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写真のモンタージュは難しい
   1.モンタージュ:桜-07P 93t
   写真1
                    2.赤い傘さしている人-02Pt
                    写真2
                                   3.川越幻影-03PAtc
                                   写真3

二枚以上の写真を重ねて、重ねた元の写真とは別次元の新しい世界を表現する写真をモンタージュ写真と言います。

私はモンタージュと聞くと、古代ギリシャの哲人たちが用いた手法、即ち対立するものが対話することによって新い真理を発見すると言う弁証法を連想します。

弁証法で新しい真理を発見できるか否かは対話者の質に依存しますが、それはモンタージュ写真では「どのような」映像を重ね合わせるかに依存すると言うことです。

俳人狩羽守行氏は俳句の中の「省略と飛躍」を強調しましたが、私は「省略と飛躍」を写真に適用した一例がモンタージュ写真だと思います。俳句では省略と飛躍は表裏の関係にあるようですが、モンタージュ写真では飛躍により大きな役割があると考えます。

モンタージュ写真では、二枚の写真の二つの映像を内容的に関連づけて別のイメージの写真に仕立て上げるのですが、その組み合わせの加減が難しいのです。二つの映像内容が離れすぎて無関係になるほど飛躍しすぎては、見る人に何を意図しているのかを伝えにくくなりますし、僅かな飛躍で二つとも似た内容では意図は分かっても発想の広がりがなくなり、くどいだけの写真になります。

次に、二枚の写真の二つの映像を重ねるにしても、両者の濃淡の付け方、どちらをボカすか、どこをフェイドアウトするかなど、モンタージュの表現手法は複雑です。「何を」重ねるかが決まれば、次に「どのように」重ねるかが重要な課題になります。

モンタージュで濃淡の違う映像を組み合わせるとき、濃い映像は淡い映像を打ち消します。従って濃い映像は淡い映像に重なるように組み合わせると、はっきりと残すことが出来ます。

他方、濃い部分同士を重ねると、元の映像は思わぬ変化を遂げて、偶然による面白さが出現したり、或いは思わぬ失敗に終わります。その変化の成否は試行錯誤で見出すしか方法はありません。

また淡い部分同士の重ね合われば、完成作品に淡い部分を残すことが出来ます。ここでも又、濃い部分同士の重ね合わせの際に生じたような不測の変化が現れます。淡い表現であるだけ、誤魔化しが効かないので難しいところです。

昔の銀塩カメラでは一枚のフィルムに二回シャッターを切る作業でした。記憶と勘を頼りに二回のシャッターを切るのですから、描いたイメージ通りのモンタージュ写真を作り上げるのは難しいものでした。

掲載した写真は、私が銀塩カメラで撮ったモンタージュ写真です。

 写真1では恋人達は桜の花びらと共に水中に沈んでいく様を表現しました。モンタージュ写真のフェイドイン・フェイドアウトの効果を使いました。

 写真2では橋の上の人が網膜に写った映像を池の水面にも見出すという想像上の写真です。現実の風景では橋の向こう側にはツツジの刈り込み庭園はありませんから、池の水面に映り込むことはありません。一種の心理描写をしたつもりです。

 写真3では古風な瓦屋根とモダンなガラス製花瓶を組み合わせて、時代イメージのギャップを用いて、新しいものが古いものの中から生まれて、それを凌駕することを感じられるか試みました。

以上の説明は私の解釈ですが、モンタージュ写真は観る人によって色々の解釈が可能です。ですから、解釈を述べると語るに落ちる危険があるので、ご想像にお任せしますとだけ云っておくべきでした。

今はモンタージュの作業をパソコン上で反復操作しながら結果をみることが出来ますからずっと容易になりました。最新の高級デジカメでは、そのカメラの中でモンタージュ情況を調整できるものも現れています。

普通の写真撮影に厭きたら、モンタージュ写真に挑戦することをお薦めします。
(以上)
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【2010/01/27 21:35】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真を趣味にする人はボケないと言う話
高齢化社会になり身近にボケ老人の話をよく耳にします。病人の介護は大変ですが、その中で一番困るのは身体壮健にして頭がボケた老人の介護だそうです。

偶々、抗高齢化療養の専門家の話をラジオで聴いておりましたら、物忘れはボケの始まりであり、高齢になって前日の夕食に何を食べたか思い出せない人は、既にボケの危険が迫っているとのことでした。

その専門家は、前日の夕食に何を食べたかを記憶するには言葉でなく映像で記憶する方が効果的だと云っていました。昨夜のお膳には刺身と鯖の味噌煮ときんぴらゴボウが並んでいたな、と映像で覚えると忘れないそうです。

人間の脳は常時働くよう刺激を与え続けないと直ぐさぼり始めます。そして脳をさぼった状態のまま放置するとボケは進行するとのことです。

脳にとって言葉は抽象的ですが映像は具体的です。具体的ものが脳へ刺激的であれば、写真を趣味とする人は、そうでない人よりも日常生活で脳を強く刺激していることになります。

写真撮影に戸外に出かけるときは狩人のような目で辺りを見回します。これからは家の中にいる時も、写真を撮るつもりで生活の茶飯事を見詰めることにします。
手前味噌の話で失礼致しました。
(以上)
【2010/01/21 12:29】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
都市の美醜は住人の美感で決まる
                    写真、愛宕山-03D 03qtc
                    江戸東京博物館展示の写真
                    「愛宕山から見た幕末の江戸」                 


都市は建物が集中するところですが、集中して美しくなる都市と醜くなる都市があります。美しくなる都市は全体の建物の調和が取れていますが、醜くなる都市は混沌としています。

ヨーロッパの都市は総じて美しく感じるのに対し、アジアの都市でが見劣りするのは、その雑然さにあります。それをアジア的カオス(混沌)という人もいます。しかし、アジアの都市でも、昔は整然とした都市はありました。

幕末に来日した西洋人が撮った「愛宕山から見た幕末の江戸」という古い写真を見たとき、江戸の街はなんと美しかったのかと思いました。瓦屋根と白壁の家並みが、高さを揃えて、一定の間隔で、遠くまで連なっているのです。(上の写真)

当時としては江戸は人口規模でヨーロパの首都を凌駕していましたが、その美しさでも彼ら西欧人の首都を圧倒していたのです。彼らは母国への報告に江戸の街が如何に美しいかを伝えています。

西欧の都市で建物が調和しているのは、基本的に使用する建築資材(石材など)が限定しているので、自ずと統一されるのだそうです。そう言えば、江戸の町(写真では武家屋敷)の建築資材(瓦や壁)は限定されているから美しく見えるのでしょう。

それに大名屋敷や武家屋敷は仕来りや慣例があって、それが町の秩序を整えていたのです。しかし、明治の近代化で江戸の美は完全に破壊されました。欧米の文化、文明を受け入れる過程で、在来の建物を壊して新しい建物に無秩序に造り変えたからです。

西欧では既存の都市美を維持するため、地域ごとに建築制限を加えていますが、日本では景観保持の動きは欧米ほど厳しくありません。それは基本的には都市に住む人々の美感の有無に依存します。都市の美観を強く求める人々が多ければ、個々人の勝手気ままな建築を抑える運動がおきるからです。

勿論、日本にも西欧とは違った町の美感を持つ人々はいます。それは京都の町屋通りに見ることができます。伝統のある京都の街区では協同して町を美しく見せようとする美意識が強いのです。

これからは益々建築材料が豊富になり、建築工法が発達します。すると周囲の景観に配慮することなく、自分だけ目立つような建築物が生まれる可能性が高まります。近代都市に住む人々も、京都の町屋の人々のような周囲へ配慮する気持ちを持つよう働きかける運動をしようではありませんか。
(以上)
【2010/01/17 10:41】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真の古典とは何か
文芸作品には古典があります。古代にはギリシャ神話や四書五経があり、近世にはダンテの詩篇やシェイクスピアの戯曲があります。そこには人類の知恵がぎっしり詰まっています。現在でも、私達はそこに立ち返り、そこから多くを学ぶことができます。

警世家山本夏彦氏は云いました。人類の知恵は西洋ではギリシャ哲学、東洋では四書五経ですべて出尽くした、その後の知恵は、それら古典の亜流に過ぎないと。

それでは写真には、立ち返って学ぶ古典はあるでしょうか?
写真機の誕生が19世紀の初めですから、他の芸術、文芸に比べて写真の歴史は浅いです。古典は長い年月の批評に濾過されて生き残った作品ですから、濾過する時間が足りない写真に古典を求めるのは無理かも知れません。

写真の世界では古典に学ぶことが出来ない代わりに、伝統に縛られることなく自由闊達に表現の自由が行われると言う利点があります。しかし、他方では価値のない写真作品が大手を振って自己主張する場合もあります。

芸術でも思想でも古典と称するものには、古典誕生以前に存在した良きものが集約されて凝縮しています。そしてその後には古典を土台として新しい良きものが発展します。そのような観点から、将来の古典になるかも知れない写真作品を残している写真家とは誰でしょうか?

写真は選択の芸術と云われますが、現存の作品の今日的選択はできても、将来の歴史的選択は至難の業です。それでも敢えて私なりに選択基準を述べれば、その写真家以前には存在しなかった写真作品を残し、その後にその追随者を産んだ写真家だと思っています。

具体的名前を上げれば、第一にシュールレアリズム写真のマン・レイです。事実を写す写真に心理を写す可能性を切り開いた作家だと思います。これは写真の世界で初めての革新運動であって、ラズロ・モホリー=ナギなどの追随者を産みました。

第二にアンリ・カルティエ=ブレッソンを挙げたいと思います。彼はカメラだけがなし得る能力をフルに活用した写真作品を多数制作しました。決定的瞬間と称する彼の諸作品は、他の芸術では到底実現できない分野であり、マン・レイとは全く違った意味で、革新的な世界を切り開いたと思います。

その後、写真は活躍の場はフォトジャーナリズムや商業写真にも広がり、社会的重要性は益々高まっていますが、マン・レイの心理的世界とアンリ・カルティエ=ブレッソンの時間的世界を切り開いた業績を抜く写真家は現れていないと思います。
(以上)
【2010/01/10 12:02】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
富士山はフォトジェニック
富士山はフォトジェニックだ(写真うつりが良い)というと、富士山を褒めたことにはならないのです。何故なら、あの女優はフォトジェニックだと言うと、実物は写真ほどではないと言う意味が含まれるからです。

それでも富士山はフォトジェニックです。それは撮影者の腕が悪くても、その腕を上回るような惚れ惚れする富士山が撮れるからです。

ですから専ら富士山を撮影する人が沢山います。彼らは「富士写真家」という専門家ではありませんが、四季を通じて富士山の周りをぐるぐる回って撮影しています。

私は「富士写真家」ではありませんが、過去に撮り溜めた富士山の写真を掲げて正月のご挨拶と致します。

撮影場所は以下の通りですが、古い写真もありますので場所に記憶違いがあるかも知れません。

写真1 芦ノ湖から見た傘雲を被った富士山です。芦ノ湖上の鳥居は箱根神社の一の鳥居です。
写真2 機上からの冬の富士山です。冠雪しているので、くねくねする自動車道もジグザグする登山道も見えます。
写真3 赤い柿の実とツーショットの富士山を伊豆半島の丘上から撮りました。
写真4 丹那盆地に霞たなびく夏の富士山です。
写真5 山中湖側の山から見た秋の夕方の富士山です。朝日なら赤富士になります。
写真6 十国峠付近から見た夕景の富士山です。
写真7 静岡の朝霧高原からみた夜明けの富士山です。
写真8 西伊豆から駿河湾越しにみた冬の富士山です。


1.芦ノ湖-12P 92t
写真1
               2.富士山-01P 96t
               写真2
                              3.富士山と柿-11P 92t
                              写真3
4.富士山-26P 93t
写真4
               5.富士山-25P 93t
               写真5
                               6.富士山-21P 94t
                               写真6
     7.富士山-05P 86t
     写真7
                    8.西伊豆の富士-06D 05
                    写真8
【2010/01/04 12:18】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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