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撮影は事実より現実を
私は長いこと写真を撮り続けていますが、なかなか上手に撮れません。被写体を変えてみたり、違った撮影場所を探したり、カメラを買い換えたりと、手段や方法を色々と変えていますが思うようには参りません。

しかし一つだけ変えないものがあります。それは事実より現実を撮影しようと心がけることです。事実と現実は同じものではないか、どこが違うのかを説明しなければなりません。

私達は事物を見るときに、あるがままの事物を見ると同時に、自分の心に感受した事物をも見ています。前者は客観的な事物であり、後者は主観的な事物といえます。ここでは客観的な事物を「事実」といい、主観的な事物を「現実」と云います。

なんだそんなことか、と云うのは二つの区分の重要性を理解していない人達です。この区分は写真の世界に止まらず、歴史認識や宗教認識の世界では常識的なことであり、かつ、極めて重要な区分なのです。

「ローマ人の歴史」の著者、塩野七生女史は次のような趣旨を述べています。
イエス・キリストの行った奇跡という「事実」を信じなくても(即ちキリストの存在を否定しても)、それを信じて2000年歩んできた西欧人の歴史の存在という「現実」を否定することは出来ないだろうし、それを否定したら西欧社会の「現実」も理解できないだろうと。

「事実」と「現実」とはどちらが real であるかと問えば、疑いもなく後者です。リアリズム写真とは「事実」ではなく「現実」を撮影するものです。世に言うリアリズム写真を、もう一度そういう目で見直したいと思います。
(以上)
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【2009/02/23 10:25】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夕日は悲しくて激しくて美しい
1.いか釣り船-07P 00ht
函館 イカ釣り漁船に夕日

     2.夕日反映-01P 90t
      東京郊外 住宅地の西日

               3.十国峠-02P 90t
               箱根十国峠 夕日に燃える丘

                         4.湯の岳より小名浜を望む-01P 98c
                         小名浜 湯の岳よりの遠望

                                  5.海-09P 01c
                                  空から見た海の夕映え

                                   6.日本海-09P 99rc
                                      秋田県 日本海の夕景

夕日を浴びた風景は、昼間見る風景よりも美しく見えます。その理由は、一つには風景が夕日の色で染まり、何時も見慣れた情景と変わるからです。もう一つは光の蔭が長くなり風景に立体感が生まれるからです。

枕草子で秋の夕暮れは「あわれ」の代表に取り上げられているように、秋の夕日は確かに見る人の心に哀愁を感じさせます。季節が夏の盛りを過ぎ、一日が終わりを告げるという意味で過ぎ去るものを惜しむ気持ちが「あわれ」を誘うのでしょう。

長い影をひいたあかね色の風景は「あわれ」の舞台を作ります。冬は空気が澄むので、秋よりも更に色彩も立体感も強調されるでしょう。

数年前、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が昭和30年代の東京を描いて評判になりました。残念ながらその映画を見ていないので想像で述べるのですが、平成時代が回顧する昭和時代の情景は全てセピア色だったら尚良かったでしょう。題名の夕日はセピア色をイメージします。

夕日は去りゆくもの、消えゆくものでして、淋しさ、悲しさを表します。他方、夕焼けは最後の輝き、情熱を表します。外国語のノスタルジーという言葉には追憶と望郷の二種類の意味があります。追憶は静かなものですが、望郷には激しさがあります。室生犀星の詩「ふるさとは遠きにありて思ふもの」には溢れ出る激しさがあります。

夕日は静と動の両方の感情を併せ持つもののようです。ここに夕日や夕景を撮った写真を並べます。そのいずれかをご鑑賞下さい。
(以上)
【2009/02/17 12:08】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
屏風は日本固有の伝統工芸

屏風は日本固有の伝統工芸品です。屏風は中国に既に漢の時代にあったとか、屏風は新羅から日本にもたらされたとか云われていますが、それらは風を防ぐ衝立(ついたて)のことで、日本の屏風とは別物です。日本の屏風は、風を防ぐ実用性からではなく、部屋の装飾に重きをおいたものでした。

構造的にも中国や朝鮮の衝立は、もともと一枚で自立するよう支えがあるのが普通ですが、日本の屏風は二枚の襖(ふすま)を蝶番(ちょうつがい)で繋げるものでした。形は似ていても衝立と屏風は構造と用途において基本的に違うものであり、似て非なるものです。

日本家屋では西洋や中国のように家屋の部屋を固い板や壁で仕切るという発想がなく、襖(ふすま)や障子(しょうじ)で仕切れば、別の空間になると考えています。それが更に進んだのが御簾(みす)による部屋の仕切りの発想です。

これには日本が気候が温暖で湿潤なことが大きく作用しています。西洋や中国の家屋は壁が主役ですが、日本の家屋は屋根が主役です。西洋のような寒冷の地では厚い壁は必要ですが、日本のような雨の多い地では屋根が重要であり、風を通す襖や障子が適していました。

それに加えて、国民性によるところも大きいと思います。西洋人や中国人は物事の具体性を好むのに対して、日本人は象徴性を尊ぶからです。部屋を物理的に完全に仕切らなくても、紙一枚で仕切ったと考える感性が日本人にはあります。

従って日本家屋では伝統的に襖と障子が重要な働きをしてきました。屏風はその延長線上に生まれたと考えられます。移動可能な屏風は部屋の大きさを自由に変えることが出来ますし、部屋の装飾である襖絵は直ちに屏風絵として転用できました。

ですから屏風は単なる衝立ではなく、襖と同じく部屋の構成部分なのです。そのため、昔から日本では屏風の造り方には色々工夫考案がなされてきました。その最も重要な部分が正に要(かなめ)の蝶番です。

蝶番は複数枚の屏風を繋げるのに重要な働きをします。蝶番の部分は、最初は紐などで結ばれていましたが、やがて丈夫さを求めて皮が使われ、室町時代に和紙が使われるようになったと云われます。

和紙の蝶番は、装飾品としての屏風の価値を飛躍的に高めたと思われます。それは複数枚に描かれた屏風絵が、和紙の蝶番を使うことで一枚の絵のように見えるからです。襖絵が複数枚に分断されたように見えるのに、屏風絵は一枚の絵画になったからです。

前回、このブログで写真論として取り上げた宗達と光琳の「風神雷神」の屏風絵も、このような蝶番工芸技術に支えられているのです。

江戸時代に発展を遂げた屏風制作技術は、明治の近代化の中で一時忘れられましたが、現代でも日本固有の伝統工芸として研究が行われ、その作品の制作は続けられています。

東京墨田区は地域振興のため「小さな博物館」運動を行っていますが、これは江戸時代の伝統工芸を承継して発展させている下町の中小企業を広く紹介する運動です。過去に完成した美術品を見せる博物館ではなく、いま正に制作中の博物館です。

その中に、向島で「屏風博物館」を発見しました。片岡屏風店が制作販売しながら開いている博物館です。一つの蝶番が縦にも横にも開く屏風とか、二扇一帖の屏風が表裏二面だけでなく四通りに組み合わせられる四面屏風など、日本の屏風工芸は今も進歩しています。(写真1)

更に、屏風に現代風の布地を用いて身の回品と調和させたモダンな作品など、装飾として生まれた日本屏風の伝統は今に生きています。(写真2)
(以上)


          屏風博物館-01D 0902qt
          写真1
                                   屏風博物館-05D 0902qt
                                   写真2

【2009/02/11 10:28】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
風神雷神絵にみる写真の視角
「風神雷神」の絵には俵屋宗達の絵とそれを模写した尾形光琳の絵があります。模写ですから二つの絵は似ているのですが、大きな違いは画面における風神雷神の位置にあります。

模写した光琳の両神は画面の中に程よく収まっていますが、宗達の絵では両神は画面からはみ出さんばかりに左右の上隅に張り付いています。宗達の絵では、それだけ両神の対峙する空間は広がり、激突する激しさを強く表していると云われます。

間合いを広く取ったため、雷神の一部は画面の外にはみ出して描かれていません。このような描き方は、近現代絵画では例外的なことです。特にモティ-フとなる対象物は、全体を画面の中に描き込むのが普通です。

近代絵画では印象派の画家たちが、人物を半分しか描かず、あと半分はキャンバスの外に押し出していますが、これは当時デッサンの参考に使われ出した写真からヒントを得て描いたと言われています。

ご存じのように写真では瞬時にフレーミングを決めます。特にスナップ撮影では予め写真撮影の枠組みを決めることは困難です。枠組みを考えているうちに被写体の条件は変わってしまいます。

絵画では描き直しができますから余分なものは消すことができますが、写真では一部に余分なものが入ってきても、それを消せません。むしろその余分なものに意味を見いだして画面構成します。一部しか写っていない対象物から想像を働かせて、画面の中からだけでなく、画面の外を中に取り込もうとするのです。

少ないスペ-スにより多くの内容を盛り込む手法と言っても良いでしょう。写真家は、やむを得ず対象物を切り裂いたのかも知れませんが、それで想像力を働かすと広い画面を作り出すことになると知りました。

そのような観点から光琳の風神雷神絵を見ますと、光琳は写真家の眼をもった初めての日本画家であったと言えましょう。絵画の力を発揮させるために対象物の一部を意識的に画面の外に出したのですから。
(以上)
【2009/02/05 12:02】 | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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