FC2ブログ
木の脱皮
   樹皮模様-25D 0904qtc

             樹皮模様-31D 0904qc

                       樹皮模様-33D 0904qc

                                  百日紅-05Ptc

脱皮というと蝉や蛇を連想しますが、樹木も脱皮します。木は、成長するにつれて外側を保護している皮が身の丈に合わなくなると、皮を脱ぎ捨てます。

昆虫や爬虫類の場合は、抜殻がそのままの形で残るので注目を惹くのですが、植物の場合は、バラバラに剥げ落ちるのでその生態は見過ごされがちです。

樹皮を脱皮する木は意外に多いのです。沙羅の木、夏椿、ユーカリ、花梨、百日紅などははっきり脱皮することが分かります。松や杉の類も脱皮しています。私達が気付かないだけで、殆どの木は脱皮しているのかも知れません。

樹木は昆虫や爬虫類と違って徐々に脱皮していきます。表皮の内側で新しい樹皮が形成されると、古い樹皮が本体から剥がれていくのです。いつ剥がれるかは、樹種により季節が異なります。

その剥がれ方は樹種によって違います。剥げ落ちる樹皮の形も樹種により違います。しかし、その形には必ず一定のリズムがあります。生命にはリズムがあると云いますが、生命の残り滓にもリズムがあります。

脱皮の現象は新しい生命の誕生と並行して起こります。樹種によっては、剥げ落ちる樹皮よりも生まれ来た新生の樹皮に惹かれます。百日紅の白い生まれたばかりの肌は、人間の皮膚を連想させます。

成長する植物の生命現象にも造形美がありますが、組織の一部が死滅するプロセスにも造形美があります。それは人間の作業では真似が出来ない自然の造形美です。
(以上)
スポンサーサイト



【2009/04/30 20:10】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夜桜の美しさは何か
桜は昼より夜に本来の美しさがあると、人は云います。昼間は太陽の光で桜は華やかになりますが、周囲の景色も明るくなります。夜間は周囲は闇に隠れますが、桜だけは仄かな光を発するからです。

しかし、桜は自ら光を発するわけではありません。他者からの光を受けて僅かに反射するだけです。他者の光源とは、残照であり、月であり、星です。夜空に含まれるあらゆる自然の光源が桜の花を包むのです。そして桜は「明るくなる」のです。

日本の三大夜桜名所は、東京の上野公園、青森の弘前公園、新潟の高田公園と云われます。しかし、これら名所の夜桜は人工の光で照らし出された夜桜です。英語で light up と云いますが、これは「明るくする」ということです。「なる」と「する」では大違いです。

雪に人工的光を当てても、雪明かりは生まれないように、桜に人工的光を当てても桜が「明るくなる」ことはありません。

桜を人工的な光で「明るくする」とき、その美しさは一面しか現れませんが、夜の密かな自然光で「明るくなる」とき、その美しさの全貌、幽玄の美しさが現れます。

西行法師は「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と詠みました。桜は死を連想させるものがあるようです。夭折した作家、梶井基次郎は「檸檬」という作品で「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは、西行からの連想かも知れません。

桜は夜になると、その本性を現して人を幽冥の世界に導くようです。
そのような桜の写真は到底撮れません。昼間の桜ですが、水面に溶け入る桜で幽冥の桜を代替させて下さい。
(以上)

                    モンタージュ:桜-02P 92t

【2009/04/25 09:33】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
歴史的建造物の保存 その現状
明治以降、日本は西洋から石造の建築を学びました。西洋の建築家を招いて建てさせるだけでなく、西洋建築を学んで日本人も自らで建てました。

木造家屋も西洋風にして建てましたが、なんと言っても石造の大型建築であるビルディング建築は、今まで日本になかったので注目されました。

東京駅駅舎、日本銀行本店、民間銀行、生命保険会社、財閥民間会社社屋、大学校舎などに果敢に西洋風の石造建築を取り入れていきました。西洋風建築は地方都市にも建ちましたが、多くは首都東京に集中しました。

古くなりますと建物にもよりますが現状維持が難しくなり、由緒ある西洋建築物が次々と壊されていきました。日本には地震が多いことがそれに拍車を掛けました。しかし、他方ではこれらの建築物は先人達の活躍の場であり、都市住人の共通の記憶を留める風景であるとして保存する運動も起きました。

石造建築物を保存する場合、その伝統がなかった日本では、それらの建物によって都市風景を形成するという発想が薄かったようです。そのため、せっかく保存の対象となった歴史的建造物も、部分的保存であったり、周囲の建造物と調和を欠いたりしています。

歴史的建造物の保存は、単なる懐古趣味ではなく、実用的でありながら都市に潤いを与えるものでなければなりません。パリのオルセー美術館は駅舎を改装したものであり、ロンドンの近代美術館テート・モダンは火力発電所を改装したものです。それが生きた保存というものです。

幾つかの実例を挙げて東京に置ける保存状況を説明します。

1.東京銀行協会ビル(丸の内)
1.銀行協会ビル-02D 05q
東京銀行協会ビルは、本体を建替えて、旧建築を本体に貼り付けるように巻いています。「瘡蓋(かさぶた)建築」という酷評があるように、なんとも情けない姿です。

2.日本工業倶楽部(丸の内)
2.日本工業倶楽部-01D 05q
日本工業倶楽部は産業人により設立された建造物です。旧ビルは新ビルの懐にだき抱えられるように残されました。「瘡蓋(かさぶた)建築」よりはましですが、新ビルが旧ビルに覆い被さる姿は落ち着きが悪く、これ程までして保存すると却って嫌みになります。

3.交詢社ビル(銀座)
3.交洵社ビル-01D 05q
交詢社は福沢諭吉が作った社交クラブです。旧ビルの入口だけを切り取ってファサードとして建物本体に貼り付けています。取って着けたような、ちぐはぐで古ぼけた飾りで、思い出にはなりますが、美的装飾とは云えません。

4.MY PLAZA(明治生命館の保存)(丸の内)
4.明治生命館-01D 0811qr
重要文化財の明治生命館を保存しながら、その背後にMY PLAZAという超高層ビルを建てました。これは旧ビルを保存する代わりに獲得した割増容積率を利用して建てた超高層ビルをです。旧ビルの保存方法としては無難な方式です。

5.DN タワー21(第一生命館の保存)(丸の内)
5.第一生命ビル-07D 0903q
これと同じ方式で旧ビルを保存したのは、DN タワー21です。第一生命館は敗戦後GHQの司令部が置かれたところです。第一生命館は隣の農林中金本社ビルと一体化して、その中間にDNタワー21を建てました。

6.日本銀行ビル(日本橋)
6.日本銀行-04D 0804qtc
敷地に余裕があったので、旧館はそのまま保存・利用して、隣に新規のビルを建てたケースです。土地に余裕があれば、新旧が並ぶのも都市の成長をみるようで、都市景観に深みが出ます。

7.赤坂プリンスホテル
7.赤坂プリンス-11D 0810qt
なお、オフィスビルではありませんが、日本銀行と同じく新旧並んでいるケースに赤坂プリンスホテルがあります。ここも旧建物を使用しています。

8.東京中央郵便局ビル(丸の内)
8.中央郵便局01N 06qtc
東京中央郵便局ビルは、総務大臣が突如主張したため、外観の大半が保存されることになりました。しかし問題は、新旧ビルがどのような組合わせで起ち上がるかです。

現在の東京中央郵便局ビルの外観を見ると、ビルの角が丸みを持っています。既に壊された旧丸ビル二棟もビルに丸みがありました。ということは中央郵便局と二つの旧丸ビルの三つのビルは、互いに類似の形を意識したデザインだったのです。東京駅前は類似のデザインのビルで統一された空間を構成していたのです。

旧丸ビルが直線的な超高層ビルに変わってしまった今、丸みのある中央郵便局ビルのデザインを残す意味はなくなりました。歴史的建造物の保存は、当該ビルだけを見て存在価値を判断するのではなく、周囲の景観を併せ評価するものです。

因みに、旧帝国ホテルの隣に建てられた日生劇場の場合、そのビルの外観装飾は旧帝国ホテルのデザインを意識したものであると、ある建築家は云っていました。旧帝国ホテルは明治村に移転したので、日生劇場ビルの外観装飾は現在の帝国ホテルとは無関係になったと、その建築家は嘆いていました。

9.その他の歴史的建造物
(1)三信ビル(日比谷)
9.三信ビル-05D 05q
最近見ていないのでこのビルは既に壊されているかも知れませんが、中央郵便局ビルより内部は立派なビルで、保存価値があると云われていました。

(2)三菱倉庫本社ビル(日本橋)
10.三菱倉庫本社ビル-01D 0706qt
東京中央郵便局にそれ程関心があるなら、一見しただけで、東京中央郵便局ビルよりも美しい、三菱倉庫本社ビルの保護はどうなっているのでしょうか? 最近の動きは知りませんが、このビルも解体されるという話を聞いたことがあります。気になるところです。

(3)高島屋本店ビル(日本橋)
11.中央通:日本橋-20D 0904q
日本橋界隈の歴史的建造物としては、帝国製麻ビルが既に解体され、残るは野村證券ビルだけになりました。最近、日本橋の高島屋本店が重要文化財に指定されることになりましたが、個々の建物に注目した評価ではなく、日本橋の伝統的な商業街区を全体として評価し、保存することを期待したいです。

東京都心の一等地を有効に活用するのは結構なことですが、過去の記憶を抹消して現在の利便性だけから都市を改造することに、現代人の軽薄さを感じます。
(以上)
【2009/04/19 09:47】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新宿御苑には春の色のハーモニーがある
1.新宿御苑-32D 0904q
     2.新宿御苑-33D 0904qc
               3.新宿御苑-37D 0904q
                    5.新宿御苑-46D 0904qc
                              4.新宿御苑-51D 0904q  
                                 6.新宿御苑-60D 0904qc


春は万物が色づきます。
カメラを手に春の色を探します。

春の色が豊かな場所は庭園です。
狭い場所に色とりどりの春が詰まっています。

私は春の色を求めて新宿御苑に出かけます。
中でも日本庭園の色彩が格別です。
春の色のハーモニーが演出されています。

都会の真ん中で色のハーモニーを楽しめます。
桃源郷はかくあるべしと、暫し歩きました。
(以上)
【2009/04/12 12:09】 | 発見する | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
活花の日本風と西洋風
                      盛り花-01D 0903q
                      写真1 六本木 ゴトウフローリストにて

                    シュノンソウ-16Pt
                    写真2 フランス シュノンソー城にて

活花(いけばな)の造形美について、嘗てこのブログで書いたことがあります。

現代の活花の源流は江戸時代中期にあると云われていますが、それより前の室町時代に「立花(たてばな)」の様式が生まれました。今の流派の名前の「池坊」は、仏に花を供える寺の住職の名前だそうです。その池坊の子孫が古典立花の様式を確立したそうです。

様式が確立したと云いましても、同時代の茶人、千利休たちによって簡素な「投げ入れ花」がもてはやされ、定型化した立花様式に対抗する動きがありました。日本の活花には、この「投げ入れ花」の影響が今でも濃厚に反映しているようです。

ご存じのように、活花の美は彫刻、絵画、写真のように保存されることはありません。花の命と共に消え失せる運命です。未練がましく生き残ろうとはしないところが、活花の魅力です。花を活ける人もその花を見る人も、一種の切なさを伴う魅力に惹かれます。

昔、東京の六本木交差点の近くに「後藤花屋」という老舗の花屋さんがありました。今も同じ場所に同じ花屋が「ゴトウフローリスト」と云う名前で営業しています。入院中の友人に贈る花を注文しましたら、立派な活花を活けてくれました。
(写真1)

この花屋さんは店の名前もカタカナになり、店内では数人の西洋人の活花職人が甲斐甲斐しく働いていました。西洋式に進化した花屋でなくても、今は花屋で贈答用の花を注文すると、このような造形美豊かな活花を作ってくれます。

しかし、このような活花からは「投げ入れ花」の日本伝統を殆ど感じなくなりました。余りに整いすぎて、見る者に観賞する自由を与えない完璧さです。贈答用は受ける側の事情もありますからやむを得ませんが、家庭用にはやはり切り花を買ってきて自分で活けるものと知りました。

そこで連想したのは庭園です。西洋庭園は整然と幾何学模様に美を求めますが、日本の伝統的庭園は手入れは出来るだけ少なくし自然を生かした美を求めます。

活花も庭園と同じ原理で美を表現していると知りました。
(写真2)
(以上)
【2009/04/06 10:33】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |