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風格のある樹木
1.会津-04P 96t
写真1 会津城にて
          2.三春の枝-09P 98t
          写真2 三春にて
                    3.樹木-06P 99t
                    写真3 会津磐梯にて 
                              4.上山市内-03D 0811qt
                              写真4 上山にて

老醜という言葉があるように、人は老いると醜くなります。しかし老いて風格が出る人もいます。四十歳を過ぎれば、誰でも自分の顔に責任があるなどと言うのは、その年頃には風格の形成が表に顕れることを示唆しています。

風格は、若い時の美しさを老いてもそのまま維持しているだけ、と言うのとは違う深みがあります。単純に美しいとは言えませんが、魅力あるものであり、見飽きないものです。

風格というテーマは、人間より長生きする樹木こそ相応しいテーマです。長いこと風雪に耐えた樹木には、夫々に個性的な風格が生まれます。特に雪国の樹木、高山の樹木、海辺の樹木を見て、風格を感じないことはありません。

樹木の風格は、樹木の部分にも現れますが、その容姿全体について眺めると良く分かります。そうすると樹木にも人格があるように感じられます。

撮影した樹木の中から風格のある樹木をご覧に入れます。
(以上)
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【2010/07/25 07:59】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
浸食と腐食の造形
   1.死の谷-07Pt
   写真1 カリフォルニア 死の谷
               2.浜の模様-01D 0909q
               写真2 東京湾 葛西臨海公園
                            3.風化模様-10D 0802qtc
                            写真3 東京 古刹の門

芸術作品は人間の造形の技(わざ)が創り出すものですが、風景は自然の営みが創り出すものです。絶景や奇景を訪ねると、人間の技は自然の営みには及ばないことを知らされます。

写真1の山塊の皺(しわ)は同じ風雨の作用で削られたものですが、夫々の稜線は似ていても同じではありません。一定のリズムを持ちながらも、そのリズムは単調ではありません。

写真2の砂浜の襞(ひだ)は同じ波に洗われたものですが、砂に描かれた複雑な形は皆、少しづつ違っています。類似の形が繰り返しながらも変化しています。

この自然の営みは浸食と言う現象ですが、浸食の造形には、類似のものはあっても画一的なものはありません。

浸食に似たものに腐食があります。腐食とは、自然物や人工物が錆びたり剥がれたりする現象です。風雨や光熱がもたらす化学変化や細菌繁殖の作用で腐食は進みます。

写真3の塗料の剥脱する姿は、一見して不規則で無秩序です。しかし、その破壊の中にも相似形のリズムがあります。浸食に見られた繰り返すリズムとは違いますが、腐食にもリズムがあります。

腐食ですらリズムがあることは、腐食も生命運動の軌跡だからです。浸食と腐食に共通なことは、そこを何らかのエネルギーが通り過ぎた軌跡であると言うことだと思います。

自然は色々なエネルギーの作用によって造形されていおり、エネルギーには共通のリズムがあるのでしょう。
(以上)
【2010/07/19 10:42】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
隠れた美
          1.高速道路造形-02D 0703q
          写真1
                         2.隅田川:橋下-10P 03r
                         写真2
先に、「巧まざる秩序」(10.07.07)で説明したように、建築家の芦原義信氏は、「隠れた秩序」と言う著書で、無秩序に発展したと見られる都会にも「隠れた秩序」があると主張しました。

しかし、「隠れた秩序」を感知し、他人にそれを説明し、これがそれだと納得して貰うのは難しいことです。何故なら、「隠れた秩序」は一見しただけでは、なかなか分からない場合が多いからです。

同じく、「隠れた美」も、見ていて美だと分からないものの一つです。美は理屈抜きに一瞬にして人に伝わると言いますが、「隠れた美」は見ていても見えないのですから、一瞬にして伝わるという訳にはいきません。それが美だと分かるには時間がかかるので、とても一瞬とは云えません。

「隠れた美」は、漫然と眺めていては見つかりませんが、さりとて、鵜の目鷹の目で探しても見つかるとは限りません。

撮影していたある日、「隠れた美」は突然、予期せぬ場所に現れました。渋谷の首都高速道路の裏側と、隅田川の蔵前橋の裏側でした。(写真1、2)

正直に言うと両者とも見た瞬間は、奇妙な形の物体と言う印象でした。渋谷で見たものは、コンクリート製の巨大な鯨のようでした。蔵前橋で見たものは、黄色い鋼材製の肋骨を内側から覗いた思いでした。

それらが構造美であると理解するには、少しばかりの時間が必要でした。「隠れた美」は、先ず既存の類似品を連想させます。その類似品は、醜いと考えられていたものでした。素材としてのコンクリートと鉄は、もともと美を連想させるものではありませんから。

機械文明の評論家であるルイス・マンフォードは、「キュビズムは、醜いものと機械との連想を克服した最初の流派であろう。」と言いましたが、確かにキュビズムは醜いものを美しいものに変えることに成功しました。

打ち放したコンクリートの単純な輪郭と、組み合わされた鉄骨の力強い構造には、自然の植物や風景が持つ美しさとは異質の美があります。

発見されることを待ちながら隠れている美は、まだまだ私達の周辺に沢山あると思います。
(以上)
【2010/07/13 10:01】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
アジサイの盛りは梅雨の盛り
        1.姫の沢あじさい-02P 90t
        (写真1)
                            2.紫陽花-02Pt
                            写真2

四季それぞれに花は咲きます。四季があってそれに応じて花が咲くのですが、花が咲いて四季を知ると言うのが実情です。とにかく花とその季節は離れがたく結びついています。

アジサイは梅雨の季節の花です。紫色という穏やかな色と、その微妙な色調は、青天の日より雨の日に見るのに相応しい花です。

アジサイは、雨が降らなくても、霧に包まれていれば、それでも結構です。霧はアジサイの花に曇りガラスをかけたように、淡い色をより淡く見せます。(写真1)

アジサイは梅雨の時期から夏の始まりまで息長く咲きますが、夏に入ると流石に疲れが目立ち、やはり梅雨の季節が一番生き生きと咲いています。

アジサイの盛りは梅雨の盛りです。ぬかるみも気にせず、アジサイの中を歩きました。(写真2)
(以上)
【2010/07/07 07:53】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
巧まざる秩序
          六本木ヒルズ-19D 1006q
                              六本木ヒルズ-20D 1006qt

自然科学では、無秩序の状態をエントロピー最大の状態だといいます。物や熱を放置しておくと拡散していきますが、これをエントロピー増大の法則と言います。

この法則の概念を社会科学に転用すると、社会秩序を高めることはエントロピーを減少させる行為であり、規制せずに放置して無秩序に向かうのは、エントロピーを増大させる、ということになります。

理屈はこの程度にして、ここに掲げた写真をご覧下さい。二枚とも六本木ヒルズのテラスから撮影したものです。

二枚の写真は、秩序のある庭園と整然とした観覧席に、人々は思い思いに散らばっているものです。背景は秩序正しい(エントロピーは小さい)のですが、そこに散開する人々は無秩序(エントロピーは大きい)です。

この二枚の写真は、エントロピーの減少と増大を合算したものを示しています。秩序のある所に無秩序が加われば、無秩序になると思うのですが、ここにもう一つの新たな秩序が現れているとは感じませんか?

建築家の芦原義信氏は「隠れた秩序」という著書の中で、自然の無秩序の中にも乱数系を内包する秩序構造が存在する(フラクタル理論)と言っています。具体的に、東京は「いい加減さ」をもちながら「全体」としては秩序を維持しているとも言っています。即ち、隠れた秩序があると言うのです。

私が掲げた写真は、芦原義信氏の言う「隠れた秩序」であるか否かは分かりませんが、秩序と無秩序の中間には、いろいろな段階の秩序が存在することを感じさせるものです。

人々は、完成された秩序よりも、変化する秩序を好みます。完成された秩序は静止していますが、変化する秩序は動いています。秩序という硬い枠の中で動きがあることが魅力の一つであることは確かです。
(以上)
【2010/07/01 10:27】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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