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ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートを聴いて
                   王子ホール演奏会場-02D 1310qr
                   王子ホール演奏会場
                   三愛-08D 1310q
                   大型台風襲来直前の銀座四丁目交差点

ハチャトゥリアンと言っても西洋音楽に興味ある人以外は知らないでしょう。ハチャトゥリアンがアルメニア人だと言っても日本人でアルメニアと言う国を知る人は少ないでしょう。

久しぶりに大型台風26号が首都東京を直撃した前日、ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートが銀座の王子ホールで開催されました。

アラム・ハチャトゥリアンは、旧ソ連邦時代に活躍した作曲家で、同時代にソ連の音楽界で有名をはせたショスタコーヴィッチ、プロコイエフと共に三大作曲家のひとりです。

しかし日本ではハチャトゥリアンの音楽は滅多に上演されません。バレー音楽「ガイーヌ」の中でクルド人が剣を持って戦う場面の「剣の舞」と言う舞踏曲が知られている位です。「剣の舞」の激しくも野性的なリズムは、ハチャトゥリアン音楽の真髄を良く顕しており、祖国アルメニアの民族音楽の一面を示すものです。

アルメニアの歴史は古く、国は紀元前に興り、西暦2世紀には世界で初めてのキリスト教国になりますが、ローマ帝国とペルシア帝国との間に挟まれ苦難の連続でした。その後もモンゴル、チムールからの侵略を受けて10世紀には多くのアルメニア人が故国を捨てて、世界各地に分散することになります。

従って、現在でもアルメニア人の7割はアルメニア共和国の外に住んでいますが、本国がオスマントルコ、ムガール帝国の支配下にあった時代でも民族の結束は揺るがず、商才に秀でた民族だったので早くからグローバルな活動をしていました。

ハチャトゥリアンの音楽は、アルメニア民族の伝統色が濃厚な曲風と、他方では国際的で開放的な曲風を兼ね備えたもので、聴く人々の心をとらえます。ハチャトゥリアンのどの音楽にも、傑作「剣の舞」が発したと同じような強烈な印象を聴衆に与える力があります。

ハチャトゥリアン生誕百十周年記念コンサートでは、チェロとピアノの小曲及びバレー音楽「スパルタクス」をテーマとしたピアノ曲が演奏されました。いずれの演奏も、おそらくコーカサス地方の多様な民族音楽を取り入れた超近代的な響きがあり、同じロシアの作曲家、ショスタコーヴィッチやプロコイエフの音楽が西洋的であるのとは対照的でした。

中でも、当日「スパルタクス」のピアノ・ソロを演奏したピアニスト Armen Babakhanian の演奏は、緩急強弱を駆使した名演奏で聴衆を魅了し、拍手が鳴り止みませんでした。

ハチャトゥリアンの名曲、名演奏に酔いしれた聴衆が王子ホールを退場すると、大型台風の雨風が銀座四丁目交差点を吹き荒れており、嵐のようなハチャトゥリアンの音楽の世界を映像で描いたようにに鮮やかに見えました。
(以上)
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【2013/10/18 22:11】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
読書は充実した人間を創る
人々の活字離れが進んでいると言われて久しくなります。最初はテレビを見る人が増えたためでしたが、最近はインターネットの普及で、印刷された書物や雑誌は益々読まれなくなったのです。

しかし、考えてみれば大衆が読書をするようになったのは、20世紀に入ってからです。それ以前は、読書はインテリやエリートたちに限られていました。大衆にとって書籍は高価でしたし、彼らに読書する時間的余裕もありませんでした。

日本では、大正時代の後期から昭和に掛けて書籍の出版が盛んになり、容易に書物が人々の手に届くようになりました。と言うことは、日本では読書の習慣が人々の習慣に根付いてから未だ百年も経っていないのです。

でも、高学歴の普及で読書人口も当然増えて良い筈です。それなのに活字離れは彼らの間でも進行していると嘆く声を聞きます。しかし、それは元々読書人たり得ない人々までが高学歴を求めた結果であって、本当の読書人は学歴に関係なく限られているのです。

戦後の日本の出版界では、もう一つの新しい運動が起きています。それは漫画本の隆盛です。漫画を読む人が活字を読む人より幼稚だと言う訳ではありません。伝達する文化の高さは形式より内容にありますから、漫画本を読むのも立派な読書となり得ます。

人類が地球上に現れてこの方、外界の情報を得るのは殆どが外界の映像を見ることによってでした。現代でも活字より映像によって得る情報の割合は、圧倒的に大きいのです。漫画の画面は見た瞬間に理解され、ストーリーも間違いなく伝わります。

印刷媒体の世界でも漫画本が盛んになるのは自然の現象なのです。その漫画本が日本のサブカルチャーとして世界に広く受け入れられているのも、自然の流れなのでしょう。

それにも拘わらず、伝統的な書物を取り扱う古本屋さんは、減っていないようです。それどころか、インターネットの普及で古書探しは便利になり、売買の規模は増えているそうです。

世界一の規模と言われる神田の古書店街では、老舗の店舗は健在です。扱う書籍の専門化が進んで特定の分野の書籍に特化する本屋も増えました。新手の書店も増えています。神田の古書店街は縮小していませんし、定期的に開かれる神田の古本市には、今でも沢山の人が集まります。(写真1、2)

1.神保町古書街-18D 0910qt
写真1
2.神保町古書街-22D 1211qt
写真2

テレビやインターネットの普及にも拘わらず、活字を通して知識や情報を獲得する人々が減らないのは、読書には隠された効用があるからです。その効用は映像を使う漫画本では得られず、文字を使う書物を読むことで得られます。

文字を読む(この点ではインターネットも読書と同じです)と言う行為は、単に知識を獲得するだけでなく、人間の頭脳に抽象的な概念操作を要求するのです。人間の脳は、読書の過程で概念操作を繰り返しているのです。(写真3)
3.書物-01D 0612qt
写真3

人間の知性と感性は、具象を認識するだけでは十分発達せず、抽象を理解することで大いに発達するのです。人間は文字という抽象表現を使うことによって、概念操作を活発に行い知性と感性を磨いているのです。(写真4)
4.図書館-09D 0905q
写真4

シェイクスピアと同時代の哲学者、フランシス・ベーコンは、「知は力なり」と言ったことで有名ですが、同時につぎのようにも言っています。「会話は機転の利く人間をつくり、執筆は緻密な人間をつくるが、読書は充実した人間を作る」と。
(以上) 
【2013/10/12 22:50】 | 人生 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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