FC2ブログ
瓦屋根の積雪は美しい
     1.増上寺-27D 0802q
     写真1
                                   2.古川-12D 0702qr
                                   写真2
     3.屋根-05P 01r
     写真3
                                   4.屋根-15P 01q
                                   写真4

黒い瓦屋根の上に積もった雪の景色は何故か人の心を惹き付けるものがあります。それも瓦屋根が完全に雪で覆われずに瓦の一部が露出しており、更には雪が溶け始めた光景は、辺りにオーラを放っているようです。

人の目を惹け付ける最大の原因は白黒のコントラスト故の美しさにあります。瓦屋根の整然とした凹凸の間に雪が規則的に並ぶ模様は、自然界にはない人工の美です。そして、そのコントラストが一定のリズムを持っていることが美しさの原因です。

ジョン・.デュウイーは著書「経験としての芸術」の中で、混乱は見る者にとって不快であり、秩序は美感を与えると論じています。そして秩序が美感を与えるのは、秩序に律動(リズム)があるからだと云います。瓦屋根は雪と組合わされて白黒の律動を奏でます。(写真1、2)

更に、太陽の熱で溶け始めた雪が、瓦屋根の斜面を滑り落ちる不規則な状態を見ていると、何故か感情を揺さぶられる思いがします。(写真3)

デュウイーは無聊もまた不快であると云います。秩序正しいだけでは厭きるので、やがて不快と感じるようになると云うのです。秩序を形成する律動は、時として変差(ヴァリエーション)を伴い、この変差が不快な無聊を解消すると云うのです。

太陽で温められた雪が瓦屋根を滑り落ちるとき、秩序を壊します。しかし、滑落する雪は屋根瓦の秩序の基本までは壊しません。その結果生まれた光景は混乱とはならず、力感が生まれます。(写真4)

秩序が維持されている限り、変差は大きければ大きいほど「力強く」表現されます。秩序の機械的反復に変化を与える変差は、美的秩序に不可欠であると、デュウイーは述べています。

私達の身の回りには、探せば幾らでも美は散らばっているものだと思いました。
(以上)
スポンサーサイト



【2009/01/30 09:26】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展「イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」を見て
東京都写真美術館では、いま意欲的な企画展が開催されています。その一つに「イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」があります。(2008.12.20~2009.2.15)

この展示会は、色々な映像表現を訪ねてその神秘を解く旅に喩えられます。展示内容は極めて多岐に亘りますので、ここでは不思議な動画の展示物1点だけを取り上げます。それは、牧野貴氏の作品「Still in Cosmos」です。

その動画には、私達が日常見ている映像は一つもありません。作者は流れ続ける「混沌(chaos)」が「宇宙(cosmos)」であると主張するのです。

哲学や宗教などでは宇宙とは秩序をもつ完結した世界体系のことですから、動画のタイトルが「Still in Cosmos」というのは、「私達はずっと以前から秩序ある世界にいる」という意味です。

作者の説明を詳しく述べる前に、動画の印象を述べましょう。その映像は、喩えて云えば、水の流れる表面のような映像、無数の小鳥たちが群舞するような映像、洞窟から無数のコウモリが湧き出してくるような映像です。

猛烈な速さで、大きな粒子、小さな粒子が入り乱れて流れています。その粒子はグレー、緑、青、黄などの薄い色彩を帯びて飛び交います。時々、鋭い直線の閃光が流れてアクセントを付けます。小鳥の鳴き声のような音声が時々鳴ります。

これで何を意味するのか?
作者は次のように解説します。

カオスとは混沌ではなく、「もの」それ自体に名前がない無の状態を指す。
駕籠から出た鳥にとって外界はカオスである。
地球上に存在する生物は自らの意志により生まれるのではなく、気付いたらカオスの中にいる。存在は cosmos を造り出すことにより無意味、恐怖を克服する。

熱力学の理論にエントロピー増大の法則と云うのがありますが、この法則を社会に適用すると、社会は手当てをしないで放置しておくと乱雑になり秩序を失っていく、即ち混沌に近づいていきます。そのことをエントロピーは増大すると云います。

牧野貴氏は、宇宙には最初から厳然たる秩序が存在するのだが、未熟な私達はその秩序を認識できない。宇宙を学び親しんでいけば、やがて宇宙の秩序が見えてくると。私達の意識が目覚めるに連れて、宇宙のエントロピーは減少すると云うのです。熱力学とは正に逆の現象が起きると云うのです。

評論家の立花隆は、「臨死体験」という著書で一旦死んだとされた人が蘇生して意識を回復したとき語った記録を書いています。臨死体験者は暗いトンネルと潜ると、その先にまぶしいばかりの明るい世界が広がっているが、それは形容しがたい景色であると云っています。

死者が最初に見る死後の世界の映像は正に混沌としているのでしょう。それは未知の世界だからです。この世に生まれた赤子の目に映る物質の世界も又混沌としているでしょう。それらの混沌は、やがて赤子の目にも秩序だった世界に変わっていきます。

牧野貴氏の動画は、この世とあの世の、あの世とこの世の境界線の光景を描いているのです。
(以上)
【2009/01/22 11:44】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
家庭電気製品のデザインは変わったか
     1.東芝科学館:電気洗濯機 D 03D 0901q
     電気洗濯機
                                   2.東芝科学館:電気冷蔵庫 D 0901qc
                                   電気冷蔵庫
     3.東芝科学館:電気掃除機 D 0901qc
     電気掃除機
                                   4.東芝科学館:自動電気釜 D 0901qc
                                   自動電気釜

敗戦で打ちひしがれていた日本が、高度成長を遂げて世界第二位の経済大国になった時代は今や過去の歴史になりつつあります。

日本が高度成長期(1955~73)に入って間もなく、もはや戦後ではないと云われて登場したのが白黒テレビであり、電気洗濯機であり、電気冷蔵庫の、所謂三種の神器でした。アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに憧れていた戦後の日本人は、これらの家電製品を手に入れることで豊かさを実感したのです。

しかし、これらの家電製品が十分に普及していたとは云えませんが、既に戦前の日本でも製造されていました。川崎市にある東芝科学館でそれら家電製品の日本一号機を見ることが出来ます。

テレビ放送が始まったのは戦後ですから、戦前にはテレビこそありませんでしたが、電気洗濯機、電気冷蔵庫、それに電気掃除機、自動式電気釜(炊飯器)までありました。

驚くべき事は、その出現が1930~31年と極めて早い時期であったことと、更に驚くべきは夫々のデザインがモダンだったことです。写真でご覧頂くと分かる通り、基本形は現在の製品と変わっていないばかりでなく、むしろ単純簡明であることで今でもモダンさを失っていません。

その中で電気洗濯機だけは洗濯物を絞る機能が機外に出ているので現在の形と違いますが、その他の電気冷蔵庫、電気掃除機、自動電気釜のデザインは、80年余りの歳月を経た現在でも、余り形を変えていません。

その間、家電製品では性能向上が図られ、自動化、効率化など数々の発明、改良が加えられました。その結果として外観も変更を余儀なくされた筈でした。或いは、美的観点からスタイルも変えてきた筈です。

工業デザインの発展の歴史とは、利便性と美観との調和を図るものです。美的センスだけを求めては、不便なものとして利用者に見捨てられますし、さりとて便利さだけでも直ぐに厭きられます。

昭和初期には日本の企業は既に今日に通用する家電製品を作り上げていました。そのことが戦後の高度成長を可能にしたのです。今日の閉塞感を打破して自信を取り戻すためにも、いま一度、東芝科学館を訪れ、先人たちの努力の結晶を見詰めることをお薦めします。
(以上)
【2009/01/16 14:31】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真展 甦る中山岩太
東京都写真美術館で「甦る中山岩太」という写真展が開催されています。(2008.12.13~2009.2.8)

中山岩太という写真家は大正から戦前の昭和にかけて活躍した人です。戦後も活躍していますが、主たる作品は戦前までに発表されたものです。

展示会は「東京からニューヨーク/パリへ」「モダニズムの光彩」「モダニズムの影」「甦る中山岩太」の4部に分かれていますが、大まかな時代区分として大正ロマンの時代に対応するのが「モダニズムの光彩」の部であり、戦前の昭和時代に対応するのが「モダニズムの影」の部です。

最後の「甦る中山岩太」の部は、昭和初期の作品のオリジナル・ネガからのニュー・プリントを作成し展示しただけで、必ずしも中山岩太の作品全体を現代的視点で再評価すると云う意味ではありません。

しかし、この展示会は、そのような技術的な再生という狭い視点ではなく、戦前までの中山岩太の全作品の現代的意義を問うという形で「甦る」ものは何かを示しています。

中山岩太は、写真家としての活動をニューヨーク、パリで始めました。日本人としては一番早く海外の前衛的な写真技術、フォトグラム、フォトモンタージュなどを会得して日本写真界の近代化に貢献しました。「東京からニューヨーク/パリへ」の部の写真では、まだモダニズムの写真は少ないですが、「ダンサー」(作品36、37)「座席」(作品39)ではその片鱗を見せています。

「モダニズムの光彩」の部では、モンタージュ手法を駆使したモダニズムの作品が数多く展示されています。ネガと陰影を同じ画面で対比した「パイプとマッチ」(作品43)は虚と実を結びつけて人の想像力を刺激します。同じく「巴里の夜」(作品44)もモンタージュの効果で想像力を広げます。

ここでは多くのコンポジション作品(複数の素材を組立て構成した作品)が展示されています。「無題」(作品60)は、4枚の写真を素材として、それらをモンタージュして一枚の写真を構成しています。見る人によって色々に感じ取れる作品です。

コンポジション(ヌードとガラス)(作品74)は、「無題」と並んでモンタージュの効果を最高に高めた作品です。音楽に喩えるなら複雑微妙な交響曲を聴いているような感じの作品です。

転じて、「神戸みなと祭り」シリーズは簡明なモンタージュの作品です。作品75は裏と表を、作品77は部分拡大と大局遠望を組み合わせたものです。一枚の写真で多面的な実相を表現した作品です。

モダニズム(近代主義)とは20世紀に文学、芸術の世界で始まった、伝統に反逆する前衛的な運動一般を指します。その中で写真芸術は絵画のモダニズム、即ち、未来派、キュビズム、シュールレアリズムの作品に大きな影響を受けました。近代写真の始祖、マン・レイがいち早く発表したシュールレアリズム写真はその証拠です。

日本の大正時代は、19世紀のロマン主義と20世紀のモダニズムが同じ時期に重なって現れた時代です。個人の解放と理想主義を求めるロマン主義が流行ると同時に、近代的合理主義が賞揚されました。大正ロマンには二つの要素が入り混じっていますが、共通しているのは明快さです。

しかし「上海から来た女」(作品80、81)は、古き良き時代としての大正ロマンを表現していると云うよりも、昭和初期の暗さを湛えています。「モダニズムの影」の部に属する作品でしょう。

それでは次の「モダニズムの影」とは何を指すのでしょうか?
ここでは中山岩太の被写体は、植物、昆虫、海中、足許、静物などです。この傾向を大震災と大恐慌で社会が暗くなりつつあった時代に、モダニズムも沈鬱になったと捉える解説は正しいでしょうか?

ここでは、私は二つの作品群に注目します。一つは第二次世界大戦開戦直前の1940年の作品群と、もう一つは敗戦直後の1947~8年の作品群です。

開戦直前の「冬眠」(作品109)、「コンポジション(海の生物)」(作品110)、「アダム」(作品111)、「イーブ」(作品112)では抽象された造形美を見せます。敗戦直後の「コンポジション(ミモザ)」(作品121)、「静物(あじさい)」(作品122)、「静物」(作品123)では、花瓶と花を用いて造形美を更に単純化して表現し、「静物(ひまわり)」(作品124)には凄みがあります。

「モダニズムの光彩」にはモンタージュ手法が持つ隠蔽や飛躍といった難解さがありましたが、この「モダニズムの影」ではその難解さが消えて、簡明にして力強いものがあります。それはアメリカの写真家メイプルソープが表現した造形美に通じるものがあります。

「モダニズムの影」の部に属する中山岩太の写真には、完成度の高さを示す作品が数多くあり、モダニズムが沈鬱になったとばかりは云えません。混迷する戦前戦後のリアリズム写真運動の中で、中山岩太は孤立したのではなく、孤高を保ったのです。沈鬱にならず昂然としていたのです。

「甦る」とは、中山岩太が求めたモダニズムの美を再評価することではないでしょうか?

最後に、東京都写真美術館の意欲的な三つの企画展、柴田敏雄、中山岩太、イマジネーションのポスターを掲げておきます。
(以上)


                              東京都写真美術館-01D 0902q
【2009/01/10 21:31】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
雪は色彩を奪い形を与える
       雪景色-06P 01t
                                   帯広:雪景色-01P 98t
       雪景色:車窓-02P 99t
                                   帯広:雪景色-04P 98r


雪は、自然を白一色に染めて外界から色彩を奪います。色彩を奪われた自然は、逆に色彩で隠されていた自然の新しい形を現します。

色彩に埋もれていた曲線や直線、地表の襞は、雪によって浮かび上がります。今まで見たことのない単純化された世界は、陽の光だけで新しい形の微妙さと力強さを奏でます。

雪はモノクローム写真の名手です。北海道の冬景色をご覧に入れて新年の挨拶と致します。
(以上)

【2009/01/04 12:10】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |