日本で盛んとなり、江戸時代に発展を遂げた樹木の造形工芸の一種です。世界各国では、盆栽は日本発の趣味藝術として知れ渡っており、「ボンサイ」という言葉が世界共通語になっています。

その盆栽を、現代都市の構造の変化に喩えた発想は新鮮であり、そのネーミングは巧みです。国際的に活躍されている早川克己氏ならではの現代工芸展でした。
(以上)
【2014/05/09 15:14】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜の花を訪ねて 2 奈良の桜 東大寺
1.東大寺-32D 1404q
写真1
2.東大寺-15D 1404qrc
写真2
3.東大寺-24D 1404qt
写真3
4.東大寺-38D 1404q
写真4
5.東大寺-43D 1404qr
写真5
6.東大寺-37D 1404qt
写真6

都が京都にあった平安時代は約300年間続きましたが、その前の奈良に都のあった平城時代は70年余りと短い時代でした。しかし、日本が国としての骨格(律令制度)を固めたのはこの時代でした。

大陸に大帝国の唐が興隆し中華を唱えれば、日本もアジアの中華であるとして唐と対等の「隣国」を主張し、朝鮮半島の新羅は従属国の「蕃国」として扱いました。他方、国内では護国思想の中心として、奈良仏教を保護し、全国に普及させていました。

天平15年(西暦743)聖武天皇は、大仏造立の詔勅を発令し、東大寺という大寺院を建立しました。奈良の大仏さんの寺として知られた東大寺は、日本全国に建てられた国分寺の中心となる総本山であり、国威の発揚と統治の要として建てられたものです。中世に兵火にかかって一部が消失し、現在の大仏殿は江戸時代に再建されたもので、建立時の規模より小さくなっています。

奈良の桜は吉野の山に限ると言われますが、ユネスコの世界遺産に登録された世界一古くて大きい木造の寺院の境内に咲く桜も、なかなか見応えがありました。大仏殿(金堂)と組み合わせて眺める桜(写真1、2)、詰めかける参拝者たちの後ろに南中門を背景として咲く桜(写真3)、また参道の東西に伸びる回廊に沿って咲く桜(写真4、5、6)など、古都奈良でなければ見る事ができない、優雅な中にも重厚さのある桜の風景でした。

桜の咲く頃は、大仏さんを拝むより、桜の花を拝む人々が多かったようです。
(以上)
【2014/05/03 11:17】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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