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美を知っている小石たち
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美は創造するものではなく発見するものだと言います。自然には数多の美が隠れていると言います。自然の美は、その存在が人に気付かれて初めて言うところの「美」となります。

美は自然の中にあり、人はそれを発見して真似ると言います。とすると、芸術品は、自然から発見された美が、真似る技術で磨き上げられた結果だと言えましょう。

ある古刹の境内を歩いていると、苔むす庭に小石が散らばっているのを見つけました。

ある小石の群れは、蹴散らかされ踏みつけられて苔の地面に埋め込まれたいました。又ある小石の塊は、雨で削られた小穴に纏まって落ち込んでいました。

何処にでもある苔庭の小石たちの姿です。しかし、じっと見ていると小石は意志を持って境内を徘徊しているかのように見えてきました。

列を作っている小石たちは、曲がりながら何処へ行くのか苔庭を移動中のようです。小さな穴に肩寄せ合って集合している小石たちは移動するのをやめて、一休みしているかのようです。

訪れる人の少ない境内で、それらの小石たちは、ビロードの苔を敷き詰めた庭で、白っぽい肌を見せて、美しく動き回っているのです。
(以上)
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【2012/03/28 20:32】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真は俳句方式か和歌方式か
写真はよく俳句に喩えられます。森羅万象への感懐を17文字(五七五)で表現する俳句に対して、写真は目から入った印象を一片の映像として切り取って表現すると。

俳句は使う言葉の数に厳しい制限があるので、不必要な言葉を排除するのに全力を傾けますが、写真はレンズに入る映像は全て写ってしまうので、不必要な映像を極力排除するよう大いに努めます。

このように俳句も写真も表現する際の材料を出来るだけ少なくしようとします。余分な言葉や余分な映像を削ることで、表現する内容をより鮮明にし、強調し、その結果、人々により強い感動を与えようとするのです。俳句も写真も、冗長は敵であり、説明は失敗だと言います。

俳句ですが、これは和歌から発達した俳諧連歌の第一句(発句)が独立したものです。31文字で詠まれる伝統的な和歌より短い詩です。江戸時代の前期に史上最高の俳人と言われた松尾芭蕉が活躍し、明治には俳句の復興を唱えた正岡子規が活躍しました。

それでは俳句の親元である和歌はどうでしょうか。万葉集、古今和歌集、新古今和歌集と受け継がれ、明治以降は短歌と呼ばれて、今でも盛んに詠まれています。いにしえの人々が恋情をめんめんと綴った和歌など現代人にもすぐ通じます。

ところで、31文字の短歌は17文字の俳句よりも、より説明的です。従って、短歌は詠む人にとっても観賞する人にとっても、作り易く理解し易いものになります。(これは短歌は読みますが、作らない私の想像です)

そこで、写真の撮影でも、俳句方式よりも短歌方式で行くのが良いのではないかと考えてみました。見る人の感動を強めるために写る被写体を極力排除するのは程々にして、画面に少々の余分な映像が入るのを許すのです。俳句方式よりも短歌方式にすると、写真は撮り易くなりますし、見易くなります。

この頃は、このように気持ちを切り替えて気軽に写真を撮るようにしています。駄作を沢山撮りますが、そのうちに良いものも多くなるでしょう。俳句では考え込むよりも沢山作れと言われます。写真も俳句も多写、多作が良いようです。
(以上) 
 
【2012/03/21 21:20】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寿命の長いススキの穂
     1.すすき-15P 87t
     写真1
                         2.すすき-13P 89t
                         写真2
     3.中川-06D 1202qt
     写真3
                         4.中川-20D 1202qt
                         写真4
ススキは、日本の山野にはどこにでも生えている草です。山野には色々な草が生えますが、変遷する草原を最後に制覇するのはススキです。それだけ繁殖力と持続力が強い草です。

戦後の一時期、外来種の黄色い穂のブタクサが繁殖してススキの原を圧倒した時がありましたが、今はススキの野原となっています。

ススキはそれほど強靱な草ですが、その姿は繊細で弱々しい外観を持っています。野口雨情が作詞し中山晋平が作曲した「船頭小唄」は枯れススキの歌として有名ですが、ススキを暗い歌詞と悲しい曲で歌っています。

その所為か、ススキは、白い穂を出したばかりのふさふさした秋のススキ野の風景よりも、枯れ果てて、かさかさして黄ばんだススキの野原の方が風情があります。太陽の高い日中よりも、傾く夕陽を浴びたススキが美しいです。(写真1、2)

外見の弱々しさに反して強靱なススキは、枯れてからの寿命がとても長いのです。冬の寒風にもめげず、春先に草木が新芽を出しても未だ枯れ穂で頑張っています。

もう春めいたある日、今は川の流れを辞めた東京下町の中川の土手を歩いていて、ススキの枯れ穂を美しいと思い撮影しました。
(写真3、4)
(以上)
【2012/03/15 19:25】 | 風景 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
仮想現実の落書
                     落書き-04P 04t

仮想現実とは英語のバーチャルリアリティ(Virtual Reality)の訳語です。コンピュータで構築された映像ですけれど、実物を見るように見えます。描かれたものは立体的で、五感で感じるよう見えます。

東京の両国駅近くのコンクリート壁に描かれた落書きを見て、おや!と思わず引き込まれました。そこは自転車置き場なので実物の自転車が何台か置いてありました。

コンクリリート壁は、上半分は空色、下半分は鼠色のツートンカラーで染め分けてありましたから、上半分は一見、空間のように見えます。いま、一人の男が鼠色のコンクリート壁を乗り越えて、空色のコンクリート壁を突き抜けていこうとしています。

空色の部分もコンクリート壁ですから、現実には透明人間でなければ壁を通り抜けられません。それなのに、二番目の男が、一番目の男に続いて架空の空間に向かって進もうとしています。公共物への落書きは褒めたものではありませんが、この落書きには思わず微笑んでしまいました。

しかし、もし三人目の男が酔っ払ってこの二人に続いたら、間違いなくコンクリート壁に頭を打ち付けて怪我をするでしょう。その所為かどうか知りませんが、この落書きは消されてしまい、今はありません。
(以上)
【2012/03/08 10:10】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
氷の結晶の美しさ
            1.池の氷-05D 1201q
            写真1
                              2.池の氷-04D 1201q
                              写真2
        3.池の氷-01D 1201q
        写真3
                                   4.池の氷-07D 1201q
                                   写真4
雪の結晶の美しさを紹介した物理学者中谷宇吉郎は「冬の華」という随筆を書いていますが、氷の結晶の美について人々は余り関心を示しません。しかし、氷の結晶も雪の結晶に劣らず綺麗なものです。

この頃は冬でも東京では滅多に氷の張った池を見ることがありませんが、今年は例年になく寒い冬なので、池などに薄氷の張る日があります。偶々訪れた墨田区にある旧安田庭園の池で美しい氷の結晶の模様を見つけました。

その池は庭園の真ん中にあり、周囲を樹木で囲まれているので、池の表面は余り波が立たず、氷結するのに良い条件だったようです。そのため氷の平板な部分とさざ波の部分とが混ざり合った、複雑な氷の模様を見ることができました。

雪の結晶の美は顕微鏡でなければ見えませんが、氷の結晶の美は肉眼でも見えます。池の周りを巡りながら、氷の表面に当たる光の変化を楽しむことが出来ました。凍った池の表面を眺めているうちに、色々な想像が湧いてきました。

ある角度からは広大な山脈を宇宙から眺めるように(写真1)、ある角度からは火山湖を真上から覗き込むように(写真2)、ある角度からは細菌を電子顕微鏡でみるかのように(3)、ある角度からは洪水が泥土を平野に押し流しているように(写真4)見えてきたのです。

自然が創り出した、同じものは二度と現れない、ひとときの氷の芸術作品をご鑑賞下さい。
(以上)
【2012/03/01 18:42】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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