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梅は咲いたか 桜はまだかいな
1.桜-16P 89q
写真1 奥多摩 山桜
2.三春の花-11P q
写真2 福島県 三春の枝垂れ桜
3.梅-02D 1002q
写真3 府中市 郷土の森にて
4.梅-02Pt
写真4 奥多摩 吉野梅郷にて
5.モンタージュ:梅-01P 93t
写真5 皇居東御苑にて
6.梅-20P 96t
写真6 皇居東御苑にて
7.梅と雪-01Pt
写真7 東京 新宿御苑にて
9.梅林-14Pt
写真8 奥多摩 吉野梅郷にて
8.梅と人-06D 1002qr
写真8 府中市 郷土の森にて

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」は江戸端唄の一節ですが、花に対する江戸時代の人々の気持ちを簡潔にあらわした歌詞です。古来、日本人は梅も桜も愛しましたが、梅の咲くのを見て桜に憧れる気持ちはよく分かります。

冒頭の端唄の文句にもあるように、江戸時代に花見と言えば桜の花見を意味しましたが、奈良時代の花見は梅の花でした。日本人が梅の花見より桜の花見を好むようになったのは平安時代以降とのことだそうです。桜で有名な奈良の吉野山の千本桜は平安時代以降に植林されたことからも、それが分かります。

確かに桜の花には華やかさがあります。しかし、昔の日本人が愛した梅の花には桜と違った美しさがありました。それは静かな美しさです。未だ寒気が残っている早春の空気の中で、凛として咲く梅の花の美は静謐さの美です。

華やかさを誇る桜の美は、全山を覆う山桜のように桜花のヴォリュームで表現されます。或いは、桜の美は巨大な桜の古木の堂々たる容姿で表現されます。人々は桜の細部にはこだわらず、山全体、樹全体としての桜花を愛でるのです。
(写真1、2)

しかし、静かな梅は、数本の梅の木に数輪の花が咲いても、十分にその美を表現します。人々は屈曲した梅の枝振りや、梅の花冠と花弁の形などの細かい所に美しさを発見します。ひと枝でもよいし一輪でもよいのが梅の花ですから、庭に梅を一本だけ植えて、花が楚々と咲いているところを静かに観賞しても良いのです。(写真3、4)

また、桜の花は自然の中で常に主役になりますが、梅の花は周囲の景色に調和して美しさを発揮します。瓦屋根をバックにして咲く梅の花は幻想的に見えます。雪の降る中で咲いた梅はハイライトを浴びたように浮かび上がります。雪をかぶった梅は寒さに負けない健気さを感じます。
(写真5、6、7)

そのような梅も、時には大きな梅林となって野山を埋めることがあります。梅林は梅の実が梅干しや梅酒として食用になるから大量に栽培しているのであって、桜のように観賞するための林ではありません。しかし、梅の林には、群生しても桜とは違った静寂さがあります。更に、梅には桜にはない香りがあります。梅林の中を歩いていると、そこはかとなく漂う梅の香りに酔うことができます。(写真8)

梅林としては、関東では埼玉県生越(おごせ)町の越生梅林、東京青梅市の吉野梅郷が有名です。梅林が花盛りになると人々は観賞に集まってきますが、桜の花見のように飲めや歌えやではなく、静かに香りを楽しみながら赤い絨毯の上で観賞しています。(写真9)
(以上)
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【2014/02/27 14:47】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
野焼を禁止する愚行
    1.野火-06P 88t
                   3.野火-09P 88t
                                  4.野火-03P 91t

春に草の新芽が出ない前に、野山の枯草を焼くことは、昔から日本では広く行われていました。この野焼きとして有名なのは奈良東大寺の東側にある若草山の山焼です。若草山頂にある前方後円墳の霊魂を鎮めるための宗教的行事として行われたのが始まりと言われています。今でもこの草山の山焼きは古都奈良に春を告げる行事として毎年1月中旬に行われています。

しかし一説によると、野焼の習慣は奈良時代より昔に遡ると言います。春に野山の枯草を燃やすのは、害虫を駆除して春の芽生えを良くするために、弥生時代に米作農業が普及して以来、何千年もの間、稲作農民が行ってきた農作業の一つだと言うのです。

ところが平成13年から「廃棄物処理清掃法」により野焼は禁止されました。法律で禁止した理由は枯草を燃やすと枯れ草に含まれたダイオキシンが発生するからだそうです。ダイオキシン公害が騒がれ始めたのは、石油関連製品を大量に使い、それを捨てた頃からです。

野焼には害虫を駆除する他に重要な働きがあります。早春に田畑や野山で野焼を行うのは、焼灰が肥料として土壌に活力を与えることが分かっています。ということは、野焼は化学肥料や農薬を使わず行う有機農法の有力な手段なのです。

さすがに野焼き全般の禁止は無理があると分かり、農民が害虫駆除のために行う稲藁の焼却や、畦道や用排水路等を除草した刈草等の焼却は許されるようになりました。

しかし、本来なら公害防止対策は野焼き禁止から始めるるべきではありませんでした。公害は元から止めるべきでした。、ダイオキシンなどの公害物質が枯れ草に入らないようにする措置から始めるべきだったのです。野焼の禁止政策は、公害を防止するよりも有機農法を防止するという矛盾した結果を招いていたのです。

写真は利根川沿いの農村で野焼きをおこなっているところです。野焼きで空中にたなびく煙は、冬の畑作の防寒対策にも役立つそうです。
(以上)
【2014/02/18 15:57】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
富士山のシルエット
1.富士山-26P 93q
写真1 丹那盆地から見た夏の富士山
2.富士山-02P 86t
写真2 富士宮市から見た富士山
3.富士山-07P 86t
写真3 富士宮市から見た富士山
4.富士山-22P 94t
写真4 十国峠方面から見た富士山
5.富士山-09P 89t
写真5 十国峠方面から見た富士山
6.富士山-16P 93t
写真6 山中湖方面から見た富士山
7.富士山-17P 93q
写真7 山中湖方面から見た富士山

雪を戴いた冬の富士山は清々しく気高く見えます。朝日を浴びて赤く映る初秋の富士山は燃え上がる熱気を感じます。裾野の村から見上げる夏の富士山は巨人のように辺りを睥睨しています。富士山は季節に応じて表情を変え、それが夫々に魅力的です。(写真1)

それでは春の富士山はどうでしょうか?
春の富士山は、冬、秋、夏に見せる姿とは違って、かすむ空に優しいシルエット姿で現れます。森の稜線の上に遠慮しながら、そのシルエットの姿をのぞかせます。春霞が漂う明るい空に輪郭だけをそっと出して、その肌は見せません。
(写真2、3、4)

しかし、富士山のシルエットが楽しめるのは春に限りません。富士山のシルエットは、晴れた日の明け方と夕方なら一年中見ることが出来ます。中でも背後から夕日を受けて立つ富士山のシルエットは素晴らしいものです。

残照に輝くすすきの穂の彼方に、或いは揺れるすすきの穂を前景にして、浮かび上がる茫洋とした富士山の陰影には、ほのぼのとしたものを感じます。陽が落ちて辺りが暗くなると、富士山のシルエットは黒い塊となって居座り、夕日を浴びてピンク色になった雲がその上に舞います。
(写真5、6、7)

ある人物の、世間では余り知られていない側面を、その人の横顔と言います。その意味で富士山の横顔とは、このシルエットかも知れません。今まで気付かなかった富士山の優しさ、奥深さの側面を見る思いです。

人々に余り知られていない富士山の優しさ、奥ゆかしさを、シルエットで発見しようではありませんか。
(以上)
【2014/02/12 13:37】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
節分の豆撒き 今は昔
                     1.増上寺:節分豆撒き-04D 0702qt
                     写真1 芝増上寺                      
                     2.増上寺:節分豆撒き-06D 0702qr
                     写真2 芝増上寺
                     3.増上寺:節分豆撒き-15D 0702qt
                     写真3 芝増上寺
                     4.神田明神:節分祭-03P 04rc
                      写真4 神田明神

節分の日とは季節を分ける日という意味です。季節は春夏秋冬の四季がありますから、節分の日は年に4回あってもよいのですが、何故か立春の前日だけが節分として祝われています。

戦前の家庭では、玄関、台所、便所の戸口に柊(ひいらぎ)の枝に鰯の頭を刺したものを飾り、夕方になるとこの飾りのある場所で「鬼は外、福は内」と唱えて、家人が豆を撒いてお祓いをしました。それは目には見えない禍をなすものを遠ざけるという、真剣な気持ちで行われたものです。

そのことは、節分の行事の淵源が、平安時代初期から大晦日に宮中で行われていた「鬼遣らい」の年中行事にあることで理解できます。「鬼は外、福は内」の呪文は、邪鬼を祓うことに力点があり、新年の初詣に厄除け祈願が盛んなことにも通じるものがあります。

しかし、今では鰯の頭を飾り付けて神妙な気持ちで鬼遣らいの豆撒きをする習慣は、家庭からはすっかり消えました。家庭での節分の豆撒きは、父親に鬼の面をかぶらせて、子供が豆を投げつける遊技になりました。嘗て節分の豆撒きが持っていた畏怖の念や神妙さはかけらもありません。

多くの人たちは家庭で節分の豆撒きをする代わりに、寺や神社で行われる豆撒き大会に参加します。どこの寺社も節分の豆撒き行事には大勢の人が集まります。関東では、力士が豆撒きする成田山新勝寺が有名です。その他の寺社でも、歌舞伎俳優や芸能人に豆撒きをやらせて、節分の「鬼遣らい」は賑やかに行われます。(写真1、2)

寺社で撒かれた豆を食べると厄払いの霊験があると信じているのでしょう。御利益に預かりたいのは善男善女の常ですから、手を掲げ、帽子や紙袋を広げて撒かれる豆を競って受け取ろうとします。嘗ては夕暮れ時に夫々の家で、静かに祈りを込めて行われていた豆撒きの行事も、今では真昼に賑やかに行われるエンターテインメントになりました。(写真3、4)
(以上) 
【2014/02/04 14:27】 | 文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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