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錆びは生きてきた証
  1.錆びたトタン-05P 98r
  写真1
          2.錆びたトタン-08P 98t
          写真2
                   3.六郷-11P 97t
                   写真3
                            4.六郷-15P 97t
                            写真4

鉄の金具や道具は使っているうちに錆びてきます。鉄でなくても錆び易い金属製品をそのまま大気中に曝しておくと、変色したり錆が生じます。

錆は外見が悪くなるだけでなく、その素材を腐食させておくと、機材の使用が出来なくなります。最近起きた笹子トンネル天井板落下事故はボルトの腐食が原因だと言われていますが、トンネルだけでなく橋梁や鉄塔なども錆びる素材を使用した建造物には錆は禁物です。

その錆びを防ぐには予め防錆処理を施すのが普通です。メッキをしたりペンキを塗ったりします。更には素材にクロムやニッケルを含ませて錆び難いステンレス鋼を作ります。こうして錆びの原因となる酸素、水、塩分を素材から遮断するのです。

人間から見れば錆は嫌われ者ですが、鉄などの素材の方から見れば錆びるのは自然の成り行きなのです。鉄の素材は自然界では鉄鉱石として存在していますが、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして酸素を奪い、その時流れ出た金属鉄を私たちは鉄材として使います。

こうしてこの世に生まれ出た鉄材は空気中で過ごすのですが、その空気中には無理矢理引き離された酸素が充満しています。錆の発生は、鉄がその酸素と再結合して、元の鞘に収まった姿です。そう理解すれば、錆の発生は鉄が空気中を生きてきた証(あかし)なのです。

長い間、風雨にさらされたトタンの屋根や壁は赤茶けて表面が崩れ、生きてきた歴史を語っています。
自転車やカーテンのあるトタン塀の家には、未だ人が住んでいます。(写真1、2)
ガラス窓が閉まっている、また破れている倉庫は廃屋かもしれません。最後の写真4の錆びたトタン壁の模様は、構図も色彩も抽象画のようになっています。(写真3、4)


古色蒼然として立っている石造の建築物や木造の家屋には歴史の重みがありますが、哀れさは感じません。しかし、錆びたトタンの壁を見ると何か痛々しく可哀相に思えます。それでいながら、役目を終えて朽ちていく錆びたトタンには何か暖かみも感じます。中には美しささえも感じます。
(以上)
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【2013/02/23 10:32】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
灌木は生命力の強い木
                    1.多行松:新宿御苑-02D 1302q
                    写真1
                    2.姫沙羅-04D 0908qc
                    写真2
                    3.樹木:多行松-11D 1302qc
                    写真3
                       4.樹木:多行松-07D 1211q
                       写真4
                       5.樹木:多行松-04D 1211q
                       写真5

樹木の生え方に二種類あります。一本の幹を主幹として高く伸び、脇枝を四方に出して成長する木と、根本から複数の幹が生えて、どれが主幹でどれが枝か分からない木があります。前者を喬木(きょうぼく)と言い、後者を灌木(かんぼく)と言います。

喬木はスギやマツのよう高い木ですが、灌木はツツジやサザンカなどの低い木です。背の高くなるクヌギやコナラも根本から何本もの幹を生やすので灌木に入れても良いでしょう。これらの灌木は、平地の里山で雑木林を形成することが多いです。そして自然界では最初に林相を作って地味を肥やし、次に高木が育つのを助ける働きがあります。と同時に、周辺の人々に燃料や肥料を供給する貴重な自然資源になります。

灌木の雑木林は、里の人々に伐採されても根本から再び生えてきて枯れることのない生命力のある木です。雑木林の中を歩くと、灌木の根元に沢山の切り株が集まって岩のように盛り上がっているのを見ることがあります。これが、切り刻まれても切り刻まれても生えてくる灌木の生命力の証拠なのです。

ギリシア、メソポタミア、中国の古代文明は、森林を伐り尽くして、自らの文明の基礎である森林を破壊して滅びたと言われます。宮殿や船舶を作るのに木材が必要でしたが、それより森林を失った最大の原因は、銅器、鉄器を生産するために原燃料として燃やされたことにあります。

司馬遼太郎は「樹木と人(鉄のために森をなくした国々)」というエッセイの中で次のようなことを言っています。
「日本は朝鮮半島から製鉄技術が入って来たとき、鉄器製造のため山林伐採したけれど、(日本は)モンスーン地帯で雨量が多く、樹木を伐っても、その後に植林をしなくても、山林は自然に復元し、三十年で元に戻った」と。

司馬遼太郎はモンスーン地帯という理由だけを指摘していますが、それに付け加えて、冬にシベリアから吹く寒風が日本海を渡るとき大量の雪を日本海側の山地に降らせたことも、日本の森林が繁茂した理由でしょう。

いずれにしても、大陸から製鉄技術が入ってきた6世紀頃、日本ではクヌギやコナラを炭に焼いて製鉄の燃料にしたことは疑いありませんから、伐っても伐っても生えてくる灌木の存在は有り難いものでした。今様に言えば、雑木林は再生可能な自然エネルギー源でした。

花が咲かないでも愛される木の多くは、姿形の良い松や柏のような喬木です。灌木は地面から複数の幹を生やし足元がすっきりせず、立派な脇枝も伸びませんので、余り好まれません。

しかし、中には樹形や樹幹の美しさで庭園や公園に植えられる灌木もあります。赤松の一種の多行松(たぎょうしょう)がその一つです。また樹肌の高貴さで好まれる姫沙羅(ひめしゃら)も、その一つです。(写真1、2)

ここでは地面から樹幹を伸ばす、多行松の力強いオブジェのような姿態をご覧に入れます。
(写真3、4、5)
(以上)
【2013/02/17 20:43】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
文明の衝突と伝播 現代の課題
文明は永遠に続くものではなく何時の日か消滅するものですが、同時に文明は伝播し普及するものです。伝播して広く受け入れられて普遍性を獲得した文明は、優れた文明と云えます。

このようにして普遍性を獲得した文明としては、西洋ではギリシャ、ローマ文明がありますし、西アジアではメソポタミア文明がありますし、アジアではインド、中国文明がありました。

文明圏の拡大には、受け入れ側が征服されて強制的な場合と、征服を伴わず受容が自発的な場合とがあります。いずれの場合でも人々がその文明の価値を受容して、初めてその文明圏は拡大しました。

日本は、古くは随、唐の文明を受け入れ、近くは西欧の近代文明を受け入れましたが、両方とも自発的に他の文明を摂取しようとするものでした。日本は途中で遣唐使を中国に派遣するのを廃めましたが、その頃には唐文明が衰退し始めて、導入するに値しないと日本人が考えたからです。

明治政府は政権樹立直後のあわただしい時期に、政府首脳自らが大挙して長期間にわたり欧米の経済社会を視察するために岩倉使節団を派遣しました。外国文明の摂取に関しては、明治時代の日本人は、奈良時代、平安時代の日本人に劣らず熱心でした。

ドイツの哲学者シュペングラーは、20世紀初めにアメリカとロシアの台頭を予想して「西欧の没落」を書きました。スペインの哲学者オルテガはその著書「大衆の反逆」で過去3世紀間にわたるヨ-ロッパの世界支配は終わりに近づいていると論じました。前世紀初めに、西欧の知識人は西欧文明の全盛期は終わりつつあると予感していたのです。

一般的に言って、文明の隆盛期には文明圏は武力を背景にを拡大する傾向があります。また文明の衰退期には、その文明圏は侵略されて滅びるか、他文明により摂取されて消滅します。18世紀に世界に先駆けて産業革命を実現した西欧社会は、武力で中近東とアジアを植民地として西洋文明の支配下に置いたのです。

現代は、アジアなどの非西欧文明が興隆する兆候を示しています。そのことをオルテガは「略奪されるヨーロッパ」と表現しています。嘗て他文明を略奪した西欧文明は、今や逆に非西欧文明に略奪されつつあるというのです。

イギリスの歴史家トインビーによると、世界の文明は、発生、成長、衰退、解体を経て交代すると述べています。そしてアメリカの歴史学者ハンティントンは、21世紀は文明の衝突の時代だと論じました。そして文明と文明が接する断層線での紛争が激化しやすいのが今世紀であると指摘しました。

ハンティントンは、具体的にキリスト文明とイスラム文明との間に武力衝突が起こることを予想しています。文明間の折衝では、支配・被支配だけではなく、抱擁・吸収で終わることもあります。しかし、抱擁・吸収が起こるのは、文明を受け入れる側に与える文明を栄養として吸収する態度と能力が必要です。

複数の文明が相互に干渉することなく存在し得たのは可成り昔のことであり、現代は狭い地球上に幾つかの文明がせめぎ合っています。文明は強大なようですが壊れやすいもので、一旦壊れると再起不能な打撃を受けるものです。

そうであれば、尚更狭い地球に存在する文明は相互に理解し合い、寛容になることが大事です。今日ほど異なった文明が共通の価値観を持つことが必要な時代はありません。文明間で抱擁・吸収が進むよう努力して欲しいものです。武力で自己の文明を押しつけることは、それ自体が野蛮(非文明)なことなのですから。

下に掲げた写真はトルコ国内にあるユーフラテス川の源流を訪ねたときのものです。この川はトルコ東北部に源流を発してシリアを通過しイラクでチグリス川と合流して、ペルシア湾に注ぐ川です。世界四大文明の一つ、古代メソポタミア文明が栄えたのは、この川の流域でした。

イラクでの紛争が沈静しないまま、続いてシリアで内戦が起きている現状をみると、文明の衝突と伝播は人類の永遠の課題であるようです。
(以上)


                       ユーフラテス川-01Nh Nadbe r
                       トルコの東北部を流れるユーフラテス川
【2013/02/13 20:34】 | 文明 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
スチル写真とムーヴィーの違い
嘗て写真は写真師が撮るものでしたが、今や誰でも撮れるものになりました。嘗てムーヴィーは映画監督が撮るものでしたが、今やだれでも撮れるものになりました。それも一台のカメラで二つながらに撮影できる時代になりました。

スチル写真もムーヴィーも「撮る」と言い、両者とも三次元を二次元にして保存することは同じです。しかし両者は全く違う性格のものです。性格の違いは時間に関わります。撮るのにスチル写真は一瞬で終わりますが、ムーヴィーは時間が掛かります。見るのにスチル写真では時間制限はありませんが、ムーヴィーでは編集者が決めた時間に従います。

宗教哲学者、中沢新一氏は動物写真家、岩合光昭氏との対談の中で、「映画と写真を動物の命に対して並べると、映画は遊牧民の精神で、写真はハンターの精神である」と語っています。

更に敷衍して中沢新一氏は「遊牧というのは、物語を発生させていくやり方ですね。一緒に歩きながらやっていく。映画がそうでしよう。物語が必ずそこへ付着してくる。それと比べると、狩猟民は、死を仲立ちにして生き物と渡り合って、ショットによって相手に自分を関係づける」と語っています。

ここでは中沢新一氏は撮影する場合についてだけ語っていますが、観賞する場合にもスチル写真とムーヴィーとは大きな違いがあります。

スチル写真は現実の一瞬しか留めていませんが、それを観賞する人には、その一瞬を好きなだけ観賞する自由があります。それは想像する自由であり、堪能する自由です。しかし、映画には多くの映像が並べられていますが、それを観賞する人には、流れの中で立ち止まる自由はありません。

勿論、映画を観た後でもう一度感動を思い出す自由はあります。しかし、その感動は作り上げられたストーリーの塊に対してであり、映像そのものが喚起する感動ではありません。それに反し、スチル写真は、瞬間を凝固させただけの映像ですが、それを観る人の能動的な働きかけが喚起する感動なのです。
(以上)
【2013/02/04 19:50】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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