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モノクローム写真展を見て・・・ゾーンシステムとは何か・・・
11月末からモノクローム写真展がコンタックスクラブ展示場(東京交通会館7階)で開催されています。ゾーンシステム研究会というプロ写真家グループの写真展です。

この頃はカラー写真が全盛でして、モノクロ写真を見る機会は写真雑誌などで昔の芸術写真集を見る時くらいですが、この写真展を見て、今も熱心なモノクロ写真家が活発に活動していることを知りました。

私はモノクロ写真というと黒と白の二色の写真であり、その濃淡の変化で被写体を表現するものと理解していました。濃淡は光の蔭であり、蔭によって対象の形態や遠近を表すものと考えていました。

しかし、この写真展はモノクロで色彩までを表現しようとしているかのようです。この研究会が主張しているゾーンシステムというのは、白から黒までのグレー系のグラデーションを9段階に等分して、その9段階の組み合わせで画面を構成する手法です。

このゾーンシステムは、ヨセミテ渓谷の美を世界に知らしめた写真家アンセル・アダムズが提唱した手法だそうです。素晴らしい作品を創造する芸術家は原理から追求することが分かります。

アンリ・マチスの絵は色彩の交響楽と云われています。その意味はマチスが色彩の相互作用が醸成する緊張感で絵を描いているからです。このゾーンシステムでは9等分された白と黒を互いに緊張するように組み合わせて画面を構成しようと云うのです。

色彩の有無を度外視すれば、ゾーンシステムが画面構成に緊張感をもたらしていることは色彩の画家マチスの場合と同じです。白と黒のグラデーションを感覚だけで捉えず、そこに理論を持ち込んだことがゾーンシステムの手柄です。

その点は、ゾーンシステム研究会の代表者、中島秀雄氏の「Bridgeport Community Church,Clif.」(木造の教会建築)を見ると良く分かります。更に、同氏の「Screw Propeller,Ariake」は、なだらかなグラデーションで、腐食したスクリュー断片を生物の肌のように見せています。

20人余りの写真家が40点余りの作品を展示していますので、特に注目した作品についてのみ感想を述べてみます。

北野龍一氏の「海の堆朱」は、荒波に研がれた堆積岩の表面に描かれた紋様を撮影したものです。紋様は岩が生きてきた軌跡です。自然の造形は人工の及ばぬものです。微妙なトーンで造形された紋様はモノクロ写真だからこそ表現できたと思います。

宮岡貞英氏の二作品「黒い世界1、2」はハワイ島キラウエア火山の溶岩を撮影したものです。これらの写真では、幾つもの段階の黒色が複雑に絡み合って画面を構成しています。流れ出した溶岩の風景でありながら、抽象画を見るようです。モノクロ写真ならではの表現です。

ゾーンシステムはモノクロ写真に理論を導入しました。白は無地とか空白というように「存在の無」を表します。黒は光がない状態で「光の無」を表します。無から無への間にグレーの理論を展開したと云って良いでしょう。
(以上)
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【2008/11/28 19:08】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
新幹線の流線型は手作り
                    新幹線車両-014 0811q

新幹線が誕生したのが1964年(昭和39年)ですから、もうすぐ半世紀になります。その間、スピードを上げる技術革新は続けられ、あまたの進歩がありました。

電子、電気の分野でいくら技術革新が進んでも形に表れないので素人には分かりにくいのですが、先頭車両である機関車のスタイルの変化は一目瞭然で、進歩の状況が素人にもよく分かります。

戦前に弾丸列車の計画がありました。戦後の最初の新幹線の機関車は先端が弾丸のような形でした。弾丸は空気抵抗を最小にして飛ぶように設計されていたからです。しかし、列車は空中でなく地上を走るのですから、風圧で浮上しないよう設計する必要がありました。

こうして、最新の新幹線の機関車は、地面を這うような長い鼻の形になりました。これを美しいと見るか、異様な形と思うか、意見が分かれるそうです。しかし、産業デザインの世界では機能美が優先します。

機能美を追求すれば皆同じ形に収斂すると思うのですが、そうとも限りません。機能美にも多様な姿があります。同じ長い鼻の機関車でも、よく見ると微妙な違いがあります。

聞くところによりますと、これらの機関車の鼻の部分は全て手作りなのだそうです。一台づつ熟練の板金工の手で丁寧に造り上げられているとのことです。ですから、金型で大量生産される機関車とは違うのです。厳密には一台一台が違うのです。

硬くて軽くて丈夫な金属を成形するのですから、新幹線の機関車製造には自動車修理の板金工とは桁違いに難しい技術が要求される筈です。多分、高度の成型機器や強力な溶接機器を使った高度の技術が必要なのでしょう。

しかし、あの長い鼻が板金工のハンマーで叩かれて生まれてきたと云われると嬉しくなります。近世機械文明はイギリスの蒸気機関車で始まりました。その後裔である新幹線では、遂に機械文明は芸術作品に到達したからです。
(以上)
【2008/11/22 22:00】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
写真の物理的耐久性
絶えず変化するのが世界の本質として捉えたギリシャの哲人は「万物は流転する」と云いました。大げさな言い方ですが、写真も写された時点から変質し、劣化していきます。

評論家スーザン・ソンタグがその写真論で「全ての写真は、時間の容赦無い溶解を証言している」と述べたのは写真の内容についてですが、ここでは写真の物理的耐久性について述べてみます。

カラー写真のフィルムは現像されたときから、その色彩は色褪せが始まります。保存方法にもよりますが、撮りたての鮮やかさは時間の経過と共に間違いなく失せていきます。

昭和30年代に撮影した国産のポジフィルムは、30年後には無惨にもただれたような斑点が広がり、同じくネガフィルムはセピア色に近づきました。モノクロのフィルムはそれ程ではありませんが、それでも僅かに濃淡の差が弱まりました。

現像したフィルムの色褪せと同じく、焼き付けた写真も色褪せます。その変化はフィルムよりも激しいものがあります。モノクロ写真は古くなるとセピア色になるので、それなりの雰囲気が出て、それでも良いのですが、カラ-プリントの色褪せた写真は惨めです。

時の流れは同じものを残さないのですから、これもやむを得ません。でも、最近流行のデジタル写真の物理的耐久性は銀塩カメラの写真より高いようです。プリントされた写真は銀塩もデジタルも変わりはないですが、メモリーチップ内の映像は電子的に保存されるのでフィルムの保存より永続しそうです。

デジタル写真は始まったばかりで、永久に変質、劣化しないかどうかは未だ分かりません。ギリシャの哲人に言わせれば、電子も万物の仲間ですから、将来色褪せる日が来るかも知れません。果たして電子的劣化という現象はあるのでしょうか?
(以上)
【2008/11/16 11:15】 | 写真論 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
コンクリートの建物は信頼できるか
          東京カテドラル大聖堂-01D 0710q
          東京カテドラル大聖堂

                                      建物-04D 06
                                      東京麹町にあるコンク
                                      リート打ち放しビル


湿度の高い日本ではコンクリートの家は向かないのですが、街中で時々見かけることがあります。体育館とか教会とか公共建築だけでなく、個人の家やビルでもコンクリート打ちっ放しを見ることがあります。

日本のコンクリート建築は西洋から近代建築の一つとして輸入されたものですが、その西洋でも建物は元来は石積、レンガ積など組構造の建築です。コンクリート建築は近世になって始められたものです。

近代建築の祖ル・コルビュジェが建築の基本は柱と床板と階段であると主張して以来、建築素材としてのコンクリートに道が開かれたのです。

コルビュジェが意図した建物は合理的で何処にでも建てることが出来る建物でした。コンクリートは世界の何処でも容易に入手できる格好の建築素材でした。こうしてコルビュジェ様式のコンクリート建築は世界中に広がりました。

コンクリート建築は装飾的でないことが特徴であり、その単純な形態を表現するのに打放し建築が好まれました。コンクリート打ち込みの際使われた型枠の模様だけのノッペりした表面がモダンだと云われて珍重されました。

日本の建築家は、短い間にコンクリート建築に独自の境地を見出し、優れた作品を造りました。丹下健三の広島ピースセンター、代々木オリンピック運動場、東京カテドラル大聖堂、安藤忠雄の初期の作品、住吉の長屋、光の教会、日没閉館などは、コンクリートを用いて建物の形態の優美さと採光の独自さで世界の注目を集めました。

しかし、これら名人達の優れたコンクリート建築は必ずしも使い勝手がよいわけではありません。建築のデザインは芸術的に如何に素晴らしくても、家はあくまで家であり、彫刻や絵画のように眺めて終わりではなく、使われて初めて完結するものです。

産業界のデザインの発展の歴史は、利便性と美観との調和を図るものでした。美的センスだけを求めても、不便なものとして採用されません。さりとて便利さだけでも、格好が悪いと嫌われて人々は使わなくなります。 装飾と機能の調和を求める戦いが産業デザインの歴史です。

建築界のデザインも産業界と同じジレンマを持っている筈ですが、建築界では美観の前に利便性が犠牲にされる傾向が強いようです。特に施主が個人でなく公的法人の場合、その建物の利用者の意見は反映されず、デザイン優先の使い勝手の悪い公共的建築物が生まれるのです。

世界には木の家、石の家、土の家がありますが、夫々の家は歴史的に夫々の土地の気候風土が産んだ建築です。建築素材も夫々の土地が産んだ素材です。しかし、コンクリートは生まれた故郷を持たないコスモポリタンです。

西欧では石の家が主流だからコンクリート素材に問題がないかと云うと、必ずしもそうではありません。コンクリート素材そのものに建設素材としての弱点があるからです。木、石、土の素材の性質は外見から判断出来ますが、コンクリートは不可能です。コンクリートは外見は同じでも素材の混合比率により中身はみな違うからです。

会計規則や課税基準ではコンクリートの耐用年数は木造より長いのですが、現実の統計では逆だそうです。日本では平均して鉄筋20年、木造40年が建築物の寿命だそうです。素性の分からないコスモポリタンのコンクリートに満全の信頼をおかない方が賢明です。
(以上)
【2008/11/08 14:13】 | デザインする | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
舞台写真の威力 写真展「永遠の越路吹雪」を見て
先月(10月)新宿のコニカミノルタプラザで松本徳彦氏の写真展「永遠の越路吹雪」が開催されていました。

ご存じの方も多いと思いますが、写真家松本氏は日本における舞台写真の第一人者です。戦前、戦後、新劇や新派劇に活躍した初代水谷八重子の舞台を撮影した写真集や、宝塚出身のシャンソン歌手にして舞台女優の越路吹雪の舞台を写した写真集は多くのファンに愛されました。

松本氏は、このような派手やかな舞台だけでなく、日生劇場や劇団四季の舞台をも撮影し続けている本格的な舞台写真家です。ですから舞台における演技者の決定的瞬間を捉える感性には素晴らしいものがあります。

評論家スーザン・ソンタグはその著「写真論」の中で「写真は時間の薄片であって流れではないから、動く映像より記憶に留められよう」と云っています。松本氏が切取った時間の薄片を見ると、どの一片も舞台で見た記憶が凝縮して思い出されるのです。

一般の撮影と違って舞台撮影には制約が多いです。
劇場は観客が一番大事にされる場所ですから撮影者の位置は限定されます。演技のストーリーは予想できますが、演技者は人間ですから何時も機械的に同じというわけにはいきません。その日のチャンスをミスすれば次の日に同じ表情の同じ演技が撮れる保証はありません。モデル撮影の場合のように巧く撮れなかったからもう一度演技してくれとは云えないのです。誠に厳しい条件の中での作業です。

写真展「永遠の越路吹雪」の会場に入って先ず感じたのは会場が立体的に見えたことです。会場の中程で部屋を仕切るように大きな写真が吊り下げてあり、そこには絶唱する越路吹雪がいました。その大きな写真は限られた展示場に奥行きを与えていました。さすが舞台写真家の展示場造りは一味違うものだと感じ入りました。

会場内には、松本氏が14年間撮り続けたという、歌い演技する越路吹雪の様々な姿態の写真が展示されていました。演奏会場のようにレイアウトされた数々の写真を見ていると、ここは正に歌う写真展であり、シャンソン好きのコーちゃんファンには堪らないと思いました。一枚一枚の写真が過去を現在に復活させる威力を見せつけます。

展示された最後の二枚の写真は、夫と並ぶ越路吹雪と普段着の越路吹雪でした。そこでは舞台とは違う穏やかで自然な表情がありました。これらは歌姫越路吹雪に対する写真家松本氏の敬愛の挨拶だと思いました。

舞台など写した経験のない私には掲げる写真は一枚もありません。偶々40年余り前にギリシャに行ったとき半円形劇場で古典劇を見たときの一枚を発見しましたのでここに掲げます。
(以上)


                         ギリシャ劇場-01N(海外:03.ギリシャ 66.7N)adbec


【2008/11/03 13:55】 | 写真展 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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