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春先の花を襲う雪
                     梅と雪-01Pt
                  福寿草-01Pt

冬は日本海側では大雪が降り、太平洋側では晴天が続きます。このような気象条件が定着したのは極めて古く、一万年ぐらい昔からだと聞きました。

そのころ地球の温暖化によって海面が上昇し、暖流の一部が分岐して対馬海峡を通って日本海に入って来るようになりました。

暖まった日本海の海面にシベリヤ寒風が接触すると、海水は水蒸気となって上昇し、水蒸気を含んだ雲が日本列島の山脈にぶつかり、冬期に大量の雪を降らすようになったのだと言うのです。

縄文時代に日本列島はブナの森林で覆われていたそうですが、水分を大量に必要とするブナがそのように繁茂できたのも、冬期に大量の雪が山に降り積もり、春にかけて徐々に流れ出すお陰なのだそうです。

それに引き替え、太平洋側には乾燥した風だけがやってきます。シベリヤ寒風の水分はすべて日本海側の山脈に落とした後だからです。その結果、太平洋側では天気は良いのですが空気がカラカラに乾燥しています。そのため火事や風邪に悩まされます。

しかし、太平洋側でも雪は降ります。降雪が少ないのは冬期の前半の12月と1月の時期で、春が近づく2月、3月になると、時々雪は降ります。その頃になると別の低気圧が日本列島の南東を通過するからです。

その低気圧は、時には大雪を降らすこともありますし、遅く4月に襲ってくることもあります。関東地方ではこれを春の大雪と言い、農作物に良いと歓迎します。でも、春の雪は何時も突然であり、消えるのも早い雪です。

それに驚くのは人間だけではありません。咲きかけた花が一番驚きます。でも、驚いた花は一層美しく見えます。

数年前の写真ですが、雪の中の福寿草と紅梅をご覧に入れます。
(以上)
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【2011/01/30 19:00】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
訪日外国人が見る日本の色調
     1.湯河原-16D 0804q
     写真1
                      2.新宿南口-37D 1012qtc
                      写真2
                                3.靖国通-09D 03qtc
                                写真3

日本で生まれて日本の色を見て育った私たちは、日本の山野や街の色調は当たり前のもので、変だとか不自然だと思ったことはありません。しかし、初めて海外から日本を訪問した外国人は、目に入る日本の風景や街の色調は、自国のそれとは大分違って見えるそうです。

どのように違って見えるかと言うと、日本の自然の色彩は多様であり、かつ、余りに鮮やかであると驚くそうです。なるほど、四季の変化がなだらかなので、日本は自然の色彩に恵まれています。(写真1)

他方、街中を歩く日本人の衣装は、それとは逆にみな似ていて単調であり、色彩感に乏しく見えるそうです。

外国人ではありませんが、長く外国に滞在して帰国したばかりの日本人も、日本の色調について外国人と同じような感想を述べた人がいました。

それは作家の永井荷風です。時代は少し古く明治の終わり頃の話ですが、6年間ほど外国に滞在して帰国した永井荷風は、その時の印象を「帰郷雑感」で次のように述べています。

「(長崎に着いたとき)日本の海岸は、小さな部分的の処に、山もある、林もある、瀑もある、余りに変化に富んで居る為めに、自然らしい感想が浮ばぬ。山や林の緑深い事は、真実とは思へぬ程である。日本の緑色は、同じ植物の緑色でも西洋のそれとは全く異り、毒々しい程濃い事が著しく自分の眼についた。」と。

他方、生活の中の色彩については、次のように述べています。
「日本の生活には万事に視覚を刺激する色彩がない。住居する家の中、室の中に這入っても、天井、壁、障子、襖、畳、と其れぞれの物が、各自勝手の汚れた色をして居て、色彩の一致や調和がないから何の家、何の室へ行つても、居心がすこし落ち着かぬ」と。

日本の自然が西欧に比べて色彩に富むのは、日本は緯度が低く湿度が高いためですから分かりますが、衣装や身の回り品、調度品などが単調であるというのは、日本人自身の色彩感覚に西欧人と何処か違うところがあるのでしょう。

色彩を選択するとき、西洋人はその選択が他人の目にどう映るかに気を使いますが、日本人は自分の色彩への好みで決める傾向が強いのだそうです。色彩の選択においては、個性的と言われる西洋人が周囲との調和を重んずるのに、調和型である筈の日本人が自己主張するというのです。

考えて見れば選ばれた色彩は周囲の色彩との相関関係で眺められます。街路を歩く人々の衣装は、街路の色彩によって目立ちもすれば、目立たなくもなります。また、屋内に入れば衣装は室内の色調に合ったものが良いでしょう。脱ぎ着できるオーバーコートの色は、室内外の色彩の相性を調整をすることも出来ます。

今の若い世代の色彩感覚は格段に進歩していて、明治時代の荷風の批判は当たらないと思いますが、安心は出来ません。と言いますのも街路のビルなどを見回すと、街中に周囲の建造物の色に無頓着なものがあり、目立ちたがり屋の酷い色彩のビルが出現しても苦情を呈して是正させた話は聞きません。
(写真2、3)

まだまだ日本人は生活の中での色彩感覚には鈍感なのでしょう。
(以上)
【2011/01/23 11:47】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
欅は冬の青空に映える
1.九品仏浄真寺-43D 1101qt
 九品仏浄真寺の境内にて
          2.九品仏浄真寺-45D 1101q
           九品仏浄真寺の境内にて
                       3.雑司ヶ谷:ケヤキ-03D 1012q
                        雑司ヶ谷墓地近くにて
                             4.雑司ヶ谷:清土鬼子母神-02D 1012qt
                              雑司ヶ谷清土鬼子母神の境内にて

関東地方の平野部では毎年冬は好天が続きます。その青空に高く伸びている木はケヤキです。ケヤキは漢字で手を挙げる木「欅」と書きます。誠に字の通り、欅は冬空に大手を拡げています。

欅の仲間には同じ楡科の楡(にれ)や椋(むく)の木がありますが、何故か街路樹には欅が植えられることが多いです。欅は寿命が長く、最も高く伸びるからかも知れません。

欅は落葉広葉樹ですから、初夏に薄緑色の新緑で街路を明るくし、夏には道行く人に涼しい木陰を与え、秋には赤茶や黄色に紅葉して街行く人々の目を楽しませてくれます。

しかし、なんと言っても冬の季節が欅の本舞台になります。背丈の低い常緑樹を見下ろすかのように30メートルを超える欅の大木が空に聳えています。遠くからその勇姿を眺めてもよいですし、欅の根元に近づいて見上げて眺めるのも良いです。

欅は、秋には葉の衣をすべて脱いで、見事な幹と枝の姿で現れます。青空に広がる欅の樹形は天然のオブジェです。その樹形を逆光で見ると影絵のように暗示的ですし、夕日が当たって赤みを帯びた樹形は樹の精霊が見得を切ったようです。

冬に欅を観賞するには、街路に林立しているのを見ても良いし、寺社の境内に二、三本の欅が思い思いに屹立しているのを見るのもよいです。

天気の良い冬の午後、欅のオブジェを見にでかけませんか。気分が壮大になること間違いなしです。
(以上)
【2011/01/16 17:37】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
密集する美、散在する美
1.コスモス-03D 1010qt
写真1
2.コスモス-02D 1010q
写真2
            4.不知-11D 1010qt
            写真3
            3.不知-10D 1010qt
            写真4
                        5.つばき-01D 0904q
                        写真5
                        6.さざんか-01D 1101q
                         写真6
                                    7.銀杏落葉-08D 0712q
                                    写真7
                                    8.銀杏落葉-10D 0712q
                                    写真8
草花が密集して咲いていると、その塊の勢いで凄いと感じますが、他方、パラパラと頼りげなく咲いていても可愛いらしく心惹かれるものを感じます。

どちらも夫々に良いものです。比較して理屈を言えば議論はありますが、ここでは写真を見てその関連を鑑賞して頂ければ、それで結構です。

以下に、密集する草花と、散在する草花の写真を対比して並べてみます。

コスモスは普通は密集して咲きます。ですから遠くから見ても、大きな花の塊として眺めると見応えがあります。色彩も赤、紫、白と混ざっていると、それだけ豪華絢爛に見えます。(写真1)

他方、広い草野に薄く広く散在して咲くコスモスの花畑も良いもので、コスモスという花の優しさが現れているように感じます。(写真2)

次に、道端で咲いていた赤い花ですが、密集して乱れ咲いているところは、つい見過ごして通り過ぎました。ところが少し先に行きますと、同じ花が旧家の庭に数本並んで咲いているのを見て、改めてその可愛さに気づきました。もう一度、戻って道端の密集した花も見直して、撮影しました。(写真3、4)

椿油を採取するための椿林は、山が真っ赤になるほど密集して咲いて見事です。しかし生け垣に植えられた山茶花は、まばらに咲くだけです。山茶花の場合は、垣根一面が真っ赤な花で覆われるより、垣根にアクセントをつける程度に咲く方が良いのです。(写真5、6)

花ではありませんが、銀杏の落ち葉も秋早く落葉を始めたころは、扇型の黄色い葉は、一枚一枚の葉がその明確な形を示して面白いものです。しかし、秋深く、銀杏の木の下に畳を敷いたように積もった黄落は、一枚の形は消えて全体として木の下を明るくして、暗い樹幹を浮き立たせます。(写真7、8)

それぞれの密集する美、散在する美を観賞して頂けたでしょうか?
(以上)
【2011/01/10 17:07】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
冬の林に見る繊細な美
                         1.樹木-37P 91t
     2.樹木-50P 89t
                                   3.樹木-58Pt
     4.樹木-42P 89t
                                   5.樹木-43P 89t

落葉樹は冬になると葉を落とします。すると葉によって隠されていた幹や小枝が現れます。脱衣の女体は豊満な曲線美で人々を魅了しますが、落葉の木々は繊細で複雑な曲線美で人々を魅了します。

国木田独歩は「武蔵野」で櫟(くぬぎ)林の風や光や音を描いて文学表現の新境地を切り開きましたが、そこに描かれた情景には、落葉した木々の肢体については触れていません。

しかし、櫟林などの雑木の林が最も美しく見えるのは、冬の乾いた空気の中で、柔らかい太陽の光に照らされて、小枝だけが姿を現すときです。

そこに見えるものは、木々が太陽の光を求めて斜面の空間に隙間なく伸ばしてきた枝の形です。或いは絶え間なく谷間を吹き抜ける風が木々の枝を押し曲げた形です。ある枝々は好き勝手に隙間を埋めた結果であり、又ある枝々は仲間と共に外圧に抵抗してきた結果です。

しかし、遠くから林の全貌を眺めていると、山の斜面を覆う枝々は変化に富んだ山肌の皮膚のようにも見えてきます。また林全体を上から俯瞰すると、深海の底から生えてくる海草のようにも見えてきます。

繊細にして複雑であり、規則的にして不規則なリズムを持つ、そして一歩退いて見ると全体として調和がある、冬の林は不思議な魅力に満ちています。

落葉樹が葉を落とした冬の季節に、奥多摩の渓谷に分け入り、山肌に張り付くように広がる雑木の枝々を眺めることは誠に楽しいものです。
(以上)
【2011/01/01 22:19】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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