FC2ブログ
光は光を奪う
                      神田の夕月-01D 06qr

昔、東京の三鷹に天文台があって天体観測を行っていましたが、今は国立天文台の三鷹キャンパスになってしまい、今では、ここでは天体観測は行っていません。観測所は長野県や岩手県に移転しました。と言いますのは、三鷹天文台の周辺は急速に宅地化して、天体の光が街の光に圧倒されて見えにくくなったからです。

月の光は、昼は見られない微妙な陰翳を、身辺の事物に作り出します。太陽が照らして見えるものと、月が照らして見えるものとは違います。一言でその違いを言えば、月夜の光は人の情念に訴えるものが多いのです。ですから古来、月の光は詩歌の良き題材となりました。

写真でも、明るい中で更に明るいものを写しても印象的にはなりませんが、暗いなかで明るいものを写すと印象的になります。相対的な明るさ、即ち、コントラストが人間の目に強い印象を与えるからです。

都会を離れて田舎で見る月は本当に明るく見えますが、大都会で宵に昇る月は、その光が街の明りに減殺されて余り目立ちません。月自身の光の力が減殺され条件のもとでは、月の光が作り出す陰翳も殆ど見えなくなります。

写真は東京の都会のビルの谷間から昇る満月です。自動車のヘッドライトの明りに圧倒されて、地上には月影のかけらもありません。
(以上) 
スポンサーサイト



【2011/04/28 11:07】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
春の花のアンサンブル
          皇居の濠端-41D 1104q
                              皇居の濠端-43D 1104q
          皇居の濠端-44D 1104q
                              皇居の濠端-48D 1104q

春は木も草も一斉に花をつけます。咲く花は、色も形も違いますし、場所も高さも違います。花は一つの種類だけ眺めるより、違うものを取り合わせて鑑賞すると尚楽しいものです。

花見に皇居のお壕の淵を歩いていたら、桜と菜の花のアンサンブルに出逢いました。薄いピンクの桜の花は、黄色い菜の花によく似合います。桜は上から、菜の花は下から伸びています。お濠はよい立体装置を用意してくれました。

二つの花を同時に眺めて一方に注視すると他方はぼんやり柔らかく見えますし、顔を動かして夫々を引き離して見ると風景の奥行きが見えます。同じ景色を何通りにも眺める楽しみがあります。

二つの花の関係は、桜がメロディを奏でて、菜の花が伴奏しているようでもあり、又その逆もあります。耳を傾けるとかすかな音楽まで聞こえてきます。

穏やかな四季の変化がある日本は本当によいところです。
(以上) 
【2011/04/22 08:41】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
桜は花も枝も乱舞する
                 1.桜-01Pt
                 写真1
                                  2.皇居の濠端-49D 1104q
                                  写真2
   3.さくら-08D 1104q
   写真3
                  4.さくら-09D 1104q
                  写真4
                                 5.さくら-10D 1104qt
                                 写真5
花は総じて咲き始めか盛りの時期に鑑賞するのが一番いいのですが、桜に限っては何時の頃からか散り際を愛(め)でるようになりました。

特に、ソメイヨシノは木々の枝々に密度濃く沢山の花びらをつけるので、その花びらが一斉に散る様は壮観です。風に吹かれて吹雪のように飛ぶ花びらの中を歩いていると、夢幻の中をさまような気持ちになります。

また、地面に落ちて敷き詰められた花びらは絹の絨毯を敷いたように見えますし、花びらが川面に散って流れる様を俳諧では花筏(はないかだ)と言って愛でます。(写真1、2)

桜の花は咲いても散っても美しいと言って愛されますが、桜の木は黒くてごつごつしていて、とても美しいとは言えません。特にソメイヨシノの木の肌は無骨で醜いものです。

しかし、桜の木の根元に立って梢を見上げると、樹幹も梢も違った姿に見えます。三分咲き、四分咲きの頃は、花びらで幹や枝を隠されることなく、その姿態を全て見上げることが出来ます。

桜の木の根元に立ちますと、目線の位置から眺めたごつごつした樹幹の肌は目に入りません。花びらが風に舞う前に、幹と枝は身をくねらせて踊っています。

今年は、桜の花はもう散り始めていますから、花びらの乱舞と同時に、花びらが落ちて透けて見える樹幹と小枝の踊りを楽しむことも出来ます。
(写真3、4,5)
(以上)
【2011/04/14 15:10】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
赤い郵便ポストはパブリック・アート
            ロンドン-39Pr
            写真1 ロンドンの郵便ポスト
                      赤ポスト-04P 83ht
                      写真2 川越の街にて
                                角館-09P 98qr
                                写真3 秋田県角館にて
郵便ポストと言うと、個人の家の玄関口などに置いてある郵便受けの小箱のことも言いますが、郵便局が街角に設置している赤い四角い大きな箱も郵便ポストと言います。

郵便局が設置する赤い四角い郵便ポストは、嘗ては円筒形の丸い郵便ポストでした。明治新政府が飛脚制度を改め近代的な郵便事業を興そうとしたとき、責任者に任命された前島密は、イギリスにその範を求めました。

イギリスの郵便ポストは円筒形でした(写真1)。明治末期の最初の郵便ポストは、イギリスのそれを模して作ったので、同じく円筒形でした。戦後も丸形と称する円筒形のポストを作りました。

明治に赤い丸形の郵便ポストが街角にデビューしたとき、おそらく郵便というモダンな事業を象徴するシンボルと見られたでしょう。戦後も、同じく丸形を踏襲して街角に立つ郵便ポストは、その派手な赤い色と、人間の背丈と同じ高さの存在で、街の中のアクセントになりました。

ところが、1970年に現在多く見られる長方形の角形郵便ポストが誕生します。郵便配達人が郵便物を取り出すのを便利にするためでした。どこか人間味のある丸形から、機械的な箱形の郵便ポストになりました。それだけ無表情で事務的で目立たない存在になりました。

更に、街路の色彩が多彩になったため、郵便ポストは尚更目立たなくなりました。四角くなった郵便ポストは、明治にデビューしたころの新鮮さはなくなり、街のアクセントとしての存在感もなくなりました。

今やインターネットの時代ですから、これもやむを得ないでしょう。しかし、郵便ポストを見て遠くへの憧れを感じた時代を覚えている者にとっては、寂しい気がします。

そこで、郵便ポストを郵便事業の宣伝手段として使うのです。郵政グループのキャラクターとして変身させる案は如何ですか? 商業的なキャラクター・グッズが氾濫する時代です。郵便ポストを道行く人々を楽しませるパブリック・アートとして考案するのです。

そのパブリック・アートは、超モダンな形態でも良いですし、昔の丸形の郵便ポストを復活させて郷愁を誘うのも一方です。

写真は、埼玉県の川越(写真2)と秋田県の角館(写真3)で見た伝統的な丸形の郵便ポストです。いずれも古風な街角に古風な郵便ポストが立っている風景は一幅の絵になります。これも立派なパブリック・アートです。
(以上)
【2011/04/08 22:41】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
樹木の吐息
                      樹の幹-17P(事項別:花と樹 P)

冬の間、木々は静かに春が来るのを待っています。厳寒の最中にも枝の先端を膨らませて持っています。

木々は動物と同じく息をして生きています。動物のように移動できないだけで、地中と空中から栄養分を吸収し、呼吸をして生きています。彼らの呼吸は、動物と反対で、動物が必要とする酸素を排出し、不要とする炭酸ガスを吸収します。

春先の雨上がりの或る日、渓谷に踏入り、ふと見上げると、樹木から白い湯気が出ていました。前夜降った雨が水蒸気となって立ち昇っているのでしょうが、樹木が酸素を吐き出しているように見えました。

久しぶりの湿り気と暖かさで、樹木も気持ちが良かったのでしょう。その酸素のような水蒸気は、何時までも昇り続けていました。

太陽の光で白く見える、その酸素の吐息を写し撮りました。樹は確かに生きていると感じながら。
(以上)
【2011/04/01 21:22】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |