FC2ブログ
晩秋のツワブキ
         1.つわぶき-13P 83t
                            2.つわぶき-04P 96t

日陰の花の代表として、梅雨時のアジサイと晩秋のツワブキを挙げたいと思います。強い太陽の陽を避けて木陰で静かに咲く日陰の花は、太陽に向けて派手に咲く花と違って、アジサイもツワブキも人の心を吸い込むような雰囲気を持っています。中でもツワブキには、何故か見る人の心を落ち着かせる働きがあります。

東京ではツワブキは晩秋から冬にかけて物陰に密やかに咲きます。やや強めの黄色い小ぶりな花と、つやのある濃い緑色の分厚い葉は、見事なバランスで治まっています。ツワブキが木陰や石垣に隠れるように咲く様は、妖艶でありながら控えめな貴婦人の風情があります。

ツワブキの葉は薬草として使われていたようで、葉を火にあぶって打撲などの湿布薬、煎じて飲む胃腸薬などのために栽培されたこともありました。

でも、ツワブキの本領は、寂しさが漲る晩秋に、花と葉を共に鑑賞するところにあります。と言いますのはツワブキは花の少ない時期に咲くからです。庭の片隅に植えて、深まる秋をしんみりと感じるのに相応しい花です。

写真は、皇居の東御苑に咲いていたツワブキの花です。紅葉する樹木の下の薄暗い地面に明りを灯したように咲いていました。石垣の裏側の薄暗い隙間を照らすように咲いていました。
(以上)
スポンサーサイト



【2011/10/29 08:41】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
モンドリアンの抽象画と菜の花畑
                   3.ドイツ上空:往路-08D 1105qr
                   写真1 菜の花を栽培するドイツの農村
                   4.ドイツ上空:往路-07D 1105qtc
                   写真2 菜の花を栽培するドイツの農村              
                      1.モンセラー-03Pt
                       写真3 モンセラーの岩山
                      2.サクラダファミリア-01D 0610qc
                       写真4 サグラダ・ファミリア
ピエト・モンドリアンは、ワシリー・カンディンスキーと共に草創期の抽象画家として有名ですが、二人は他の画家達とは違う極めてユニークな作品を描きました。二人の画家には「コンポジション」という同じ名前を付けた作品もありますが、同じ抽象画家でも二人の作品はまた余りにも異なっています。

カンディンスキーはロシアに生まれ、ドイツで絵画を学び、外界の印象ではなく、画家の内面感情を表現する表現主義を唱え、絵画に音楽的な表現を試みた画家です。他方、モンドリアンはオランダに生まれ、フランスでキュビズムを学び、キュビズムの先にある純粋造形を目指した画家です。

両者は同じく抽象画家と言われていますが、その作風は余りに対蹠的なので、人はカンディンスキーを熱い抽象画家、モンドリアンを冷たい抽象画家と言いました。カンデインスキーの抽象画は、曲線を多用してダイナミックな構図に豊かな色彩のグラデーションを駆使して「動的」ですが、モンドリアンの抽象画は、直線を多用し色彩も三原色に限定し、平面的に描くので「静的」です。

初夏の頃、ヨーロパ内陸部の上空を飛行機で飛ぶと、眼下に菜の花畑が散在しているのを見ることが出来ます。それは大地に黄色い四角形や長方形の布がパッチワークのように張り付けたかのような風景です。これを見たとき、モンドリアンの絵画「灰色の輪郭をもつ色面のコンポジション」「グレイとライト・ブラウンのコンポジション」を思い出しました。(写真1、2)

若い頃モンドリアンは具象画を描いていましたし、カンディンスキーもデッサンは具象のスケッチから始めていたと言われています。ですから、抽象画家と雖も、現実の具体的な風景や事物から抽象へのインスピレーションを得ていると思います。

また、人工的な造形を目指す建築の世界でも、構想の段階で具象から基本形を抽象すると言います。サグラダ・ファミリア教会を設計したアントニ・ガウディは、その原型をバルセロナ郊外のモンセラーにある岩山に見たと言われます。円錐形の塔を何本も纏めた教会の構造は、石柱を重ね合わせたようなモンセラーの自然の岩山に似ています。(写真3、4)

ヨーロッパで菜の花の栽培が盛んになったのは、オイルショクのあと菜種油を増産するためですから、モンドリアンはこのような菜の花畑の風景は見ていないでしょう。しかし彼の生国オランダは国土の大半を干拓で造成した国ですから、果てしなく続く水平の大地は、モンドリアンの幼い時から見慣れた風景でした。その原風景を基にモンドリアンが、あの独特の抽象画を産み出したと考えても間違いではないでしょう。
(以上)
【2011/10/22 10:48】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
木の根の造形
               1.木の根-02D 1107qtc
               写真1
                              2.木の根-04D 1107qtc
                              写真2
               3.木の根-07D 1107qc
               写真3
                              4.盆栽-03D 05q
                              写真4
樹木を愛でるとき、人は枝振りを見ますが、根っこに関心を向ける人は少ないです。それは木の根っこが人目に触れないからです。もし、多くの木の根っこが至る所で露出していたら、人々は枝振りとともに根っこ振り(という言葉はありませんが)を愛でていたと思います。

一般的に樹木の根っこは、枝葉が前後左右に伸びる範囲以上に、地中で四方に伸びているそうです。それは、地中から栄養分と水分を枝葉に供給するためでもあり、空中に伸びた枝葉が風圧に耐える為でもあります。

それだけに根っこは、枝葉よりも逞しい姿をしています。樹種にもよりますが、偶々斜面に生育する樹木が、その逞しい根っこを露出しているのを見つけました。(写真1、2、3)

樹木の種類により、また生育する環境により、木の枝振りには色々な姿形がありますが、根っこ振りにも色々な表情があります。或るものは力強く荒々しく、また或るものは丸みがあって穏やかに、そして枝振りさながらに屈曲し組み合わされて、見事な造形を見せてくれます。

ここに掲げた木の根っこ振りは、自然に生えていた樹木の姿ですが、盆栽の世界では昔から枝振りと共に根っこ振りも観賞の対象でした。小さな鉢の中で優美さを競う枝葉に対して、圧倒的ボリュームで存在感を示している盆栽を見ました。
(写真4)
(以上)
【2011/10/13 08:56】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
Y.カーシュの肖像写真展を見て
いま東京六本木ミッドタウンの富士フィルムフォトサロンでユーサフ・カーシュの肖像写真展が開催されています。(2011.9.1~10.31)

Y.カーシュの名前を有名にしたのは写真雑誌「ライフ」の表紙に載ったウィンストン・チャーチルのポートレイトでした。その後、肖像写真家として世界的に名声を博し、カーシュに肖像写真を撮られることが有名人の証しとまで言われたそうです。

そのカーシュの肖像写真18枚が FUJIFILM SQUARE に展示されています。18人の個性溢れる偉人達の特徴を、カーシュのカメラは一瞬のうちに捉えて見事です。鋭い目つき、手の仕草、傾く頭、皮膚の皺などを見つめていると、彼らが眼前に居るかのような錯覚に陥ります。

以下に順不同で感じたままの感想を述べてみます。

会場の最初に掲げられていたのはチャーチルの写真です。この写真は撮影直前にカーシュが撮影に邪魔な葉巻をチャーチルの口から引き抜いた直後に撮影したという、曰く付きのものです。

むっとしたチャーチルがカーシュを睨み付けるその表情は、第二世界大戦でナチスのロンドン爆撃にも屈せず、英国を勝利に導いたチャーチルの根性そのものが顕れています。人間はちょっとした事件にも思わず本性を現すもので、カーシュのカメラ・ショットの鋭さは流石です。

マルク・シャガールの肖像写真は、チャーチルのそれとは全く違って、自らの作品をバックに配して、シャガールは夢見るような幸せな表情をしています。

ユダヤ人のシャガールは革命で故郷のベラルーシ(ロシア)を追われ、アメリカ、フランスと移り住みますが、空中に浮いて恋人のベラとキッスしている絵「誕生日」が語るように、常に愛の画家でした。故郷への愛を回想的に表現した作品の多いシャガールの内面を捉えた写真だと思います。

意外だったのは、男性的で逞しいアーネスト・ヘミングウェイの肖像写真が優しいまなざしであったことです。

撮影のためヘミングウェイの家に泊めてもらったカーシュが、翌朝ヘミングウェイの愛飲していたダイキリ(ラムのカクテル)を所望すると、体に良くないと気遣った話をカーシュは披露していましたが、ヘミングウェイは本当は優しい性質なのでしょう。それが優しい目に現れた瞬間をカーシュは見逃さなかったわけです。

アイルランドの劇作家、バーナード・ショーの肖像写真は、性格描写に徹した鋭い写真です。ショーは多くの戯曲を書きましたが、他方では皮肉な警世家として一世を風靡しました。常に時代の先を読み、鋭いレトリックで相手を論破していました。斜に構えた写真のショーは「君に何が分かるかね?」と言っているようです。

医者であり且つキリスト教の伝道者としてアフリカで活躍したアルベルト・シュバイツアーの肖像写真は、シュバイツアーの業績を映像化すると、かくの如しという写真です。片手を口に当て、俯いて目を瞑り、瞑想している額には、苦悩の皺が寄っています。演出したかのよう完璧な肖像写真です。

アルベルト・アインシュタインの肖像写真は、眼前で両手を組み、気楽に一点を見つめているものです。アインシュタインは相対性理論や量子論で革命的理論を展開した20世紀最大の物理学者ですが、個人的には偉ぶらない、気さくな人柄であったと言われています。写真のアインシュタインは、リラックスして目元は涼しげです。

肖像画においても肖像写真においても、対象物に肉迫してその内部にあるものを把握して表現するという点では同じだと思います。違うのは、絵画では把握したものを反芻する時間的余裕がありますが、写真にはそれがありません。

ただし、写真には、多くの瞬間から一つの瞬間を選択できるという利点はあります。即ち、何枚も写真を撮って、その中から良いものを選択すると言う時間的余裕はあります。

しかし、撮られた複数の瞬間もまた、無限の瞬間の中から選択されたものです。肖像写真では、写される者と写す者とが対峙している間に、決定的瞬間というものが在る筈です。無数にある瞬間に潜む決定的瞬間を捉えることが、選択の全てであって、後から選択することは本当は選択とは言えないでしょう。

そのように考えると、カーシュがチャーチルを捉えた決定的な肖像写真は、これ一枚しかあり得ず、それ以前やその後に何枚もの写真を撮っていても、それらは選択の対象にはなり得ないのです。

上に取り上げた偉人達の外にも、パブロ・ピカソ、パブロ・カザルス、ジョアン・ミロ、ヘレン・ケラー、ジョージア・オキーフ、ジャック・クストー、ジャン・シベリウスなどの肖像写真がありましたが、それらも皆、内面を表出した決定的瞬間をカーシュが捉えたものでした。
(以上)
【2011/10/04 23:36】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
街の色空間にもっと関心を
     1.イタリア文化会館-01D 0704q
     写真1 イタリア文化会館
                              2.霊岸島-01D 0909qr
                              写真2 粋なバンダナのよう
     3.建物-48D 1012q
     写真3 宝石のカットのよう
                              4.浅草通りビル-02D 1109qt
                              写真4 積木細工のような彩色
     5.品川セントラルガーデン-01D 06.06qc
     写真5 品川駅東側のビル群
                              6.東側大展望台-23D 1001q
                              写真6 東京タワーから見た風景

嘗て皇居の千鳥ヶ淵近くにあるイタリア文化会館の外壁が赤い色で塗られた時、多くの人達から周囲の風景に馴染まないと言う苦情が寄せられました。イタリア人の美観からするとセンスの良い装飾的色彩なのでしょうが、日本人の美的感覚に合わなかったのです。(写真1)

日本の家屋の色彩は、白と黒を基調としたモノトーンのものが多く、色彩を用いても穏やかな中間色でした。しかし戦後のある時期から外装にメリハリの効いた原色を用いる家が現れ始めました。それでも、外壁を原色で塗りつぶす家は未だ少数派でしたから、イタリア文化会館の場合のように、色公害として強く糾弾されずに放置されています。

しかし、街中で大きな音をたてれば「騒音」として批判されるように、際だった色で街の色彩の調和を乱す行為は「騒色」として厭がられます。殊に公道に面する空間は、公共性がありますから周囲との調和に配慮して欲しいものです。

騒音が嫌われるのは音の秩序を乱すからですが、騒色もまた街の色彩の秩序を乱すから嫌われるのです。しかし、原色の家がたった一、二軒であれば、街の佇まいにアクセントを着けたような不思議な効果があることも事実です。(写真2)

しかし、それが一戸建ての家でなく、大きな空間を占めるマンションとなると問題は別です。近年、都内では沢山の高層ビルが建つようになりましたが、その外観は形や色がスマートなものからダサイものまで種々雑多あります。

ガラス状やメタリックな材質でビルの表面をカバーし、色調はモノトーンかツートーン・カラーに仕上げた高層ビルに出遇うと、成る程これが未来都市の姿なのかと思います。何はともあれ、そのような高層ビルの存在は街の空気を明るくしてます。(写真3)

しかし、他方では建物表面は凹凸であり、多種類の色彩で塗り分けられた高層ビルを見ると、何とも垢抜けしない、煩わしさを感じます。原色を取り合わせた子供の積木細工のような高層ビルは、ディズニーランドのような遊園地に限って欲しいです。(写真4)

都市景観は、形の空間と色の空間から構成されています。建物の高層化に際して、円筒形や紡錘形にしたり、三角形にしたりして都市空間の造形が試みられていますが、同時に建物の表面の色彩についても太陽光線の反射を利用したり、視点の移動で色調を変化させるなどの工夫が試みられています。

個々の高層ビルの色空間への努力や工夫はかなり進んでいますが、これが広範囲な都市空間となると全く様相は異なります。

それは上空から都市を俯瞰すると一目瞭然です。面として大規模開発が行なわれた新宿駅西口、品川駅東側のようなところは色彩の統一が図られていますが、点として開発され、それが点在する地域は、とても調和しているとは言えません。(写真5、6)

今後人々が街の色空間について、もっと関心を持ってより美しい都市景観が作る努力が望まれます。
(以上)
【2011/10/01 20:42】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |