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御宿の浜辺の花
          1.御宿駅-04D 1005qt
          写真1
                              2.御宿漁港-04D 1005qr
                              写真2
          3.ハマナス-01D 1005q
          写真3
                              4.不知:御宿-06D 1005q
                              写真4

房総半島の御宿というところは、冬は避寒の地であり、夏の砂浜は海水浴で賑わい、そして浜辺には一年中サーフィン遊びをする若者が居て、それでいて関東近県では余り俗化していない数少ない行楽地です。

ゴールデンウィークが過ぎて、梅雨に入る前に、久しぶりで御宿へ一泊の旅に行きました。

閑散とした JR 外房線の御宿の駅は、簡素で可愛らしい駅です。「かわいい」という日本語が国際語になっているそうですが、日本人だけでなく、外国人がここを訪れて御宿の駅を見ても「かわいい」と言うでしょう。地元の人に聞きましたら、最近、皇太子がこの地を訪問した時に、旧来の駅を改装したのだそうです。
(写真1)

気候不順の今年は、この時期に生憎風雨に遭遇し、期待していた浜辺の散歩はゆっくり楽しめませんでした。御宿の漁港には台風の時のような大波が打ち寄せていました。(写真2)

それでも荒れる海と、それに耐える可憐な砂地の花々に、巡り会えました。砂地を這って咲くハマナスと名も知れぬ花々が、強風に揺れるのを、風の途絶える合間をぬって撮ってみました。(写真3、4)
(以上)
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【2010/05/30 10:07】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
そのままでは自然は風景とはならない
1.紅葉-17P 99t
写真1 八甲田の秋
                2.吾妻小富士-04P 99t
                写真2 晩秋の吾妻小富士
                              3.帯広:雪景色-07P 98t
                              写真3 冬の帯広の農村


都会の人々は農山村に行って自然がいっぱいある、自然は美しいとよく言います。自然を風景として見ているから、そのような感想を持つのです。

農山村に住んでいる人々は、周囲の自然は見慣れていますから、毎日あるいは一々そのことを指摘はしませんが、彼らも、周囲の自然を風景として見ています。その証拠に、お国自慢には必ず故郷の風景を挙げます。

しかし、人間が自然を風景としてみるようになるには、人間の自然観に内的変化が起きることが必要でした。人類は食料を得るのに狩猟生活をしましたから、狩り場としての自然はありましたが、それは風景ではありませんでした。一万年ぐらい前から、人類は農業を始めましたが、自然は作業場でありましたが、これも風景ではありませんでした。

山川草木を生活のために利用する関係だけでは、人類にとって自然は風景にはならないのです。人間が自然を秩序ある有機的な構造物として認識したとき、即ち自然観が生まれたとき、人類にとっての風景が生まれるのです。

自然観と言うことになると、東洋と西洋とでは大きく異なります。西洋思想では、ギリシャ哲学以来の伝統で、自然は人間と対立するものとして取り上げます。所謂人間と自然の二元論です。

しかし、東洋で根強く信じられていたアニミズム思想(万物に霊魂が宿るという思想)や、古代日本人が信じていた神道思想(万物に神宿る)では、西洋思想のように自然と人間を対立するものとして截然(せつぜん)と分けません。

人間も自然の一部と考えるのが東洋的自然観ですから、自然も人間と同じような営みを行い、同じような秩序を維持していると考えます。従って、自然は自ずから秩序を整えている存在と考えます。

17世紀にニュートンが、地球上の物体の運動は大陽系の惑星の運動と同じ法則によって動いていると証明したとき、人々は地球を大宇宙のように合理的な構造を持った小宇宙と認識したのです。この西洋人の自然観の変化が、彼らに自然を風景として見る目をも開かさせました。

自然は、人々が利用するだけの無機質の対象ではなく、有機的に生成する秩序ある対象だという自然観です。その影響はいち早く絵画の世界に現れます。

西洋絵画は長いこと神話や宗教や王侯貴族を描いてきました。しかし、17世紀にオランダで多くの風景画家が現れますが、18~19世紀になると、風景を題材に選ぶ本格的画家がイギリス(コンスタブル、ターナー)とフランス(バルビゾン派)に現れます。西洋の社会に自然を風景として見る目が備わったからでしょう。

しかし、東洋人は西洋人より遙かに早く、観賞の対象としての自然を知っていました。中国では盆景という庭造りが唐の時代からあったそうです。日本の盆栽は、それをミニチュア化したものでしょう。

「そのままでは自然は風景とはならない」とは、何も自然に手を入れて改造、改良することを推奨しているのではありません。むしろ人間が自然に手を入れると風景は壊れてしまいます。改良、改善すべきは人間側の心や意識の方です。

自然に美を発見することが風景を楽しむコツです。或いは、風景を楽しむとは風景の中に秩序、即ちリズムとハーモニーを感じて身を委ねることです。

八甲田山の紅葉の美しさを(写真1)、逆に吾妻小冨士の岩肌の荒々しさを(写真2)、人工農地の積雪を(写真3)風景として認めて下されば、私の自然風景論は成功したことになります。
(以上)
【2010/05/20 15:46】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
美しい街は長く栄える
                      祇園-09P 94c


栄えていても街が美しくなると言う保証はありません。しかし美しい街は必ず長く栄えます。何故なら、美しさは人を引き寄せるからです。外見の美しさを軽く見てはいけません。

漫談家の綾小路きみまろのトークに、次のようなフレーズがあります。
「奥様、人間は 顔やカタチじゃありませんよ! 顔やカタチで人を判断する人は心の貧しい人です!! 一番大事なものは 見た目です!」
そこで、みんな爆笑します。

アメリカの社会学者リチャード・フロリダは、その著「クリエイティブ都市論」の中で、街にとって見た目の美しさが大切だという調査結果を得て、都市も見た目が決め手だと述べています。

見た目を重視する考えに人々は反撥します。しかし綾小路の漫談に爆笑で応えた聴衆は、建前の裏にある本音に同意したのです。男は40歳を越えたら、自分の顔に責任を持て、と言ったのは米国大統領のリンカーンでした。心の内面の成長は顔に現れることを指摘した言葉です。

そうであれば、街を見た目で判断することは間違っていません。街の表情は街に住む人々の心が現れたものだからです。美しい街には美しい心の人々が住んでいます。人は美しい心の人に惹かれます。

司馬遼太郎は、日本の都市で美しいと言えるのは京都だけである、それ以外で挙げるとすれば萩と倉敷くらいだろうと、あるエッセイで述べていました。その理由としてこれらの都市に秩序が行きわたっているからだとも述べています。

その秩序こそ、その街に住む人々が造り上げるものです。街の秩序は、長年そこに住む人々が、街は自分達の共有財産であるとの意識を持つから維持されるのです。京都の街路にゴミ箱がないのは、共有財産の街路を醜くしたくないという考えからだと、司馬は述べています。

よそ者が絶えず出入りする東京や大阪のような大都市では、よそ者によって秩序は破壊され続けます。流入するよそ者の多くは、働き場を求めて都市に来るのであって、良き住み心地を求めて来る訳ではないのです。

しかし、働く場所が同時に住み心地も良い場所であることは理想です。知的活動に従事する人々は、住み心地が良い場所を求めます。住み心地がよい場所では知的活動は促進されるからです。住み心地のよい都市は必ず美しい都市です。

これからは、秩序感覚のある住人たちの住む美しい街で、知的生産が行われる時代になります。
かくして、美しい街は長く栄えるのです。

写真は京都の古い通りです。
(以上)
【2010/05/12 11:29】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
季節の衣替え
1.塩船観音寺つつじ祭-54D 0704qt
写真1
                  2.塩船夏つつじ-02D 0909qtc
                  写真2
                                    3.塩船冬つつじ-01D 04
                                    写真3
     4.さつき-10P 96q
     写真4
                         5.さつき-14P 95q
                         写真5
日本の気候は、穏やかな気温の上昇と下降を繰り返して、ほぼ正確に三ヶ月ごとの春夏秋冬の季節を刻みます。

この頃は流行らないようですが、戦前の小学校や中学校では、夏服は6月1日に、冬服は10月1に着替えるものと決まっていました。

着るものを季節の応じて着替えるのは学生だけはありません。平安時代の宮中では夏服と冬服を着替える「更衣(こうい)」という習慣があったそうですし、江戸時代には出仕の際の身なりについて年4回の衣替(ころもがえ)が制度化されていたとのことです。

明治時代になると、役人と軍人は6月から夏服、10月から冬服との制度が決められ、それが戦前の学生達にも適用されたのです。

上流階級や学生達でなくても、日本では衣替えの習慣は広く一般庶民の間で行われていました。それは年二回とか四回とか決まった制度としてではなく、季節の変化に合わせて着る衣裳を変えて楽しむ習慣として定着していました。

日本人の間では、特に女性の間では、冬と夏の服よりも春と秋の服への関心が高いのです。と云いますのは、冬も夏もそこで気温の変化は行き止まりですが、春と秋はなだらかな気温の変化が続くからです。

気温の変化はそれに応じた衣服の厚さを変える必要が生じます。それだけでなく、気温の変化で自然の情景も変わりますから、それに衣裳の色彩を合わせる必要が生じます。かくして春と秋の衣裳にはヴァライティに富んできます。

いま咲き始めたツツジと、続いて咲くサツキが衣替えする様を、写真でご覧下さい。ツツジは青梅の塩船観音寺で(写真1、2、3)、サツキは皇居東御苑で(写真4、5)で撮りました。
(以上)
【2010/05/05 19:35】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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