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風景の受け取り方 東洋と西洋の違い
前回では、西洋より日本の方が風景を認識する時代が早かったと申しました。そのことは風景認識の態度とか方法が違うことにも原因があると思います。西洋では物理学的自然観から風景認識が発生しましたが、日本では宗教的自然観から発生したと考えるからです。

日本人の古来からの信仰は、自然の至る所に神が宿っていると考えるものでした。山川草木のすべてに宿る神々は、人間で言うところの人格を持っています。自然は人間が住むところであると同時に、神々の住むところでした。

しかし、ギリシャ人は多神教でしたが、その自然観は自然と人間を分けて考える二元論でした。西洋思想はギリシャの二元論を受け継いでいますから、自然は人間の対立者であり、自然は人間が使う相手であり、その場所であると考えたのです。

他方、古来日本人の自然観は、自然と人間は一体であるとの一元論でした。この思想はその宗教観から生まれたものと考えます。自然は、人間が利用する対立者ではなく、己と同一視できる相手であり、己はその自然の一部であると見るのです。

従って、日本人は自然への感情移入は容易でした。和歌や俳句に自然に託して心情を吐露した作品が多いのは、その証拠です。そこから現代的な意味での風景認識への距離は僅かでした。
(以上)
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【2010/11/22 10:56】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風景と言う概念は何時生まれたか
人類がこの地球上に出現するずっと以前から、山川草木は地球上に存在していました。しかし、自然が存在していても、私たちが今日言うところの「風景」は存在していませんでした。風景は、人間がそれを風景として認めたときに誕生したのです。

人間が自然を風景と認識したときに自然は初めて風景となる、何か禅問答めいていますが、それは当然です。なぜなら、原始時代から近代のある時期まで、人類は生きる場所としての自然しか知りませんでしたから。

西洋で自然を風景と認識できるようになったのは、18世紀の始め頃だと言語学者でもある渡部昇一氏は言います。landscape とかscenery と言う言葉の使い方が、風景を意味するようになったのが、その頃だからと言うのです。(「知的対応の時代」渡部昇一)

更に続けて渡部昇一氏は次のように指摘します。人間が自然を風景と認識できたのは、ニュートンが自然現象を数式を用いて物理的に解明できることを示したことが影響していると。ニュートン学説は宗教哲学の理神論への支援にもなりましたが、風景論の始まりにもつながっていると言うのです。

絵画の世界でも西洋の近代風景画の誕生は18世紀の後半のイタリアからだと言われています。その流れを印象派が受け継いで発展させました。いずれにしても西洋で自然を風景と認識し始めたのは、200年余り前のことです。

それに比べて日本は風景を早くから認識していました。江戸時代の浮世絵文化は、それまで西洋絵画が題材としなかった風景画で溢れています。また、江戸時代に上流社会で盆栽が盛んでしたが、盆栽は風景を縮図化したもので、自然の中に風景を見なければ成り立ちません。

ニュートンが生まれるよりも前に、日本社会では風景は広く認識されていました。近代的意味での風景論を考えるとき、その出発点の差は大きいと思います。
(以上)
【2010/11/14 13:15】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
山野の草花に新発見
          1.山野草園:不明-01D 1010qt
          写真1 名称不明
                                   2.カリガネソウ-01D 1010q
                                   写真2 カリガネソウ
          3.山野草園:ミソシダ-01D 1010qt
          写真3 ミソシダ
                                   4.山野草園:イヌショウマ-01D 1010q
                                   写真4 イヌショウマ
5.フジバカマ-01D 1010qt
写真5 フジバカマ
                 6.アオダモ-01D 1010qt
                 写真6 アオダモ
                                   7.ムラサキシキブ-02D 1010q
                                   写真7 ムラサキシキブ

多くの人々は、形も色も人工的に改良された、これぞ花ですと言う花々に関心を持ちます。世に野草(やそう)と言われる草々の花は、一部の愛好家には愛でられますが、その多くは人知れず咲き、人知れず散っていきます。

しかし、山野の草花は注意深く観察すると実に魅力あるものがあります。山野の草花には、一般には形が小さくて色合いも地味で目立たないものが多いのですが、花を支える茎の姿形や、一輪の花の容姿(花冠)が独特の形をしているものも多いのです。(写真1、2)

更に、はなびら(花弁)、おしべ(花芯)の造りなどは複雑微妙な構造をもっています。その精緻な造りは、あたかも蝋造りの微細細工を見るようです。(写真3、4、5)

時には驚くような鮮やかな色彩の花や実もありました。(写真6、7)

勿論、人工的に栽培される花々も、花冠、花弁、花芯をつぶさに眺めると、その形状と色彩は大いに目を楽しませてくれますが、何しろそれらは見慣れている花なので、あまり驚きは感じません。

しかし、山野の草花には新しい発見の驚きがあります。

秋深く、東京の神代植物公園と小石川植物園で発見した野草たちの美の饗宴をご覧に入れます。
(以上)
【2010/11/06 21:19】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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