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写真は感情を表す芸術
1.水の陰影-07D 1301q
写真1
2.水の陰影-11D 1301q
写真2
3.水の陰影-13D 1301q
写真3
4.水の陰影-16D 1301q
写真4
5.水の陰影-23D 1301q
写真5
6.水の陰影-26D 1301q
写真6
7.水の陰影-30D 1301q
写真7
8.水の陰影-27D 1301q
写真8

アメリカで近代写真の父と言われたアルフレッド・スティーグリッツは、ヨーロッパで学んだ写真芸術を母国アメリカに持ち帰り、初めは絵画的な写真を撮っていましたが、後にアメリカ的な現実を被写体に選んで有名になりました。(例えば冬の駅馬車)

スティーグリッツが妻のオキーフを被写体として撮った一連の写真が評判となった時、それは被写体の所為(美しい)だと批判されて、それではと、誰もが見慣れている空に浮かぶ雲を被写体に選び、雲の連作を発表して、写真の価値は被写体の所為で決まるものではないことを示しました。

そのスティーグリッツは、写真は思想や感情を表す芸術だと言っています。その意味は、被写体は写真家の芸術する心を刺激するものであり、写真家はそこで生まれた思想や感情を映像として表現するのだと言うことです。

人は環境によって良くも悪くもなる様を、「水は方円の器に従う」水の性質に喩えますが、水の特筆すべき性質は、その変容の柔軟さではなく、光を反映する素晴らしい能力にあります。それは「器に従う」というような受け身の性質ではなく、周辺の風景を積極的に描き出す能力です。そして水面そのものが芸術品に変化する能力です。

写真を撮る人の多くは経験していることですが、撮影に出かけて川や湖沼に出会うと何か心弾む気分になります。それは風景の中で水が最も強くカメラに反応する被写体だからです。

冬の夕陽が落ちて、空に未だ薄明かりが残っている頃、下町を流れる運河の水面は、突然精妙な絵画に変わります。偶々通りすぎた小舟が作り出す波紋は、水面の色に濃淡をつけ、流麗な曲線となって広がります。(写真1、2)

その水面に僅かな風が当たるとさざ波が立ち、その流麗な曲線に波動を刻みます。曲線がメロディであれば、さざ波はリズムです。
(写真3、4)

小舟とそよ風が奏でる水面の音楽の波紋は、次第に滑らかになって、両岸に広がり、やがて暮色の中に消えていきます。
(写真5、6)

そこへ、水鳥二羽が飛び入りしました。光る波紋の筋を通路と見たのか、その波紋のなかを静かに進んできます。やがて流麗な波紋に沿って並んで泳いでいきました。(写真7、8)
(以上)
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【2013/01/26 12:37】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ブランドと美人投票論
表参道:青山通り東側-27D 06
       表参道-54D 0606qrc
                   表参道:青山通り東側:夜景-10D 0701qt
                             表参道:夜景-16D 0701qt
                                        表参道:夜景-40D 0701qt

世の中はブランド時代です。小物の装飾品から洋服、食品、レストラン、家屋、ホテル、学校、会社まで有名ブランドになりたがります。ひとたびブランド・イメージを確立すれば、値段が高くても気前よくお金を払って手に入れようとする人が沢山やってくるからです。

ブランドは、良い商品、良いサービスのイメージを伝えるシグナルです。イメージですから、必ずしも性能や機能を正確に伝えなくても宣伝効果はあがります。ブランド・イメージと商品やサービスの実体が異なる場合があっても、買う人々は余り気にしません。

しかし、人々はイメージを買って満足するのであって、商品の便利さ、美味しさ、住み心地、教育内容、収益力は気にしないと言えば、間違いになるでしょう。ブランド・イメージは、やはり実体の裏付けがあって持続するものです。

ところが商品やサービスによっては、必ずしも実体、即ち利用価値とは関係なくブランド・イメージが持続する商品やサービスがあります。その典型的なものが美しい宝石であり、デザインの良い装飾品です。これらは、人々の情感に訴えるものだからです。

実用的でもない、性能が良いわけでもない、値段が高いだけであるのに、ブランド・イメージだけで人気のある商品やサービスがあります。これこそブランド商品の中のブランド商品というべきで、それはお金持ちや有名人が好むというだけで一般の人々も競って買い求める商品です。

このことにいち早く気付いて、ブランド・ビジネスで成功したの人が、グッチ社のグッチオ・グッチでした。ロンドンの高級ホテルでボーイとして働いていたグッチオ少年は、そこに宿泊する王侯貴族の振る舞いを見て、彼らがステイタスを買っていることを知りました。

ステイタスを買うなら、商品やサービスの内容の善し悪しは問いません。買う動機に実用性が関係しないとなれば、実用的でない物ほどステイタスが純粋に表現できます。世間を見回すと、そのようなブランド商品がイメージだけで高く売られているのを知ります。

皮肉な人が言いました。皆が高級だと思えば高級になるのだと。多くの人々が「高級である」と考えるブランドは、丁度美人コンテストで優勝する美人のようなものだそうです。美人コンテストでは、自分の好む美人ではなく、多くの他人が「美人である」と見なす候補が優勝しますから。

経済学者ケインズは、学者でありながら株式投資でも大いに儲けたそうですが、彼は株式相場はこの美人投票論のようなものだと言っていました。
(以上)
【2013/01/14 10:40】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜の木の影
     1.皇居の濠端:千鳥ヶ淵-01D 1212qr
                    2.皇居の濠端:千鳥ヶ淵-04D 1212qr
                                   3.皇居の濠端:千鳥ヶ淵-05D 1212qr

落葉樹の美しさは、新緑の頃が最高ですが、秋の落葉の華やかさも捨てがたいです。しかし全ての葉を落とした冬の木立をわざわざ観賞に訪れる人は少ないです。

皇居の千鳥ヶ淵は、桜の名所で花の季節には人波で埋まりますが、冬は人気がなく静まりかえっています。晴れた日には濠の向こう側の土手の斜面に桜の木が影を落としています。

冬に葉を落として裸になった木立の多くは、しなやかな曲線美をあらわします。衣装を脱いだヌードの美しさとでも言ってよいでしょう。しかし、桜の幹はごつごつしていて、ヌード美には程遠い姿です。

しかし、その無骨な桜の幹でも、その影と合わせて見ると、不思議な魅力を感じます。音楽で言えば、伴奏つきで桜の樹幹を眺める感じです。横に伸びた樹幹と少しずれて地上に落ちた影と組み合わせると、追いかけ合う遁走曲を聞いているようです。

「かげ」には二つの意味があります。存在を隠す「陰」と顕す「影」です。夏の木蔭は太陽の熱と光を遮る隠す陰ですが、冬の木の影は木の姿形を顕す影です。時には影法師が実体を如実にあらわすことがあります。

満開の時は見えない千鳥ヶ淵の桜の本体は、こんな姿形かと暫く眺めていました。
(以上)
【2013/01/07 11:12】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
初めて訪れるところ
                    中尊寺-01P 99q
                    写真1 中尊寺の高台からみた農村風景
                  牛込門石垣-01D 0806q
                  写真2 中央線飯田橋駅近くにある牛込門の石垣

写真撮影に興味を持つ人なら誰でも初めて訪ねる場所に心躍るものです。そこには何か新しい被写体が見つかるかも知れないとの期待があるからです。

その気持ちはカメラを持たない人も同じです。
ゲーテは長編戯曲「ファウスト」で次のように語っています。
「初めて立つ岸辺で、初めて浴びる陽光は、初めて味わう温かさだ。人はきっと、その新鮮な光に魅了される。初めての場所を訪れると、そこで初めてではない何かに接しても、きっと初めての何かを発見する。」(金森、長尾編集「超訳 ゲーテの言葉」より)

ゲーテは37歳のとき3年弱に及ぶ長いイタリア旅行に出かけてイタリア文化から多くを学びますが、南国イタリアの陽光は、太陽の少ないドイツに育ったゲーテにとって、ひときわ強烈な印象を与えたと想像するのです。

旅の印象を語る人を挙げるとすれば、漂白の詩人、芭蕉をおいて外にありません。有名な「奥の細道」はその旅の記録ですが、芭蕉は尊敬する歌人、西行法師の足跡を訪ねて東北地方を旅しました。

大阪で育ち江戸で暮らしていた芭蕉が、3月下旬から8月下旬までの5ヶ月もの間、東北各地をめぐる旅をするのは、当時の状況を考えると45歳になっていた芭蕉には命がけのことだったと思います。それ程までに芭蕉を旅に駆り立てたものは何だったのでしょうか。それは、西行に霊感を与えた自然の風光を、自らも感じ取って俳句に表現しようとする旅でした。(写真1)

「あらたうと 青葉若葉の日の光」という日光詣のときの句は、徳川将軍を賛美したものと解釈する人が多いですが、実は芭蕉の心は男体山をご神体とする二荒山神社への感謝を表現したと言われています。山の何処にでもある平凡な青葉若葉の日の光に、神を見たといったら良いでしょう。

ゲーテの言葉に「初めてではない何かに接しても、きっと初めての何かを発見する」と言っていますが、二度、三度訪れても新しい発見をすることは間々あります。

明治の文人、永井荷風は随筆「日和下駄」で次のように書いています。
「今日東京市中の散歩は私の身に取つては生れてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。之に加ふるに昔ながらの名所古蹟を日毎年毎に破却して行く時勢の変遷は、更に市中の散歩をして悲哀無情の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現はれた荒廃の詩情を味はうと欲すれば伊太利に赴かずとも手近の東京を歩むほど、無惨にも痛ましい思をさせる処はあるまい。」

このように、荷風は東京の山手を散策しながら消えゆく江戸の名残を惜しんでいるのです。

関東大震災と東京大空襲の二度の大火で江戸の遺跡は殆ど消えましたが、それでも石造の構築物は所々に残っています。その多くは、江戸城だった皇居近くにあります。例えば江戸城の牛込門だった大きな石垣を見て、往時の武士たちが出入りする姿を想像するのも又新しい発見です。(写真2)
(以上)
【2013/01/01 10:19】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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